第2話 「詩」

 翌日の朝、校門の前で、後ろから女生徒に話しかけられた。


「東雲くん、やっほー」


 その透き通るような可愛らしい声の持ち主は知り合いに一人しかおらず、俺は嫌な予感がした。


「……よう」


 振り返り、俺は嫌そうな顔を作りながら挨拶を返す。


「うっわー、辛気臭い顔してるね。陰キャここに極まれりって感じだね」


 ずばずばとムカつく事を言ってくる美里花に、俺はため息をつく。


「……好きに言ってろ」


 そういって、すたすたとその場を離れようとする。


「あ、待って待って。ねぇ東雲くん、わたしの詩は、読んでくれた?」


 美里花は、あくまでペースを崩さず、そんな質問を投げかけてくる。


 少し振り向き彼女の顔を見ると、その表情には、どこか少し緊張の色がある気がしたが――まあ気のせいだろう。


「読んでない。お前みたいな人のメモ帳取り上げて読み上げて馬鹿にするような女の詩なんて、誰が読むかよ」


 つい言葉が険を帯びるのを感じながらも、振り返りざまにそう言い切ってしまう。


 それに対する美里花の反応は、予想もしないものだった。


 ぽろっ、と彼女の美しい瞳から一筋の涙が落ちる。


 ――美里花は、泣いていた。


「……そっか……うん……ごめん……そうだよね……わたしが勝手な事ばっかしたのが悪いよね……」


 美里花は、虚ろな表情をしながら、うわ言を言うようにそんな言葉を放ち続ける。それは明らかに異常な様子だった。


「……ごめん……本当ごめん……わたしが悪かった……もう、二度と話しかけないから……それじゃ……」


 そういって、美里花は泣きながら俺の横を通り過ぎて、走り去ってしまった。

 気づけば俺は、美里花の泣き顔が、今の様子が、頭から離れなくなってしまっていた。


 ――俺が悪いのか……?


 いや、流石に今の様子を見せられたら、俺が悪い以外の選択肢は残っていないだろう。


 俺は、彼女に謝らないといけないと思った。


 あいつはめちゃくちゃで傍若無人なやつだと思っていたが――


 ――その内面には、少女らしい繊細さが隠れていたのかもしれない。


 だとするなら、その繊細さを土足で踏み荒らした男は、彼女に謝り赦しを乞わないといけないだろう。


 それ以前に、俺は彼女の泣き顔が可憐すぎて、美しすぎて、そんな彼女との関係がこれで終わる事がいやだと思ってしまっていた。


 ――だとするなら……


 俺は、ポケットに入りっぱなしになっていた、彼女の書いたという詩を取り出す。


「……ま、読むしかないよな」


 詩は、何度も折りたたまれた3枚のルーズリーフから構成されていた。


 思ったより大作を読まされるかもしれない。

 そんな馬鹿な事を考えながら、俺は最後の一折りを広げなおす。


 そこには、3枚のルーズリーフにまたがって、こんな文面が広がっていた






 *****






「詩」


 遠く幼いあの日、わたしは詩の天才だった

 瑞々しい若葉に一匹のかたつむりが這うのを見ては、

 その静謐さの中で確かに物事が動いている喜びを詠む

 池に蓮の花が開いているのを眺めては、

 幾重にも重なった美しい花びらが、わたしの心に神秘への畏敬を生み出す不思議を詠む

 日々のあらゆる遊びが、あらゆる出会いが、あらゆる冒険が、詩の源泉となって、無数のわたしだけの詩が生まれた


 嬉しい

 嬉しいよ

 嬉しい

 嬉しくてたまらない

 自然の美しさが嬉しかった

 美しさへの感動を真っ直ぐに表現する事が、嬉しかった

 わたしは生きている事が嬉しくてたまらなかった

 遠く幼いあの日、生は喜びに満ちていたのだ


 だが、学校に入ると、そこは灰色に満ちていた

 みんなは詩を詠んだりはしておらず、つまらない寓話、つまらない計算、つまらない知識を身に着ける事に必死になっている

 ににんがし、にさんがろく、にしがはち

 そんな無機質な詩を一年かけて暗記するのは、子供たちの頭をおかしくするための闇の陰謀としか思えなかった

 わたしはその陰謀に抵抗すべく、詩を詠み、そしてそれを歌にして歌う事にした

 花の美しさ、草木の瑞々しさ、小鳥の生命の輝きを、清らかな子供の歌声で歌う

 それは天使の芸術とでも呼ぶべきものだったはずなのに

 大人たちはわたしを、悪魔の子と呼び、隔離した


 ねぇ知ってる?

 翼をもがれた鳥が一生をかけて味わい続ける苦しみを

 ねぇ知ってる?

 邪悪な敵意に晒され続けた天使の心は、いつまでも純粋ではいられないという事を

 

 わたしはもがいた

 もがき続けた

 息ができない陸で泳ぎ続けた魚の死体

 あるいは、からからに乾いた砂漠で干からびていった旅人のミイラ

 そんな生命のなれの果てがわたし

 気づけば、詩を詠む事もできなくなっていた


 いやだ

 いやだよ

 こんなのいやだよ

 詩を詠む喜びのエネルギーは、すべてわたしを傷つける濁流へと転じて、わたしの心をぼろぼろにした

 わたしはすべてを封印して、押し込めて、ぎゅうぎゅう詰めにして、固く閉ざした


 それから幾年が経ち

 わたしは高校生とよばれる身分になった

 ここに救いは無く

 日々は静かな絶望に満ちていて

 わたしはただ待っている

 救いの王子様が、キスをして、わたしを救い出してくれる事を

 そんな王子様がいないってことを、わたしが一番よく分かっているのにね






 *****






 くしゃり、と俺は思わずルーズリーフを握りしめようとしてしまう。


「これを、あいつが書いたのか……」


 その文章は流麗で、美しく、独特のリズムに満ちていた。


 そのテーマは、俺が子供のころから学校というシステムに対して感じ続けてきた、息苦しさ、堅苦しさ、異常さを思い起こさせて、思わず深く感情移入してしまうものだった。


 何より、この繊細な詩を、あの無茶苦茶な言動の美里花という少女が書いたというギャップに、俺は深い衝撃を受けていた。


 気づけば、俺は美里花の事が気になってしまっていた。


 もっと美里花の詩が読んでみたいと、そう思ってしまっていた。


 ――なぜこんなにも気になってしまうのだろう。


 それは、この詩が、幼い少女の瑞々しい詩作の喜びと同居して、今の美里花という少女の世界への諦め、絶望を深く孕んでいるからだと思った。


 今、確かに俺は、いつか彼女の王子様に現れてほしいと思っていた。


 いや、正直に言えば。


 ――自分がそうなりたいと、そんな馬鹿な考えを持たされてしまっていた。


 いずれにせよ、言える事は――


 彼女が渡した単なる3枚のルーズリーフが、俺の心に忘れられない爪痕を残したという事と――


 ――俺は彼女に、深く謝らないといけないという事だった。

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