無彩色の男

善光大正

第1話

 見失った。

 もはや、まじないの類か。いや、姿はそこにある。見えているはずである。そこに在るのはわかっている。ただ、さっきまでその人たらしめていたアイデンティティなどのパーソナルなもの、いや、生命的なものを感じられない。ただ、はじめからそこに置かれていて、風景の一部と化したオブジェが鎮座しているだけだ。


 それを目の当たりにした我々は、先程までの盛り上がりとは打って変わって、一同焦った顔で周りを見渡している。私は、まるで霊でも見えているかのように、虚ろにを眺めていた。

 そこには、人の姿をしたがあるが、先程、意気揚々といないいないばあをやって見せようと言って場を盛り上げた人物の姿はそこにはなかった。人物を表すアイコンのようなもの、最たるものである顔を隠すことによる匿名性以上のものが失われている。はじめからそんな人物など存在しなかったかのように。


「ばあ!」

 ビッグバンが起きたような衝撃だった。そこに再び現れたのだ。もう助からないだろうという事故に巻き込まれた人物が、生還して再びこちらに向かい、歩んでくるような、そんな衝撃だった。どれだけその言葉を待ちわびただろうか。

 呆気にとられた一同は、驚くことすら忘れており、状況を理解した者を発端に拍手喝采となった。皆、まともに言語処理が及ばず、ただ感嘆符を吐くだけであった。


 私は「どうやってやったんですか?」と訊ねる一言を思いついたが、それさえも、ただ顔を隠しただけの事で、そんな浅はかな質問は幼稚であると判断し、却下した。別の者が「何が起こったかわからない」と感想を述べた。それは一同が心に秘める感想の代弁のようなもので、皆それを言いたかったというように、うんうん、と頷いた。


「まあ、簡単なことですよ。ただ顔を隠しただけですから。」

 言葉にするとたしかにそうである。ただ、その回答を聞いて、あの時黙っておいて正解だったと安堵する。顔以外のもの、その人物を表すすべてが消されていたのだから。しかも、そこに実態を残しながらそれをしたのだから、不気味で仕方がない。


 何か、心理的なトリックが働いて、集団ヒステリーを巻き起こしたのかと思った。私が推察できるもっともらしい結論であった。


 昼過ぎ、灰色の空の下、公民館の一室を借りて行われたイベント前の企画会議。変わらずに照らし続ける蛍光灯の明るさが不気味だ。最初から何も変わらぬ日常。世界は相も変わらず動いている。現実に戻された我々は、寄って集って質問攻めをしている。もはや、今更に行われる質疑応答など、的を得ないことばかりで、意味などなかった。


「はじめは、小さい子と遊ぶ際によくやってただけなんですがね。一度本気でいないいないばあをやってみようと思ってやってみたら徐々にここまで来たって感じですかね。」

 その発言から省略されたものが何なのか、私は必死に考えた。何をどうやって。ただ、考えてみても我々が見たのはまじないでもない、ただのいないいないばあだ。

 そう考えあぐねる私をよそに、周囲は実際にいないいないばあを行って見せ合い「どうだった?」と互いに改めてそれを確認していた。

 大人でも騙されるのだから、よっぽどのことである。今まで見た映像作品、人生経験上の景色を大きく塗り替えた5分間であった。彼はいないいないばあの達人である。

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