第51 権威


1545年(天文14年)7月下旬 相模国 小田原



「ほう。北条家は、当家に全面降伏すると言うことで、良いのじゃな。」


俺が小田原に陣を敷き、小田原城を包囲してから三日目、北条家より降伏の使者が来た。

使者として訪れたのは、北条 幻庵(げんあん)。北条家の先代当主、北条氏綱の弟であり、北条一門衆の筆頭とも言うべき、北条家の重鎮である。


「左様でございます。最早、当家単独で対処することは到底叶いません。ここは情けなくも、左近衛権中将様の御情けに縋る他はございません。ただ…」


中々に口の回る坊主である。使者として訪れた幻庵が提示した、北条家の降伏条件は概ね納得できるものだった。

北条家は降伏するにあたり、全ての領地の権利を長尾家に譲渡すると言う。 その領地には北条方の家臣や国衆の領地も含まれる。


それは、日本に中央集権国家を作ることを目指す俺にとって、非常にありがたく都合の良い話である。

ただし、その条件として、北条家は幾つかの要求をしてきた。


①北条家の一族及びその家臣の保護

②今川家との戦の仲裁

③河越で包囲されている城兵の助命・救出


大体、こんな感じだ。


①については問題は無いな。北条の家臣たちを保護と言っても、要は長尾家で雇えということだ。

北条家の優秀な家臣団を長尾家に取り込めるなら、むしろこちらから頼み込んでも良いくらいの話である。


②の条件もそれほど難しくは無い。俺から書状を出せば、おそらく今川は退くであろう。

今回、今川には北条領であった河東の領有を認める。その代わりに、伊豆の侵略まで目論んでいたようだが、伊豆は諦めてもらうことにする。伊豆は長尾領にする予定だからな。

今川に不満は残るだろうが、雪斎坊主はそれで兵を退くはずだ。

退かぬなら、一戦交えるのみだ。


問題は③だな。現在、関東連合が包囲している河越城、その包囲されている城兵の助命・救出、それが少し厄介である。

現状、関東連合は俺の統制下に無い。先日は一戦交える寸前までいっているのだ。

むしろ関係は悪いと言って良いだろう。

そんな関東連合が、俺の話を聞いて、素直に河越城包囲を解くのか?


今回の関東の動乱で、関東連合は8万もの兵を集めながら、未だ何も成し得ていない。

精々、河越周辺で乱取りを行っているくらいだ。河越城も包囲するばかりで、寡兵の川越城すら落とせていない。

その関東連合の不甲斐ない戦振りに対して、長尾家はあっさりと北条を降して、その居城小田原城を奪取している。

それでは、関東連合の主導者である山内、扇谷の両上杉、古河公方の面子は丸潰れであろう。

俺も、その無能ぶりを段蔵に命じて、関東中に散々広めているしな。


つまり、関東連合としては、その成果として、是が非でも河越城は落としたいのだ。

それすら叶わないとなれば、連合の主導者たちの権威は失墜する。


『こいつら、8万も揃えて、こんな城も落とせないのか?それに比べ、越後の大将は…』


そうやって、関東の武士たちから見放されることとなるだろう。


幻庵は連合が満足するなら、北条家当主である氏康の首を差し出しても良いと言っていたが、俺にはその気は無い。


アホか!せっかく手に入りそうなSS武将を、俺が手放すはずが無かろう!

そんなことをすれば、俺は北条家の家臣たちからの信も失うだろうしな。


取り敢えず、関東連合には使者を送る。

関東連合が河越城の包囲を解く代わりに、河越周辺の北条領を連合側に差し出す。

そういった連合側に一定の配慮を示したものだが、さて連合は受けるかな?


どちらでも良い。

受けぬとなれば、河越で戦だ。




1545年(天文14年)8月上旬 相模国 小田原城



幻庵との協議から10日が過ぎた。北条家の降伏の履行は現状、順調に進んでいると云える。

北条家の居城である小田原城は、抵抗する事無く開城した。他の北条方の諸城も玉縄城(たまなわ)、津久井城、小机城(こづくえ)三崎城、江戸城等の諸城も長尾家に恭順の意を示している。


そして、今川は兵を引いた。

色々思うところはあるだろうが、河東地域の割譲で納得して駿府へと帰っていった。


伊豆まで進めは、長尾家との戦に成る。


そう、空気を読んでの、大人の対応と言えるだろう。


しかし、世の中には空気の読めない馬鹿もいる。

扇谷上杉家当主・上杉朝定である。


そう、河越で家と一触即発の事態を招いた、元凶だ。

こいつは河越城の包囲を解くことに反対したばかりか、相模、関東南部の旧北条領の領有まで主張したのだ。

確かに、相模と武蔵南部は、かつては扇谷上杉家の所領であったが、既に永らく北条家に依って統治されている土地である。そしてその地は長尾家の物となった。


今更、扇谷上杉がどうこうと、言える筋合いは無いし、その主張を長尾家が聞く義理は無い。


まったく。余程家と、戦がしたい様だな。


現に


「上等じゃぁ、コラァ!カチコミじゃぁ!」


「家を舐め切った若造に、痛い目見せちゃリましょうや!」


家の、血の気の多い奴等が激高している。


既に、ヤル気満々のご様子だ。


俺にも止める気は無い、止めれば逆に武家の当主としての俺の資質が疑われる。

この乱世、相手に舐められるのだけは、避けねばならん。


喧嘩を売られて


『まあまあ、落ち着いて。』


等と理性的に対応していては


『長尾家は甘い家だ。多少の無茶なら許される』


そう、他家に舐められる


喧嘩を売られたなら、即殴り返す。

それが、この乱世の鉄則だ。


思えば、この所戦では人死にをなるべく少なくするように心掛けて来た。

大勢死なせたのは一向宗との戦位か、あの時はまだ、俺は蔵田家の分家だった頃で、小身で余裕が無かった。勝つ為に必死だった。


だが、此度は違う。長尾家は強大で余裕がある。

それでも、俺は此処の戦で大勢を殺す。


悪いが、関東連合の連中には、今回見せしめになって貰う。

この乱世を統一するには時には、強さを見せ付けねばならない時が有る。


そもそも、北条家は、長尾家の家臣と成るのだ。その家臣を守る為に、戦うのは当然の事だ。


「関東連合に宣戦布告を行う!目指すは、河越!窮地に有る同胞を、救い出す!」


「「「おおおおおおおおおおおおおぉぉ!!」」」


こうして、長尾家は関東連合との全面戦争に、突入する事となった。





1545年(天文14年)8月上旬 武蔵国 河越 長野業正




【心慌意乱】突如として齎された、長尾家からの宣戦布告。その報せを知った関東連合の諸将の反応を見た。それが儂の感想である。


気勢を上げる者も僅かに居るが、多くの者が青い顔をして落ち着きなく周囲の様子を窺ったり、隣の者と密談を行っている。


大方、逃げる算段か、裏切る算段を付けているのだろう。


『情け無い。』と思う反面、その気持ちも理解は出来る。


この河越に集まった諸将の殆どは、僅かな領地しか持たぬ小領主達だ。

此度の戦の相手は北条のはずであった。

北条が相手であれば、関東が纏まれば何とかなるのではないか?

そう思い、両上杉、古河公方の求めに応じて参戦した者も多いだろう。

あるいは、大国である長尾家が味方となるなら、勝馬に乗るべきだ。という考えもあったはずだ。

それが、そんな頼もしい味方の筈の長尾家が、あろうことか、この関東連合に宣戦布告をしてきたのだ。


扇谷上杉家、当主・上杉朝定、奴のせいである。


長尾家は10万もの大軍を率いて関東入りし、河越で我らと合流することなく北条の居城小田原を目指した。そして河越城を攻めあぐねる連合軍を嘲笑うかのように、あっさりと北条を降した。

長尾中将様の、実に見事な手並みと言って良い。

中将様は北条の降伏を受け入れ、関東連合にも河越周辺の旧北条領を見返りに、河越城の包囲を解くように求めてきた。


河越城の激しい抵抗に手を焼いておった我らには、悪い話では無い筈だった。


それを、あの何も知らぬ若造が、中将様の要求を蹴ったばかりか、相模や武蔵の旧北条領の割譲までを中将様に求めたらしい。


それは…戦にもなる。


北条は、我らに降った訳では無いのだ。

長尾家に降ったのだ。

今や河越城に籠る兵は長尾家の兵と言っても良い。

まして河越城すら落とせなかった者が相模や武蔵の土地まで要求するなど、最早笑い話にもならんわ。


そんな愚かな若造の暴走を我が殿山内上杉家当主・上杉憲政も積極的に止めようとはされなかった。むしろ理は扇谷上杉家にある、という言い様である。


いつまで、その古き権威が通用すると思っておられるのか。


もう既に【関東管領】という権威を振り翳せば、無条件に関東の武士達が従う、という時代は終わっておるのだ。


此度、この地に集まった者達も、命を掛けてまで城攻めに臨む者は殆どいなかった。

それでも、この戦で8万もの軍勢が集まったのは、僅かながらもその権威が存在しているという事なのだろうが…その残り僅かな権威も、次の戦で地に落ちることになるだろう。


我が長野家も、身の振り方を考えねばならぬな。





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長野 業正(ながの なりまさ)

かの信玄に『業正がいる限り、上州に手は出せぬ』と言わしめた関東の名将、戦国のスーパ-爺さんの一人として、某野望系のゲームにも登場する有名な方ですね。

山之内上杉家に代々仕え、忠義の人のイメージが強い方ですが、憲政君とはあまりそりが合わなかった様です。先代が急死して山内上杉家で家督争いが起きた時も業正は、憲政君の対立候補を支持していますし、憲政君はは業正の忠言をあまり聞かず、憲政は笛吹峠で武田に敗れたという話も残っています。

そして、嫡男の吉業は、史実での河越合戦に参加し、重傷を負い亡くなっています。

まぁ、いろいろと相性が悪かったんでしょうね。


そんな業正さんですが、信玄を何度も撃破する等の武勇伝が伝わっていますが、

死去する際の遺言は、嫡男の業盛を枕元に呼び寄せて

『儂が死んだら一里塚と変わらないような粗末な墓を作れ。我が法要は無用。敵の首を墓前に一つでも多く供えよ。敵に降伏してはならない。運が尽きたなら潔く討死せよ。それこそが私への孝養、これに過ぎたるものはない』と遺言したそうです。


『どこの首狩り族だよ!』と突っ込みたくなる様な内容です。

中々、いかれた爺さんです。

長尾家のジャンキー爺さん達と、勝るとも劣らない逸材です。

もしかすると、この先長尾家スーパ-爺さんズとかジジィ四天王とか結成するかもしれませんね。


ここまで、お付き合い頂きありがとうございました!











 





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