僕の彼女は夢の中、月の光で恋をする

寄賀あける

 夜の闇に紛れて薄ぼんやりと見えているのは外壁を黒く塗りこめた城郭、この地の領主ドルクルト伯爵の居城だ。時刻は深夜、ひっそりと寝静まっている。


 本館の廊下を黒いフードを目深にかぶり黒いマントで身体を包み込んだ若い男が、足音も立てずスーッと進んでいく。足音? 足音を立てるはずもない。彼は歩いてなどいない。宙に浮かんでいる。


 廊下の先で扉が開いた。吸い込まれるように部屋に入れば、音もたてずに扉は締まる。誰が開け閉めしたものか?


「お帰りなさいませ」

部屋で出迎えたのは中年の男、若い男が脱いだマントをうやうやしく受け取った。

首尾しゅびはいかがでございましたか?」

若い男は答えない。その代り、

「父上のご容体は?」

中年の男に尋ねた。


「それが……一進一退と申しましょうか、良くなったり悪くなったりの繰り返しでございます」

「ふん! つまり良くないと言う事だな」


「……お判りなら、お急ぎくださいませ」

「言うな! なんのため、夜毎よごとに出かけているのか知っているだろう!? わたしだって、わたしだって必死なんだ」


 怒鳴られた中年の男が肩をすくめる。

「えぇえぇ、そうでしょうとも、承知しております。でも見つけられずにいるのでしょう? そろそろお諦めになられたらいかがですか?」


 若い男がチラリと中年の男に目をやる。が、何も言わない。探しているのはなんの手掛かりもない相手、どこの誰かも判らない。でも諦めたくない。


「明日には例のお嬢さまがこの城にお越しです。この際です。旦那さまのお心にそむくことなく、どうかそのお嬢さまと――」

「疲れた。休む」

中年の男に最後まで言わせず、若い男は奥の部屋へと消えた。


 ドルクルト伯爵が病床についてからどれほどになるだろう? 最愛の妻を亡くし、いくらも経たずに臥せるようになった。そろそろ四年だ。危篤きとくというわけではないけれど、そうなるのは目に見えている。何しろ妻を失くしたのだから。


 休むと言ったくせに、若い男……ドルクルト伯爵の後継者、一人息子のキャティーレはマントを脱いだ姿のまま、着替えもせずに椅子に腰かけている。そして深い溜息を吐いた。


 溜息の原因は数えきれないほどあった。父の病、探し人が見つからないこと、明日には訪れるという婚約者……そして一族に課せられたいままわしい運命さだめ


 何代か前、一族は退され根絶やしにされるはずだった。それを回避するために、その時の当主がした約束が今も生きている。


『生涯ただ一人と定めた配偶者以外とは決して交わらぬ。たがえれば、瞬時にちりと化すもいとわわぬ』


 この約束はすべての眷属に及ぶ。退されずに残った眷属は僅か、さらに約束のお陰で今では数えるほどしかいない。彼らのかなめはドルクルト伯爵家、次期当主キャティーレにその責が重くし掛かる。


 早く妻を娶り、爵位を継いで子をさなくてはならない。中でも妻は、父が生きている間に定めないことには話にならない。未婚者は爵位継承を許されていないのがこの国の法だ。


 キャティーレが再び溜息を吐く。


 領内にいるはずなのにどこを探しても見つからない。あの夜の出来事は夢か、それともまぼろしか? 名も知らぬ少女、満月に照らされて一人優雅に踊っていた。そのはかなさと美しさに一目ひとめで恋に落ちた。妻にするならあの娘しかいない。でも……


 もし見付けられたとしても、あの娘を一族に引き込む勇気が持てるのか? 我らの肉の交わりは、互いの血を味わうことで完遂するなどと告げられるのか?


 配偶者以外とは交わらぬ。それは配偶者以外は吸血しない事をも意味していた。ドルクルト伯爵の衰弱は、吸血しあう相手を失ったのが原因だ――ドルクルト伯爵家は吸血の一族だった。 

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