第十話 Safe n' Sound 5/8

朝霧セイジは、地面に突っ伏していた。


──動かねぇ。身体が、1mmたりとも。


目は見える。音も聞こえる。匂いも感じる。でも、身体が動かない。まるで意識が身体を離れ、自分を客観視しているみたいだ。

自分の右側後方で、マナブが突っ伏しているのが見える。その奥に鴨川が、同様にして倒れている。

マナブがこちらに向かって手を伸ばすのが見えた。

「セイ……ジ……」

音、というよりも口の動きで何を言っているのかを理解した。歯を食いしばり、いつになく必死な形相で自分の事を見ている。


「……思、い……だ……」

──何が言いたい。そんなに辛そうな顔をして、一体何を伝えたい。

マナブのその必死の伝言は、しかし、目の前に現れた脚によってかき消された。同時に、ざり、というマナブの顔と地面がこすれる音が聞こえた。


「あァ……最ッ高の気分だなぁ!」

頭の上から、『V』のやかましい声が聞こえてきた。脚から血を流し、それを痛そうに押さえているものの、彼は自分ら三人の頭上に仁王立ちしていた。まるで、勝ち誇っているかのように。


「思ってたよりも……ハァ、効き目が遅かったけどな……」

何の話だろうか。毒? 喫茶店で俺に盛った毒の事を言っているのだろうか。

先ほどから、『V』の行動には疑問が残る。空を飛べるという機動力を、こんな狭い商店街で自ら潰してしまってる。1度外に出るチャンスがあったのにも関わらず、来た道を引き返す。挙句こうして脚に4発も銃弾を食らっている。


──悔しい。


こんな年端もいかない年齢の少年に三人がかりで挑み、結果こうして地面に頭をつけているのはこちらの方だ。

『V』はそこまで強いヤツではない。たまたま俺たちが『TRカフェ』に入り、たまたま『V』が俺たちの文字を見ただけ。それだけで、ここまで優位に立たれてしまった。


「さて、と……」

『V』はこちらに背を向け、マナブの頭を踏みつけながらポーチを探っている。ボーっとする頭でそれを眺めていると、ヤツはそこから注射器を取り出した。


──何をするつもりだ。


『V』は注射器に向かって「『Venom』」と言い、出現した灰色の液体を、一切ためらうことなくマナブの腕に注射した。


──あ

何故、動けないのだろう。目の前で未成年がこんな目にあっているのに。今すぐにでも殺されそうになっているというのに。どうして俺は、助けの手を伸ばすことすら許されないのだろう。


──灰原の時と、同じ……。

同じだ。同じだった。11年前のあの日と、俺は何も変わっていなかった。「俺が守る」とか「俺が助ける」とか体のいい事を言って、結局みんな取りこぼしてしまう。

成長していない。学んでいない。反省していない。

──その報いだろうか。

この現状は──俺がこのクソみたいな殺し合いに巻き込まれ、こうして身体の自由を奪われ、すぐ目の前に殺人鬼がいる──こんな現状は、11年前から何一つ変わっちゃいない俺にとっての罰なのだろうか。


──違うだろ。そんなの。

頭がおかしくなりそうだ。マナブは、鴨川は、こんな目に遭っていい子じゃない。

俺はいい。俺はもう何度も間違いを繰り返した。この殺し合いがたとえ終わっても、俺は普通の生活に戻ることは許されないだろう。もうそこまで、手は汚れてしまった。

でも、あの二人の手は綺麗だ。あの子たちは必死に生きて、勝ち抜いて、これからもずっと、こんな殺し合いの事なんて忘れるくらい幸せな人生を生きなきゃいけない。


──俺がここで立たなくて、どうするんだよ!

自分を叱咤する。

このまま沈むように死んで、誰が幸せになるんだ……! 誰がマナブを、鴨川を、そして灰原を幸せにできるんだ……!


──しかし……。

俺に何ができる。こんな身体も動かせないような俺に、一体何が。

「俺から殺せ」と頼むか? いや、そんなの死ぬ順番が変わるだけだ。そもそもこの状況、交渉できる余地なんてどこにもない。相手にメリットのある交渉なんて、今の自分には思いつかない。


「よいしょ、っと……」

『V』はかがんだ状態から立ち上がり、鴨川の方へと向かった。脚はまだ痛むのか、左手で腿を押さえている。

セイジはマナブを見た。顔は見えないが、後頭部の向こう側に唾液の溜まりが見える。肩が上下しているのを見ると、まだ息はしているようだ。


──さっき……マナブは何を伝えようとしてたんだ……?

「思い、だ──」

ここで言葉は途切れた。十中八九『思い出して』と言おうとしていたのだろうが、一体何を指してそう言ったのか。

『V』が落ちた時か? 俺が『Sound』で爆音を鳴らした時か? 鴨川が発砲した時か? 『V』と初めて顔を合わせた時か? それとも、もっと前の事だろうか?

分からない。この短時間で何度も感情が動いた。短い間のことでさえ、全てを思い出すことはできない。


「──楽にイけるからね。苦しいのは数分だって」

目を動かすと、『V』が鴨川の腕を掴んで注射器を構えているのが見えた。彼女はまだ意識が残っているのか、うめく声が聞こえてくる。しかし身体が動かせないので、抵抗する術がない。


──『思い出す』……。何を? 何をだ? 今までの事、全てか?

何か、今の俺にもできる事があるんだろうか? でも、文字は全て使ってしまった。

「Search……Scythe……で、Sound……」

セイジはぼそぼそと呟く。言っている途中で、涙が出てきた。

──駄目だ。話にならない。目の前で二人が死にかけてるってのに……。


ボロボロと、涙をぬぐう手すら動かせず、セイジは地面に伏せながら泣き続けた。泣きながら彼が考えていたのは、11年前に彼が救えなかった灰原アキトとユキという生徒。そしてそれに重ね合わせた岩橋マナブと鴨川ダイヤの事だった。


──ここで……力を振り絞って立ち上がれたら……。なんて……。

涙は地面に吸い込まれていく。呼吸することすら辛くなっていた。

──そんな……救世主になりたい……。ああ……なりたかった……。


セイジが思い出していたのは、彼が教師を志した瞬間の事であった。

そして、今の状況をたった一人でくつがえす、そんな最高にカッコいい自分の姿を思い描いていた。

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