答えを出してくれる歴史
森本 晃次
第1話 高2のみずき
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年7月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。
今年、高校2年生となった、南野みずきは、成績はパッとするわけでもなく、友達もそんなにいるわけではない。つまりは、
「どこにでもいる、目立たない生徒だ」
ということを、自他ともに認める生徒であった。
もっとも、自他ともに認めなくとも、学校にいる生徒の大多数は、皆似たり寄ったりの生徒が多いので、要するに、
「目立たない」
というだけのことだった。
高校生になってから、覚悟はしていた。
「1年生くらいは、それなりの高校生活は送れるけど、2年生も途中からだと、大学受験を考えないといけない」
ということであった。
「そういえば、中学時代も、あっという間に終わってしまったような気がするな」
とそう思うのも、
「自分が、しっかりしていなかった証拠だ」
と思っている。
だから、高校に入ると、そんな気持ちを払拭し、ダラダラ流されることなく、
「学年の節目を大切にしよう」
と思っていたのだ。
一年生の時は、思ったよりも、うまく行ったような気がした。
ただ、相変わらず、自分から人に接していくことは苦手だったことで、人から誘われることはあっても、自分から、人に絡みに行くことができなかった。
「人に絡めないと、楽しくない」
と言われ、必死になって、絡もうと努力をしたことはあった。
だが、努力というのは、
「前向きでいる時は、それなりに自分の力になるものだが、少しでも、後ろを見てしまうと、そこには、プレッシャーしか生まれてこない」
ということで、前に進めない自分がそこにいることを感じてしまい、
「時間で刻まれる規則正しい生活を自分の糧にしたい」
と思っていたことが、意外と却って、プレッシャーに繋がってしまうということに気が付いた。
つまり、
「いいと思っていることでも、裏を返すと、うまく行かないことが、往々にしてある」
ということであり、それは、
「自分がプレッシャーと感じることの重圧に負けてしまうということを、考えないつもりで、どこかで思い出してしまっているのではないだろうか?」
と考えるのだった。
最初は、
「高校の受験も、なるべく無理をしてでも、いい高校に入っておけばいい」
ということを言われ、
「確かにそうだ」
と思ったものだった。
確かに、
「最初に頑張っていれば、後で、努力は報われる」
という、まるで、童話にある、
「アリとキリギリス」
の話を読んで、
「当たり前のことだ」
と感じたのを思い出していた。
しかし、それは逆だったということに、その時のみずきは気づかなかった。
というのは、
「高校受験を頑張って、もし、合格していたとすれば、そこで同級生になるのは、元々、皆自分よりも、学力のある生徒で、これまでいくら、クラスでトップクラスだったとしても、新しい学校で、優秀な生徒に囲まれると、自分はしたから数えた方が早いくらいだ」
ということになるのだ。
分かっていても、屈辱のような感情は、自分を抑えることができないもので、
「これまで、トップクラスだったのに」
という感情が芽生えてくると、当たり前のことも分からなくなってくる。
「トップクラスしかいない学校に入ったのだから、当たり前のことだ」
といっても当然のことであり、
「どうして、こんな当たり前の、まるで小学生でも分かることが分からなくなってしまっているんだろう?」
と感じるのだ。
それも、
「一つのことを曖昧に考えないという思いが嵩じて、自分の気持ちに余裕がなくなり、それがプレッシャーとなることで、必死になるということが、もがき苦しむ自分を見せることになる」
という当たり前のことを、
「今の自分だから見ることができた」
とは思えないのだろう。
「プレッシャーが見せてくれたとは感じることなく、誰もが一度は通らないといけない道」
ということを、分かっているつもりで、
「認めたくない」
という理屈が成り立つのは、
「やはり、高校生だからではないか?」
と、その時だけは、
「小学生の頭になっていればいいのにな」
と感じるのだった。
高校に行くと、中学時代のように、簡単に友達にあるということはなかった。下手に友達になって、その中で、ハブられたりすることだってあるだろう。
「そうなると、せっかくの高校時代を孤独に過ごすことになる」
と思うのだが、そんな生易しいことではないような気がするのだった。
中学時代には、さほど目立つことのない苛めがなかったからよかったのだが、実はそれも、影でやっているだけで、見えていなかっただけなのかも知れない。
そういう意味で、
「誰かのグループに属していた」
というのが功を奏したのかも知れない。考えてみれば、皆小学生の頃から仲が良かった連中ではないか。
これが高校生になると、どこから集まってきているのか分からない集団が、どういう絡みなのか、グループを作っている。
それを見た時、
「グループがこんなに安易にできるというのは、きっと、その間に力関係が最初から存在していて、関係性は見えているものと、実際とではまったく違う。主従関係なのではないだろうか?」
と思うのだった。
皆、先生にはバレないようにしていて、それが、次第にうまくなっていくのが、高校時代だった。
その頃になると、親も、子供のことを苛めるというよりも、
「育児放棄」
という親も多いようだ。
子供には、最低限のお金だけ渡しておいて、自分は男と、昼間から、ホテルにしけこむなどということが平気で行われていたりするだろう。
男の子でも、ショックだろうが、女の子は、そう感じるだろう。
「自分が母親になったら、あんな母親にはならない」
と思うのは、昭和の時代くらいまでだろうか?
「私にも、母親のあの淫蕩な血が流れているんだわ」
ということで、男遊びに目覚める子供もいるだろう。
自分の淫乱を、
「すべて母親のせい」
ということにしてしまえば、どれほど気が楽か。
ただ、中には、変なグループに首を突っ込んでしまったりして、危ない道に首を突っ込んでしまって逃げられなくなる。
昭和の頃だったら、
「薬漬けにされば、風俗に売られる」
下手をすれば、
「東南アジアなどに、売られる」
ということもあっただろうが、今はどうなのだろう?
向こうの方が、潤っている国だったりして、日本人が却って出稼ぎに行きたいと思うくらいなのかも知れない。
日本では、法律も厳しくなってきたので、
「海外に拠点を移すか?」
という組織も多く、女も、
「一緒にいく」
という、目先のことだけを考えていく人も中にはいるかも知れない。
ただ、さすがに自由もなく、
「お金のために身体を売る」
ということの恐ろしさ。
それは、貞操問題というよりも、もっとシビアな問題があるかも知れない。
「外国に行って、どこの誰とも知らない外人と身体を重ねることで、どのような病気に罹るか分からない」
というものだ。
この間も、日本は、
「性病の巣窟と化し、今までにない深刻な状態になった」
といっているが、結果的には、
「外人が持ち込んだ」
ということであり、海外からの電線がどれほど怖いかということを、まったく分かっていない、
「お花畑のような発想」
であり、それこそ、平和ボケの象徴といえるだろう。
そんな状態において、みずきは、
「母親に対しての恨み」
を決して忘れることはできなくて、自分を放っておく神経を恨んだ。
しかし、その一方で、
「オンナとしての生き方」
をまっとうしている母親を羨ましいとも思うのだった。
「恨みと、羨ましい」
似ている言葉ではないが、恨みも羨ましさもどちらも強いと、感覚がマヒしているのか、同じレベルの同じ感覚に思えてくると、似たような意味に思えてきた。
それは、
「自分で考えることを辞めてしまった」
といえるのではないかと思うほどで、
「子供だからできる特権なのではないだろうか?」
と思うのだった。
大人になったことはないが、大人になると、責任が生まれることは分かっていて、それだけに、
「大人になりたくなんかない」
と思うのは、羨ましいという思いを抱きながら、恨みを感じる母親に対しての、言い知れぬ苛立ちがそう、思わせるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「自分が親になったら、子供には、こんな思いはさせない」
という気持ちがあることもさることながら、
「羨ましいと思う母親のような生き方をしてみたい」
という、まったく正反対の思いが自分の中に渦巻いている。
それが、
「恨み」
と、
「羨ましい」
という気持ちが共存した思いの中にいるからだと感じるのだった。
そんな思いを抱いていて、みずきの学校は、みずきが考えているよりも、いろいろな人間がいるようだった。
高校2年生になって、すぐの頃、クラスメイトから、先生に分からないように、カンパの依頼が回ってきた。
男のカンパなのかすぐに分かったが、他の人は、すぐにお金を出しているようだったが、みずきは迷っていた。
「出せるだけのいくらでもいいから」
というのが、回し始めた人の言い分であったが、その理由に対して釈然とした納得ができなかったからだ。
理由というのは、もちろんというべきか、
「クラスメイトの女の子が妊娠したので、堕胎費用が必要だ」
というのだ。
カンパを募ろうとした人は、親友としての親切心から、妊娠してしまったその子を助けたい一心なのだろうが、みずきとしては、
「どうして、私たちがカンパしないといけないの?」
という思いであった。
そこには、母親に対しての思いも含まれていた。
つまりは、
「恨み」
と
「羨ましさ」
である。
相手の男がどういうやつかは分からないが、
「どうせ、そのあたりの、ナンパな大学生か何かで、無責任なことをしたのだろう」
という思いであった。
「ナンパする男も男だが、ホイホイつぃていく女も女だ」
としか思えないのだ。
しかも、百歩譲って、
「お互いが好きどうして、親が許してくれない。苦肉の策として、、既成事実を作ることで、結婚しようと考えた」
というのであれば、理屈としては分かる。
しかし、それを認めるわけにはいかない。
なぜなら、
「元々は軽い気持ちだったのだろうから、二人がどこまで本気なのかは分からないが、作ったこともは、しょせん結婚したいというだけの既成事実のつもりだったというのであれば、うまく結婚までこぎつけたとしても、それがゴールというわけではない。ゴールだと思えば、そこがスタートラインだと分かったとしても、相手はどうだろう?」
と考える。
そうなってしまうと、結婚生活がうまく行けばいいが、ぎこちなくなってくると、もはや子供は、
「邪魔者」
でしかないのだ。
邪魔者を生んでしまったのだから、
「じゃあ、いらないや」
といって、どこかに捨ててくるわけにもいかない。
「勢いで結婚してしまったけど、家族に縛られて、気が付けば、遊ぶこともできない。ましてや、子供を育てなければいけない」
と感じる。
そうなると、親のいうことが分かるわけがない子供が、ぐずったり、泣きわめくのを、苛立ちでしか感じることができない。
いけないという思いがあってなのか、それとも、考えないようにしようとしているからなのか、育児放棄に走ったりするだろう。
家では、旦那と毎日のように喧嘩。女は、そのうちに、
「子供がその原因だ」
と思うようになる。
決して、自分の非を認めようとはしない性格なので、どうにもすることはできないのだ。
そうなると、女の神経は、瓦解してしまうだろう。
「情緒不安定」
となり、
「被害妄想」
も甚だしい状態になれば、すべてを他人のせいにして、自分は好きなようにしようと思うことだろう。
誰のせいにするかというと、もちろん、ターゲットは、旦那である。
「旦那が私の思い通りにならないから、私に子供を押し付けて、私だけが苦しい思いをしているんだ」
ということである。
しかし、子供がいるので、なかなか勝手な行動もできないと、まだ、まともな神経は残っているだろう。
しかし、たとえば、
「旦那が表で浮気をしている」
などという疑惑が起こると、抑えが利かなくなってしまう。
それでも、まずは事実関係をしっかりさせようとして、旦那を責めてみたりするのだが、旦那とすれば、実際に浮気をしているという手間、嫁さんに言われると、言い訳しかできない。
旦那としてみれば、
「俺だって、遊びたいのに、お前を結婚したことで、好き勝手にできない。夜だって、こっちは、子供がうるさくて、眠れない状態にさせられて、一体どうすればいいというんだ?」
ということを、頭に刻んでいるので、浮気をしても、
「俺が悪いんじゃない。お前がちゃんと子育てをしないから、こんなことになるんだ」
と完全に、すべての責任を相手に押し付けて、
「浮気もやむなし」
ということで、言い訳を完全に、自分の中で正当化するのであった。
「男には、それができるんだ」
ということは、後になって分かることだが、もうそうなってくると、後は、
「離婚に向かって、まっしぐら」
ということである。
離婚というものを正当化するわけではないが、少なくとも、一度くらいの離婚は、
「まあ、しゃあないか」
という程度である。
昔のように、
「戸籍に瑕がつく」
などという考えは、
「昭和の古臭い考え」
ということで、きっと、数十年前に流行った、
「成田離婚」
などという言葉が言われるようになってから、離婚に対して、皆の感覚がマヒしていったに違いない。
成田離婚というのは、
「新婚旅行で、海外に行く人が、ここを利用するのだが、要するに、新婚旅行から帰ってくると、その時点で、離婚が固まっていた」
ということである。
ちなみに、法律で、
「再婚禁止期間」
というものがあり、
「男性はその限りではないのだが、女性は、半年は再婚できない」
というものである。
ここだけを聞くと、
「男尊女卑につながる。昔の考えが残っている」
と思われるかも知れないが、実はそうではない。
戦前まであった、
「姦通罪」
というのとは違うのだ。
姦通罪というのは、
「配偶者を持っている女性が、他の男性と姦通、つまり、身体の関係になってしまう、いわゆる不定を行った場合に罪になる」
というもので、決して、男性が、不貞を働いた場合には、姦通罪とならないというものであった。
これこそ、大日本帝国憲法下の法律で、
「男尊女卑」
という考えの下で作られた
「旧刑法」
だったのだ。
だから、敗戦後に、占領軍による
「民主主義の押しつけ」
で作られた、
「日本国憲法」
に定められた。
「基本的人権の尊重」
であったり、
「法の下の平等」
というものから、
「男尊女卑というのは、違憲である」
という考えの下に、新刑法では、姦通罪というものは、法律の条文から、削除されるようになったのだ。
だから、姦通罪というものの削除は、
「姦通というものが、時代背景において、感覚が変わってきたから」
という、他国とは、日本は事情が違ったのだ。
他の国では、そんな男尊女卑のような考えで存在下姦通罪えはなかったのだ。
それだけ、日本の法律は片手落ちだったということなのかも知れない。
ある意味、
「大日本帝国」
と、
「日本国」
というのは、
「その隔たりは、想像以上のものだった」
といえるのではないだろうか?
だが、今回問題になっている。
「再婚禁止期間」
というものが、女性だけにあるというのは、男尊女卑でも何でもないのだった。
というのは、
「これは、刑法に関係することではなく、民法上の問題であり、民法における問題とは、最終的に、遺産相続に絡むこと」
なのであった。
もちろん、一足飛びに、
「遺産相続問題」
となるわけではないが、要するに、
「離婚してから結婚し、すぐに妊娠が確認されたとすれば、一体その子は誰の子になるのか?」
という問題からであった。
だから、半年間、結婚ができないということにしておけば、その間に懐妊が判明したとしても、その子は、前の夫との子供だということになるのだ。
ただ、不貞が原因における離婚であれば、
「果たして、そう言い切ることができるであろうか?」
ただ、それも、もし母親が、
「離婚した旦那の子ではない」
と言い張れば、DNA鑑定でもすれば、納得がいく答えが出るのだろうが、離婚が成立した後であれば、妊娠したことに対しての妻の責任を追訴できるわけではないだろうから、
「DNA鑑定」
というものを申し込むことくらいはできるだろう。
もちろん、着ますさもあるだろうから、言いだすことができない場合もある。ただ、お互いに弁護士を立ててのことになるので、お互いに面会するということもなく、最終的な書類の調印には顔を合わせることもあるかも知れないが、それでも、お互いに、
「弁護士立ち合いの下」
ということになるだろうから、変ないざこざが起こるということはない。
なぜなら、当事者が
「一時の感情から、相手に暴力をふるったり、そこまでしなくても、暴言を吐くだけで、あっという間に条件が不利になることは否めない」
というのだ、
そもそも弁護士というのは、
「依頼人の利益を守る」
というのが、その存在意義であり、
「刑事裁判」
などになると、その責任は大きなものとなるのである。
だから、女性側は、子供をどうしても、
「元旦那側の子供だ」
ということにしたくないんだということになるのであれば、DNA鑑定でもしてもらい、親子認定をしてもらう必要があるだろう。
ただ、それは今だから言えることで、この法律ができた頃は、まさか、
「DNA鑑定」
などがあったわけではないだろう。
ただ、どこまでか、曖昧ではあっても、できるくらいの科学はあったのかも知れないが、法的には曖昧すぎて適用できないという程度だったことだろう。
だから、半年の、
「再婚禁止期間」
というのが、女性側だけに存在するというのは、
「女性の権利や利益を守る」
という意味で、重要なことだったに違いない。
そんな問題はあるが、そもそも、そんなに簡単に子供ができるというのがm不思議といえば不思議なのだ。
「結婚のための既成事実」
として、子供をつくろうとしてできた子供であれば、
「子供ができた」
ということに対しては、
「当然の結果だ」
ということになるだろう。
しかし、
「ただの遊びのつもりだったのに、懐妊してしまったことで、結婚もやむなし」
ということで、いわゆる、
「できちゃった婚」
というのが、トレンドになった時代もあった。
しかし、これは、まあマシな方である。
というのも、
「子供ができたから、結婚:
というのは、倫理的には、褒められたことではないだろう、
「子供」
というのを、理由として結婚するというのは、
「男の責任を果たす」
ということで、本来の、
「愛し合っての、その最終形態が結婚というものだ」
ということから、かけ離れているということになるだろう。
それでも、
「責任を果たす」
というだけ、偉いともいえる。
大体の場合、男が遊びであれば、女の方が、思い切って、
「赤ちゃんができた」
というと、男は何とか逃げようとして、まず第一声は、
「本当に俺の子か?」
というに違いない。
女としては、思い切り失望するだろう。
というのは、
「まるで、私は他の人とセックスをして、子供が生まれてというような言い方よね?
といって、怒ることだろう。
これも、男としては計算ずくなのかも知れない。
というのも、女がそうやって感情をコントロールできなくなると、感情論に走ってしまい、理論で話をしようとすると、男は気持ちに余裕がある分、いくらでも言い含める自信があるだろう。
女性は、とにかく、妊娠してしまったのは自分なので、不利なことも分かっている。
そうなると、
「徹底的に逃げる男を追いかけても、追いつけるわけはないのだ」
というのだ。
男としては、最初から逃げる体勢なので、逃げ方も分かることだろう。
まさか、生まれる前から、DNA鑑定などできるはずもない、そうなると、女も強くはいえない。
それでは何を考えるかということになると、
「産むか?」
それとも、
「堕胎するか?」
ということであり、結婚どころか、最初から逃げる男性の子供を宿したことに、後悔しかなく、完全に恋は冷めてしまったとすれば、後は、
「子供の始末」
しかないのだ。
そのためのカンパということなのだが、みずきは、まだまだ、そのあたりのことに関しては、知識がなかった。
そうなると、感情や理屈もよく分かるわけはなく、
「せっかく授かった命を」
という、正当派な考え方しかできないのであった。
だから、みずきは、
「私はちょっと」
といって、カンパはできなかった。
そうなると、まわりからすれば、
「何をお高く留まっているのよ」
と、協調性のなさしか、みずきに感じない。
「そんなに、お金がもったいないというのかしら?」
と友達の危機だと思っているので、皆はそうとしか思わないが、みずきにしてみれば、
「そこまで仲良くもないのに」
という思いの方が強く、
「決して交わることのない平行線を描いている」
ということであった。
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