思い出の場所
「さぁ、着いたぞ」
ノクトがそう言った場所は、様々な花が植えられた庭に建つ一軒の木造の小屋の中。小屋と言っても、ベッドやクローゼット、キッチンやテーブルと椅子といったものはあり、扉を隔てた先には、少し狭いながらも窓から庭が見えるバスタブ付きのシャワールームもある。こじんまりとしてはいるが、人一人が暮らすことはできそうだ。
しかし、それだけだ。約束の桜はどこにも見当たらない。
怪訝そうな顔をしたわたしに、ノクトは微笑みながら言った。
「そこのドアをこの鍵で開けてみろ」
彼が示したのは、何の変哲もない木製のドア。その先は庭に繋がるはずで、そこに桜の木はない。
手渡された鍵には、桜の紋様が描かれており、ドアノブをよく見ると同じ紋様があった。
ノクトを訝しむように見ると、彼は鍵でドアを開けるよう視線で再度促す。
わたしは促されるままに鍵を挿し込み回す。ガチャという音の後にドアを開けると――、庭だった。そう、様々な花が咲く、桜の木はない庭。
やっぱり、という感情を隠し切れず不貞腐れたように溜息をつく。するとノクトが堪え切れない笑いをこぼしながら、わたしにこう言った。
「すまない、言っていなかったな。鍵を“二周”回すんだ」
「本当に……、桜、見れますか……?」
怪しむわたしに、自信満々に、堂々と頷いて見せるノクト。
わたしは大きく溜息をついて、あまり期待しないようにしながら鍵を二周させた。途端、鍵穴から、さながら桜の色のような淡い光が溢れだし、鍵を抜くとドアと壁の境目からも光が溢れる。
込みあがる期待に胸を弾ませながら、わたしはドアノブを回した――。
――そこに広がっていたのは、一面に広がる桜の絨毯。そしてその中央に、空に届くのではと思うほどの枝垂桜が、淡いながらも色鮮やかなその髪を、優美に靡かせていた。風が背を押すように柔らかくも強めに吹き、同時に足元の花びらが舞う。その花びらに誘われるように、咲き誇る枝垂桜へと足を進めた。
溢れんばかりに桜咲く枝に手を伸ばす。優しく鼻孔を擽る香りに、なぜだか涙がでた。
「ここは一部の者しか知らない。そして、足を踏み入れることができるのも、限られた者だけだ。鍵はその一本だけ。ミアのものだ」
「わたしの……?」
わたしに寄り添うように立つノクトに視線を向ける。どこか切なげな表情を浮かべながら、ノクトは頷いた。
「そしてこれも、君のものだ」
そう言いながら、彼は後ろから首元に手を回す。後ろで留められ、首から下げられたネックレスに触れ見てみると、それは桜の模様が施されたペンダントだった。桜の花の中央には、銀色の光を帯びた蒼い石がはめ込まれている。
「首輪……?」
「いや、違う。それは、御守りだ」
わたしの言葉を即座に否定し、彼は言った。
「ミアを管理したり、制御しようとしたりする物じゃない。ミアが不安なとき、ミアに危険が迫ったとき、それらから君を守るための物だ」
“御守り”という温かい響きが、胸に広がる。自然と口角が上がるのがわかり、嬉しさが溢れてきた。
「何かあったら、それを握って俺の名を呼ぶんだ。声に出してもいいし、ただ思うだけでもいい」
「そうしたら、どうなるの?」
「すぐ、俺が駆けつける」
「えっ」
心強過ぎるものの、魔王という立場では忙しいだろう。申し訳なさに心が引ける。
「あの……、お忙しいでしょうし、ご迷惑をおかけするわけには……」
「気にするな。俺にとっての最優先事項はミアだ」
気にするなと言われても気にしてしまうもの。わたしが困惑しているのが伝わったのか、彼が妥協案を出してくれた。
「では、声を繋げるのはどうだ? それなら、気兼ねなくいつでもできるだろう」
「お忙しかったら、言ってくださいね?」
「……わかった。だが急を要するようなら、即座に君のもとに向かう。いいな?」
一瞬の間が気になったものの、わたしは頷く。するとノクトは満足そうに笑みを浮かべた。
ノクトは枝垂桜の根元に座り込むと、「ミアも座るといい。少しゆっくりするとしよう」とわたしを誘う。
わたしも彼の隣に座り、桜のカーテンがかかる中、木漏れ日を浴びながら微睡みの波に揺られた。
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