第八話 Ash 6/6
「──どうなってるんですか!」
「俺が訊きてぇよ!」
僕らは走った。走って、セイジの自宅へと急いだ。
「止まれ」
セイジが僕らの前に手をかざす。すぐに僕は路地の壁際に隠れた。
「あそこだ」
そう言ってセイジが指さした家屋は、至って普通の一軒家だった。黒基調で、立方体と直方体が合わさったような形をしている。小さな駐輪場が隣にあり、周りは鉄柵で覆われている。窓が複数個所に付いていて、ドアは木製の大きなものだった。
そしてそのドアの前に、一人の男性が立っていた。
「……アイツ、ですか?」
僕らは後ろからセイジの家を見ている形なので、男の顔は見えない。骨格や背格好、服装などから恐らく男だ、と分かる程度だ。
「ああ。間違いない。あれが『A』だ」
「なんでセイジさんの家に……?」
「俺が知るか。ただ……ほら、ちょっと見てみろ」
セイジに指をさされ、僕は正面に顔を戻す。すると、『A』がセイジの家の窓から中を覗いている光景が目に入った。
「うわ……」
「気味悪ぃな。さっきはチャイムを連打してたし、ドアを直接叩いたりポストの中を見たりしてた」
「通報……した方が良いですかね」
「……いや。『文字』を持ってる者はあらゆる罪に問われない。したところで無駄だ」
「じゃあ……」
「これだけは言える」
セイジはそう言い、自分の顔と『A』と思わしき人物を交互に指さした。「アイツはあの家に……というか、俺にこだわってる。『A』がここに来たのは偶然じゃない。俺たちが『A』を追ってる間、アイツも俺を追ってたんだ。じゃなきゃこんなに俺の所在を確かめたりしない。……もしかしたら、アイツが横浜市に来たのも、俺を殺しに……って可能性もあるかもな」
「え、じゃあ、セイジさん」
「どうした」
「『A』はターゲットを決めて行動してる、って事ですか? 今までずっと無差別殺人だと思ってましたけど、何かの法則に則って……?」
「…………」
「セイジさん、誰かに恨まれるような事しました?」
「む……。あ……いや」
「どうしたんですか」
「ちょっと待て。その話はあとだ」
セイジは顔を上げ、路地から顔を出して正面の家を指さした。見ると、『A』がセイジの家の敷地から出ていくところだった。
「諦めたんだろうな」
「どうします?」
「方針は変わらん。ここで叩く」
「ここで……!? あ、ちょっと……!」
僕がセイジを止める前に、彼は路地を出て『A』へと近づいて行った。あまりにも無防備に、あまりにもあっさりと。
7メートル、5メートル、3メートル。二人の距離はどんどんと縮まり、あっという間にセイジは『A』の傍まで行った。そして、『A』の腕を掴んだ。
「──ここの住人に、何か用ですか?」
セイジがそう訊くのが聞こえた。『A』ははっとして振り返り、一瞬、動きを止めた。そして──
「──っ!」
『A』が何かを呟く。その直後、彼はどこかからナイフを取り出し、思い切り振りかざした。
「っつ……!」
セイジはすんでのところでナイフを躱し、『A』の横に回る。しかし、反撃のチャンスだというのに、彼はいつもの大鎌を出さなかった。
「──セイジさん!」
異変に気付いたのか、鴨ちゃんが路地を飛び出した。僕もそれに続いて路地を走り、『A』の背後を取る形で右手を構えた。
「『Machete』……!」
僕は右手に鉈を握る。ナイフを相手にしても優位に立てるよう、刃渡りの長いものをイメージして具現化した。
形としては、セイジが若干敵に近いが、三人で『A』を囲う形。誰かに刃を向けるには、誰かに背を向けなければいけない状況。
『A』は最低限の動きで周りを見回し、ナイフをぐっと握りしめた。
そしてその直後、『A』は走り出した。セイジと鴨ちゃんの間を抜け、左側に伸びる道を駆け抜けた。
──マズい、あの方向は……!
あの方向は、商店街がある方向だった。セイジがいざという時は逃げろ、と言って指さした、入り組んだ商店街。
「おまッ──」
「待て、マナブ!」
追いかけようと地面を蹴った僕を、セイジがブロックするような形で止めた。どうして、と訊く間もなく、セイジは『A』の方へと顔を向け、叫んだ。
「止まれ! 止まれよ!」
セイジは家の鉄柵に片手を置き、まるで上半身全体で声を出すみたいに息を吸って、大声で言った。
「止まれって! おい、灰原!」
しかし、『A』は止まらなかった。そのまま路地を駆け、曲がり角を曲がってその姿を消すまで、僕たちは茫然と見る事しか出来なかった。
*
「──知り合い……だったんですか」
「…………」
こくりと、セイジは頷いた。
「誰、だったんですか。アレは。『A』は」
「…………アイツ……」
ぽつりと、セイジは呟いた。「アイツ……右手に、『A』って……。文字を……あ、って……」
「…………」
「……マナブくん」
ふと、鴨ちゃんが僕の肩に手を置いた。そっとしておいてあげて、という彼女の意思が伝わってきた。
「分かった」
僕は頷き、鉄柵に寄り掛かって立つ。今のセイジの様子を見て、僕は爺ちゃんの『G』を発見した時の、自分の事を思い出していた。
──確かに……自分の知ってる人が『文字』を持ってたら、ショックだよな……。
僕はお茶をリュックサックから抜き出し、一口、飲んだ。
「──マナブ、鴨川」
セイジが再び声を上げたのは、それから1、2分後の事だった。僕らにそうやって声をかけた後、彼はよろよろと立ち上がって歩き始めた。僕も慌てて彼に続く。
「話がある。まずは近くの喫茶店にでも入ろう」
「えっと、大丈夫……で──」
「アイツは……灰原アキトは」
鴨ちゃんの言葉を遮って、セイジは言った。
どこかいつもと違う、覚悟の決まったような、それでいてとても迷っているような、そんな声色で、セイジは言った。
「『A』は、俺の昔の生徒だ」
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