第40話 とある軍師の苦悩

1544年(天文13年)8月初旬 対馬国 山本勘助



長尾家参謀局局長、山本勘助。それが現在の儂の肩書きとなる。

儂が我が殿にお仕えすることとなって、早くも7年が経とうとしている。


殿にお仕えする前の儂は、若くして立身出世を志し、自らを高めるために諸国を廻り、武者修行に励んだ。そして兵法や築城、金掘り、治水に至る様々な技能の習得に懸命に励んでまいったが、いざ仕官となると、矮小な体躯と武者修行の最中に隻眼となり、足を引きずるほどの怪我を負ったことが災いしたのだろう。中々仕官先を見つけることができなかった。蔵田家の仕官の噂を聞き付けた時も、駿河の今川家に仕官を求め、実に2年に渡って逗留しておった。


その噂とは、

「越後の神童が、糸魚川で新たな家を興したそうだ。それに伴い新たな家臣を募集している。家柄、容姿、男女は問わない、求めるは才のみ」


そしてその条件も良かった。才さえあれば年最低100貫、破格とも言って良い報酬である。

しかし幾ら条件が良いとはいえ、新興の蔵田家は僅か1万石の小身の家で、当主は未だ8歳の童と言う。


「そんな家がこの乱世を乗り越えられるのか?」


そんな疑念を胸に抱きながらも仕官先が見つからず、その日の糧にも窮していた儂は、一世一代の賭けに出ることとした。藁に縋る思いで妻子を連れて、当時暮らしていた駿河のあばら家を引き払い、越後の糸魚川に駆け付けたのだ。


その賭けは儂に大勝利を齎した。


求めて止まなかった生涯を賭けて仕える名主に出会えたのだからな。


仕官した当初、蔵田家は商いで稼いだ銭で随分と羽振りの良い家であった。しかし領する糸魚川の地は僅か1万石の小領主に過ぎなかったのだが、それが僅かの間に、越後・越中・信濃・飛騨・佐渡・出羽庄内を収める日ノ本一の太守と言っても決して過言ではない大身である。


この儂も長尾家の重鎮とも言える参謀局の局長にまで上り詰めることができた。儂でも過分と思えるほどの厚遇である。


殿には窮していた儂を拾い上げて頂いた恩義がある。

殿のお陰で2人の娘の婚儀を無事に済ませることができた。

長年連れ添ってきた妻に満足のいく暮らしをさせることができた。

嫡男に嫁を迎え、その跡継ぎを抱くこともできた。


その恩は「この勘助が生涯を掛けて返していく」と思っておる。

その辺りは儂の跡を継ぐ嫡男にもくどいほど言い聞かせておる。


それ程に殿には感謝しておるのじゃ。


軍師としても実績を積み重ね、「必ずや殿の期待に応えてみせる!」という自信も付いた。正に人生順風満帆と言える状況なのだが……。


ドドド~~ッン!

ドッカ~~ン!


「クワハハハハハハ!海賊共がまるで塵の様に宙を舞っておるわ!」

「カハハハハハッ!逃げても無駄無駄ぁ、この宗滴から逃げ切れると思うてかぁ!」


逃げ惑う海賊を、楽しげに焙烙火矢の餌食にしている二人の爺の姿を見るに、その儂の自信が揺らいでいくのを感じる……。


「果たしてこの儂に、この爺共を止められるのか?」


そんな不安に苛まれるのだ。


殿より仰せつかった対馬侵攻は驚くほど順調に進んではいるのだ。そもそもこの対馬を治める宗氏は、実情として対馬国内に宗氏の分家が38家もあり、唯でさえ小さな所領が更に細分化され、とても本家の統制が行き届く状況にない。

各分家がそれぞれに勝手に本家を名乗ったり、海賊を生業として周辺を荒らしたりと、混沌とした状況にある。とても宗家が一丸となって外敵に当たるなどできないのだ。


そんな中、殿の工作により朝廷から宗氏追討の詔書まで出された。対馬を治める宗氏にとっては溜まったものでないだろう。


現に宗氏の第16代当主、宗晴康は官軍として対馬に来襲した我々越後水軍を見て、いち早く居城の金石城を開城し、恭順の意を示した。


それは宗家による組織的な抵抗が行われないことを意味し、犠牲も無く敵の居城を占領することができたのだ。


本来ならば、長尾家にとっては有難い話である。


しかし、此度の遠征軍の総司令官の大殿こと長尾為景殿と副司令官・朝倉宗滴殿は些か不満顔であった。まぁ、戦場を求めて遥々越後からこの対馬までやって来た御仁たちである。ほんの僅かばかりではあるが、その気持ちは判らんでもない。


この御仁たちも何とか不満を抑え、対馬、壱岐周辺に潜む海賊退治を楽しんでおられる様子だ。


今日の有様の様にな、今も蜘蛛の子の様に逃げ惑う海賊狩りを随分と御機嫌に楽しんでおられる。別に海賊達に同情をする訳ではない。これらの者たちは九州沿岸や朝鮮の民を攫い奴隷として売買してきた輩で、同情の余地はない。自業自得というものである。


それでは何が不安かと言えば……今、逃げ散らかしている海賊達で、大方この辺りの主だった海賊達は始末し終えてしまった、という事だ。


それは早くも対馬周辺を我が長尾家の支配下に置いたと言う事。無事目標を制圧し、今回の戦の成功、終結を意味するのだ。


本来ならば……非常に喜ばしい事。殿もお喜びになるであろう。

しかし不安は……この御仁たちだ。


果たしてこの成果で満足するのか?

この程度のぬるま湯のような戦で終われるのか?


子供のように、楽しげに海賊共を屠っていくお二人を見る限り……不安しかない。


やがて目に見える辺りの海賊を狩り尽くしたお二人に、内心の不安を押し隠し提案する。


「さて、この辺りの主だった海賊共は始末致しました。御二人の御活躍、真に見事でございました。これで殿もお喜びになるでしょう、そろそろ越後に帰国を……」


「暫し待たれよ、山本殿。今しがた逃した海賊共も、それ以前に潰した海賊達も多くが西に向け逃走致しておりまする。このままでは賊の大本を潰したことにはならぬ。越後への帰国はその賊どもを討伐した後に考えるべきではあるまいか?」


「ふむ、確かに宗滴殿の言う通りであるな。このまま賊どもを放置すれば、また対馬の賊どもが息を吹き返すやもしれぬ。賊の本拠地を叩く必要は有りそうよな」


儂の撤退論を遮るように戦狂いの爺さんからの横槍が入った。それを聞いた大殿の眼が光ったのを儂は見た。不味い……。


大殿の言う賊の本拠地とは、この対馬より遥か南西に浮かぶという高山国(こうざんこく・現台湾)だ。


まさかとは思うが……高山国にまで船を向けるなどと言い出さぬであろうか?


「それよ、信濃守殿!このままでは対馬の民が何時また賊に脅かされるか判らん。此処は我々が民のために手を煩わせるしか無いのではなかろうかの?」


「クククク、流石名将と名高き宗滴殿よ!此処はこの儂が一肌脱ぐしかあるまい!」


おいおい!

あっと言う間に、高山国への遠征が決定しようとしているではないか!

なんということだ。此処は何としても儂がこ奴等の暴走を止めねば!




「暫し待たれよ!御両人、高山国は遥か大海の先、地の利も無く、補給も儘なりませぬぞ!」


「流石は名軍師と天下に知られる山本殿、もっともなご指摘で御座る。しかし、この宗滴、その辺は抜かりは御座らんよ、フフフ」


不敵な笑いと共に宗滴殿が懐から取り出した絵図には、おそらくは高山国のものであろう地図に、その各所にバツ印が打たれていた。

宗滴殿いわく、この絵図は以前の戦で捕虜とした複数の海賊から聞き出した証言を基に造られたもので、バツ印は海賊の拠点の場所を示しているらしい。


何と……用意周到な爺いか……。

と言うより、この爺、予めこの事態を想定し、この様な絵図まで完成させておるとは。

流石は名将と名高い男、やはり侮れぬ。


「おぉ、流石宗滴殿よ、これで賊共を急襲し放題ではないか!クククク、これで地の利は逆に我等のものとなったな!」


クッ、確かに大殿言う通り、兵法上は攻める方が圧倒的有利となる。

しかしだ。


「しかし御両人よ、補給はどう為される? 遥か遠方にて食料、焙烙火矢が尽きれば、こちらが逆に不利になりますぞ」


「食料など現地調達で良かろう」


「ですな、奴等は商人の真似事まで行う連中です、フフフフ、さぞかし色々溜め込んでおるでしょうな。何より殿も我々の出陣時『臨機応変に対応せよ』とおっしゃっておられた。ここはその言に従い、臨機応変に対応すべきじゃな」


失念しておった。今でこそ長尾家は補給を重要視し、専門の補給部隊までも擁する家であるが、この方々の時代は「補給は現地調達」が当たり前の時代である。

しかも今回の相手は海賊、その現地調達を実行する上で躊躇する理由も無い。


大勢は決したか……。


「しかし、勘助の言にも一理ある、念の為追加の食料と焙烙火矢を送る様に清兵衛に早船で伝えるとしようか。食料はともかく、焙烙火矢が尽きると楽しめんからの」


「左様で御座いますな、海戦の醍醐味が損なわれては興覚めで御座る」


お前等、「楽しめん」とか「興覚め」とか本音が駄々洩れではないか!

少しは隠すが良いわ!


あぁぁ……とは言え、既に高山国遠征は決まったようだ。


……殿、申し訳ありませぬ。

非才なるこの勘助では、この狂犬共を止めること……叶いませんでした。


今頃は遠き蝦夷の地に居られるであろう、我が主に心の中で詫びるのであった。


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