妹はモルタァケッハ

陸離なぎ

第1章 終(つい)を知らざり編

第1話 ブラッシング占い

 バナナジュースとミルクティをマグカップに1:1で注ぎ入れ、生クリームとハチミツ、シナモンを追加する。隠し味にお湯で溶いておいたケチャップをたっぷりと。

 特性ドリンクを完成させ、リビングのテレビの正面にある二人掛けソファに腰掛けた。録画しておいた昨夜のバラエティを再生し、テレビを見て笑ったり、スマホを弄ったりしていると、

「ふあああ~。おはよーございます、兄さん」

 午前十一時を過ぎた頃、ダボっとしたパジャマ姿の妹が、目を擦りつつやってきた。

「おはよう、ノエ」

「なに飲んでいるんですか?」

「俺の特性ドリンクだけど、ノエも飲むか? 作ってやるぞ?」

「要りません、ゲロマズなので」

 ノエが左手を振って拒否すると、薬指のリングが天上のLEDの光を反射させた。

「美味いんだけどなぁ」

 ぼやいているとノエは隣に腰を下ろし、俺の膝に上半身を乗せてくる。

「そんなの作る暇があったら可愛い妹の頭を撫でてください」

「可愛いって、お前」

 まつ毛は長く目が大きくて顔つきは幼く、実際にとても可愛いらしい顔をしている。

「自分で言うなよ。まあ可愛いけど」

 撫でてやると、

「えへへ」

 と笑う。

 その様子がまた可愛らしく、眺めているこちらまでにやけそうになり、ドリンクを飲んで誤魔化した。

 美味だ。

 タバスコをシナモンに変えたのは正解だった。いや、いっそのことシナモンもタバスコも両方入れてみるのはどうだろう? 更にオレンジの絞り汁を足してみるのもありだな。次作るときはそうしよう。

 ノエを撫でながら次のドリンクの思案をしていると、

「あ、兄さん。今ゲロマズレシピ考案しているでしょう? また殺人級レシピ作っちゃだめですよ! この前はもう少しで救急車呼ぶところだったんですから。兄さんは舌がおかしいの、ちゃんと自覚してください!」

「俺は普通だ、おかしくなんてない。それより、よく俺が次のレシピ考えてるって分かったな?」

「そりゃあ、わたしと兄さんは相思相愛の以心伝心柱ですから!」

「柱は余計だな、うん」

「愛の避雷針代わりですよ! もちろんわたしの恋の羅針盤はいつでも兄さんに向いていますけど!」

「そうか」

 全く以って意味が分からないが、取り敢えず頷いておいた。

「そう、だな」

 特性ドリンクを、特性激うまドリンクを一口飲んでノエの黒髪を触ると、寝ぐせが指に引っかかった。

「ボサボサだぞ。いくら休みでも、寝ぐせくらい梳かしたらどうだ?」

「ん、兄さんの顔がいち早く見たかったので」

「おー、可愛いこと言うじゃないか。髪を梳かせばもっと可愛いんだけどなぁ」

 そう言って煽ってやると、

「そーですか。えへへ、兄さんがそこまで言うのなら」

 むふー、と笑みを浮かべて俺の上から立ち上がり、洗面所の方へ歩き出した。

 ノエとのやりとりは長年の付き合いからくるノリのようなものだが、この距離感はとても心地が良く、守りたい。

 自分の左手にある、ノエとのペアリングを眺めながら、改めてそう思う。

 一分も経たずに戻ってきたノエの髪はボサボサのままで、手に持ったブラシを俺に手渡してきた。

「そこまで言うなら、わたしの髪を梳かさせてあげますよ」

 どや顔でそう言うノエからブラシを受け取ると、クルリと回れ右し、俺の膝の上に腰掛けた。

 お互いに直立していれば、ノエの背丈は頭一つ半くらい俺より低い。しかし膝の上に座れると、肩甲骨より少し下まで伸びた髪は良く見えるが頭の位置が少し高く、ブラッシングなどやり辛くてしかたがない。そう思い脚を開いてやるとダルマ落としのようにストンと下がり、両腿の間に収まる形になった。

 ふわりとした良い匂いがして思わず髪に鼻を埋めたくなったが、そんなことをしたらまるでシスコンみたいだと思い自制した。

「お前がやって欲しいだけだろう?」

「ふふふー、バレましたか。でもこれは一石二鳥なんですよ」

「へえ、どんな?」

「兄さんにブラッシングして貰えますし、ブラッシング占いができるじゃないですか? ほら、一石二鳥です」

「お前にとってはそうかもしれないが」

 髪を束で摘まみ上げてブラシを掛けると、やはり甘い匂いがした。

「というか、ブラッシング占いってなんだよ」

「よくぞ聞いてくれました! ブラッシング占いとはブラッシングが終わった後のブラシに付いた髪の毛の具合で今日の運勢を占う、今わたしが考えた占いです」

 ノエは無類の占い好きであり、「なんだそれ」と言いたくなるようなオリジナルの占いを思い付いては、俺や友人たちで試すのは、もはや日常そのものである。

「まあいい。ノエがして欲しいなら、俺が何だってやってやるよ」

 俺がそう言うとノエは満足したように頷いた。

 妹のワガママを聞いてやるのが兄として生まれてきた者の運命というやつだ。俺はその流れには逆らわないと、十年以上前から決めている。



 ブラッシングが終わり、ノエはブラシを持つ角度を変えながら多方向から眺めだし、占いを始めだした。

 全く同じ血が流れているのにも関わらず、俺には占いの才は殆どなく、ノエの占いに関して手伝えることがあるとすれば、邪魔をしないことぐらいだ。

 そう思い眺めていると、脚の横に置いていたスマホがブブブッとバイブした。見ると、中学時代からの友人兼、ノエの非公式ファンクラブ副会長である恵(めぐみ)からメッセージが届いていた。

『よぉー、今何してる?』

「ブラッシング占いだ」

 こいつの「今何してる」という質問は頻繁に来るものであり、主語がない場合それは「ノエが今何をしているか」という意味である。

『なんだそれ?』

「ブラッシング占いはブラッシング占いだ。というか、いつも言ってるが直接ノエに訊け。ライン知ってるだろ」

『いや~、知ってるけど、もしノエちゃんにキモがられたらガチで凹むし』

「率直に言ってキモい」

『うるせぇ、男はキモいもんなんだよ! ガチ恋勢舐めんな?』

「ガチ恋勢って、ノエはアイドルか」

「あとお前は、お前と一緒にされる数十億人の気持ちを一度考えろ」

『世界中を敵に回してもオレはノエちゃんを愛して見せる!』

「話の規模がでかい! お前は俺の妹をなんだと思ってるんだ。あとプロポーズなら俺じゃなくて本人にやれ」

『ふざけんなよ、クソ童貞!』

「なにキレてんだよ?」

「あと童貞はお前だ」

『何かの間違いでオレが真に受けて告白したらどうすんだよ! この世とバイバイじゃねぇーか!』

「なんでフラれる前提なんだよ。いや、十中八九フラれるだろうけど」

『クソう! 何様だよ!』

『って、お兄様だったわ』

『兄の立場を利用してノエちゃんを眺め放題の喋り放題とか恨めしい』

「運命を僻むな」

「それに、お前にだって妹がいるだろ。ファンクラブ会長の花恋(かれん)ちゃんが」

『あんな猿と大天使ノエちゃんを一緒にすんなハゲ』

「猿て」

「お前ら兄妹、ノエのことになると仲悪くなるよな」

「あと誰がハゲだ」

『うぅ……。同情するならノエちゃんの風呂上り秘蔵写真くれ』

「そんなものはないし、あっても妹の風呂上り写真を他人にくれてやるわけないだろ」

『そ、そんな』

『じゃあ、普通の写真で我慢してやるから、よこせ』

「なんで偉そうなんだよ」

『このままじゃ、オレはノエちゃん欠乏症でやられてしまう……』

『はやく、なんでもいいからはやくノエちゃんの新しい写真を……』

 なんて憐れな生き物なんだ。

 一周回って可哀そうになり、ノエの写真を送ってやることにした。

「ノエー、写真撮っていいか?」

「んー。んー? いーですよー?」

 占いに夢中になっていて空返事だが、変な写真というわけでもないし、まあいいだろう。

 そう思ってカメラアプリを起動し、ノエに向けてスマホを構えた。

 適当に撮ったものを恵に送ってやると、呪詛かと思う程支離滅裂な(おそらく歓喜)言葉が帰って来て、こいつノエのこと好きすぎるだろと思わされる。

 正直キモいと感じつつスマホを置いたとたん、新しいメッセージの通知が鳴った。

 見るとそれはクレームだった。

 ただ、送り主は恵ではなく、その妹である花恋である。

『ちょっとちょっと、お義兄さん! お兄ちゃんにだけ新しいノエちゃんの写真送るなんて言語道断ですよ!』

『お兄ちゃんが自慢してきてウザいし、悔しいし、お義兄さんが恨めしいし……』

『あたしにも下さい! お義兄さんのを! あたしにも!』

『できれば、えっちぃやつを!』

 なぜこいつらは、俺がノエの秘蔵写真的なものを持っていることが前提なんだ。

 それにしても、花恋も花恋で、恵に負けず劣らずノエのこと好き過ぎるからなぁ。

 ノエのやつ、生まれる星の下を少し間違えたんじゃないか?

『ねぇー、お義兄さん!』

『はやくぅー!』

『はやくぅー!』

 ええい、面倒くさい。

「ノエ、もう一枚撮るぞ?」

「んん~。どーぞー」

 相変わらずの生返事だが、まあいい。

 さっきの写真とは少しだけ構図を変えて写真を撮り、送ってやると、

『んひょー、ノエちゃん、きゃわ!』

「というか、お前ら揃いも揃って、なんで俺にラインしてくるんだよ」

『だって、お義兄さん、ノエちゃんのマネージャーみたいなものじゃないですか』

『というか、そんなことよりいいかげん、えっちぃのもくださいよ! ノエちゃんと知り合ってから何年お願いしてると思ってるんですか!』

「そんなものない」

「というか、なんで、俺がノエのスケベな写真撮ってる前提なんだよ?」

『ノエちゃんと一緒に暮らしていて、えっちぃ写真を撮らないなんて……まさかお義兄さん、舌だけじゃなくて頭もおかしくなったんですか?』

「俺は普通だ。おかしくなんてない」

「というか、なんでお前ら兄妹は揃いもそろって、実の妹に欲情して当たり前みたいに考えてんだよ!」

『え? だって、ノエちゃんですよ?』

「おぉ。そうか」

 だっての意味が分からないのは、俺の読解力が足りないのだろうか。国語の成績は、悪くないはずなんだがなぁ。

 溜息を吐きそうになり、なんとなく負けな気がして必死に堪えた。

「兄さん兄さん」

 俺の心の荒みを癒してくれるような声に呼ばれて顔をあげると、ノエはニコリとほほ笑み、ブラシを掲げていた。

「占い結果でました!『友人関係に受難。その他は平常」です!」

「ああ、受難ね。うん。いつも通り当たってるよ、お前の占い」

「え? わたしの占い中になにかありましたか?」

 一瞬、ファンクラブ兄妹とのやりとりを見せようかと思ってたが、やっぱりやめておいた。

「なんでもない」

 二人からの通知をミュートにし、俺はそう言った。

「そうですか。なんでもないならそれに越したことはありません」

 嬉しそうに言う姿が可愛らしくて、釣られて笑みが零れてしまう。

 特性ドリンクでそれを誤魔化していると、

「ところで兄さん、買い物に付きあって欲しいのですが」

「買い物? 今日の晩飯当番は俺だろ?」

「いえ。スーパーではなく、西の雑貨屋に行きたくて」

 西の雑貨屋と言われて、西の方にそんなものがあっただろうかと思考を巡らせるが、思い当たる記憶がない。

「そんなのあったか?」

「実は今日、夢に出てきたんです。公園の裏手で今日オープンするという夢を、さっき思い出しまして!」

「夢て」

「なにやらすぴりちゅある? な、ぱわぁ? を感じましたし!」

「言いながら自分で疑問を持つんじゃない。というか、本当にただの夢だったらどうするんだよ」

「大丈夫です! 妹には、兄と一緒なら夢を現実にする力があるんです! 古事記にも書いています!」

「古事記に謝れ」

 というか、ノエなら本当に夢を現実に返る力が宿っていそうなのが、微妙に笑えない。

 以前、何気なくテレビを付けたら競馬の中継がやっていて、遊び気分で占いをやらせてみたことがある。

 結果、中継された全レースにおいて、一着から最後までの全ての着順を見事言い当てた。それだけに留まらず、どの馬が、どのタイミングで前に出て、どこで内側や外側にズレるなどといった詳細まで含め、全てがノエの占い通りだったのである。

 昔から、どんな占いも必ず当てるノエを見て来た俺だが、こればかりは何よりも驚き、すこしばかり恐怖を覚えた。

 ノエの生まれ持った力――俺たち星稔(ほしみの)一族の女子に発現すると言われる占いの力の正体が、このようなものであったことに戦慄した。

 ただ漠然と運勢を占うのではなく、未来がどうなるかを占った際の星稔の女子(ノエ)の力は未来予知そのものである。そしてこの力がもし悪党にでも知られれば、ノエが犯罪に巻き込まれることは明白である。それと同時に、ノエから笑顔が失われることが俺にとって何よりも恐ろしいことだと気が付いた。

 だから。

「しょうがないな。一緒に行ってやるよ」

 だから俺は、ノエのワガママをずっと聞いてやることに決めている。

 妹のワガママを聞いてやるのが兄として生まれてきた者の運命というやつだし、なにより、俺にとってその流れは、とても心地良いものだからだ。

「ありがとうございます、兄さん」

 ただ一緒に出掛けるだけなのに心の底から嬉しそうにするノエを見て、思わず口端が上がりそうになるが、なんとか我慢した。

「大好きです!」

 照れ笑いを堪えきれなくなり、特性ドリンクを飲んで誤魔化した。



〈ブラッシング占い・終〉


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