【コミカライズ】おとぎ話を信じて婚約破棄するはずが、策士な側近に執着されています
有沢真尋
第1話
「ねえ、アルドヴィーノ。わたくし小耳に挟んだのですけど、最近『身分の高い女性からの婚約破棄物語』が流行りだしているみたいなの」
「姫様、決裁の書類をお願いします」
「大丈夫、終わっているわ。私の優秀さを甘く見ないで」
話の腰を折りたい部下VS絶対話すと決めている姫君。
勝者はこの国の第一王女フェリーチェ、十八歳。月光色の銀髪に、青く澄んだ瞳の美姫。年齢にそぐわぬそつのない対応と、機知に富んだ会話で一目も二目も置かれる才女。
姫君のそばに立つのは、白金色の髪を首の後ろで束ねた青年、アルドヴィーノ・パンザニーニ。身分は伯爵の、二十九歳。細面に銀縁の眼鏡をかけて、机に向かうフェリーチェの手元を見下ろしている。
たしかに、綺麗なサインが記されているのを確認して、碧色の目を細めた。
視線の先で、フェリーチェがさっと書類を持ち上げて、飴色に艶光る机上でとんとん、と角を揃える。
「恋愛小説や舞台で、昨今では身分の高い嫌な女が、わがままを言って婚約者を捨てるの。他に見目麗しい好きなひとができたとか、そもそもぱっとしない婚約者がどうも気に入らなかっただとか、難癖をつけて。そんなつまらない理由で婚約破棄する姫が、どこにいると思う?」
生まれも育ちも姫君のフェリーチェは、そこでふふっと品良く笑った。
長年側仕えをしてきて、その心の内が恐れ多くも察せられるアルドヴィーノとしては、フェリーチェが何を言わんとしているかは概ね想像がつく。その上で、自分の考えを口にした。
「姫様の常識に照らし合わせて考えれば、あり得ないでしょうね。それは、少し前に流行った『婚約者以外の女性との真実の愛に目覚めた王子が、婚約者のご令嬢を悪役に仕立てて婚約破棄を言い渡す』の亜流かと思いますが。私は、いまだにあれが理解ができません。なぜ目先の恋人可愛さに、長年の婚約者を
これはアルドヴィーノとして、嘘偽りのない本心からの意見である。そもそもが家同士、国同士の都合で決められた結婚に「相手が嫌だ」「他に好きなひとが」という個人の感情を持ち出す意味がわからない。
(そんなものは一度呑み込んで、結婚後にお互い愛人を囲ってうまくやるくらいのこと、普通に考えれば誰でも思いつくだろう。なぜ結婚前にわざわざ騒ぎ立てる?)
周囲にまともな大人はいないのか? 教育係は何をしていた? と考えれば考えるほど理詰めで相手を潰したい気持ちになってくるので、なるべく考えないようにしている。
アルドヴィーノは無表情を保ったままでいたつもりだが、フェリーチェはその気持ちを見透かしたように楽しげに言った。
「お伽話の一種なのよ、婚約破棄物語は。考えの足りなさすぎる姫君にしても、真実の愛に目覚める王子様にしても。でもね、最近の『身分の高い女性からの婚約破棄』わたくしは嫌いじゃないの。なぜなら、わたくしにも参加の余地があるから!」
「参加?」
思わず、首を傾げて聞き返してしまった。フェリーチェは「ええ!」と明るく断言。
「わたくし、今こそ婚約破棄をしようと思います」
瞳をキラッキラに輝かせて、アルドヴィーノを見上げてくる。ふだん「実に
王族として、臣下の前ではさほど感情を見せないフェリーチェだが、こうして何か思いついたときは、子どものように無邪気にはしゃぐ。
側仕えとしてのアルドヴィーノには、そんなときのフェリーチェに対して、すかさず水を差すという大切な役目があった。
「姫様には現在のところ、婚約者がいません。破棄しようがないです」
事実であった。王位は第一王子である兄のダミアンが継承することが、すでに決まっている。さて、では王女殿下の身の振りはいかにというと、実はまだ決まっていない。目処すらたっていない。
この美貌にして才知、他国に出すならいっそ相手国を乗っ取るくらいのつもりで出さねばもったいない。国内の有力貴族と結婚するというのなら、政治的思惑と利権を整理しきってからでなくてはおいそれと相手が選べない。
側仕えとしてのアルドヴィーノも、その相手選びにはこれまで大いに口を出してきた。そういった事情から、難しさはよくわかっている。
アルドヴィーノはやんわりと指摘したが、フェリーチェには伝わらなかったらしい。
「はいっ、そこでわたくし、まずは婚約しようと思います!」
「相手」
「それはもちろん、長年のわたくしの理解者、アルドヴィーノ・パンザニーニ伯爵で!」
アルドヴィーノは、まじまじとフェリーチェの顔を見つめてしまった。声に出さずに「俺?」と呟く。そこはめざとくフェリーチェに気づかれてしまい、こくこくと頷かれる。
「俺……失礼、私と婚約をして、どうするつもりです?」
「破棄します。それはもう、手酷く振って捨てるんです」
「へぇ」
完全に、素が出た。アルドヴィーノは素早く咳払いでごまかして、フェリーチェに話の先を促す。
「物語の姫君の真似事をしてみたいというのは、わかりました。何故? なんのために?」
「それはもちろん、あなたの献身に報いたい一心です!」
「……手酷く振って捨てるのが?」
「いつになく鈍いですね、伯爵。物語によれば、高位女性に捨てられた男性はね、その後好条件の才女に巡り会って、最高の幸せを手に入れるの。だいたい辺境伯のご令嬢ね、間違いないわ」
「つまり、私は姫様にフラレて辺境伯ご令嬢に拾われるわけですか。へぇ、面白いですね。捨て猫の真似でもしてみましょうか? にゃーん」
極めつけの無表情で「にゃーん」と言ったアルドヴィーノを前に、フェリーチェは明るい笑い声を響かせた。
「伯爵は、その年齢まで結婚もせず、わたくしの補佐として働き詰めでしょう。さすがに問題だと思うわ。かくなる上はもう、私が責任を取って最高の出会いを演出しなければと心に決めましたの。そのための婚約破棄、それに先立ち、まずはあなたとわたくしの婚約。おわかりになって?」
破棄したいがための婚約。これで、フェリーチェは頭が切れる。突拍子もない発言の裏には、すでに政治的な策略が動き出しているのかもしれない。まずはそこを探るつもりで、アルドヴィーノは極めて冷静に答えた。
「わかりました。謹んでお受けいたします、姫様」
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