第二話 Knave 1/7
「ちくしょう……」
並ぶ車と車の隙間を抜けながら、僕は左足を引きずるようにして走っていた。こういう時に限って駐車場に人は居なく、周りを囲うように生えている木が邪魔をして、校舎からも僕の姿は見えなさそうだった。つまり、助けを求めるのは困難だった。
「ま、当然か……。わざわざ見つかるような場所で襲うワケないし……」
脇腹を刺された刺激からか、昨日から続く僕の夢うつつはすっかり覚めていた。その代わり、自分でも驚くほどに頭は冷静さを取り戻していた。
ナイフは深く突き刺さったまま、脇腹は燃えるように熱かった。そんな脇腹を叱咤するように押さえ、僕は必死に走った。そして走りながら思考を巡らせた。
先ほどの先生の行動には、不可解な点が二つある。
一つは、何故僕が『文字』を持っていると知っているのか。
そしてもう一つは、先生の行動の早さと大胆さだ。
一つ目に関しては予想がつく。おおかた昼休み中の「具現化」を、どこかの陰から見られていたのだろう。皆が購買に向かう中、一人だけ校舎を一目散に飛び出していけば、怪しまれるのは当然だ。これは僕の、初歩的なミスだった。
問題は二つ目だった。
あの『声』が聞こえ、力を与えられたのは昨日の出来事だった。「殺し合い」をしろ、と言われたのも、自分に与えられた「文字」が判明したのも昨日だった。
ならば何故、伊藤はこんなにも早く行動を起こせる?
それこそ自信たっぷりに、何のためらいもなく、ヤツは僕にナイフを突き立てた。僕が昨日からずっとパニックだった間に、伊藤は早くも人を殺す覚悟をしていたと言うのか。つい一昨日まで一般人だった人間が?
「おかしい……」
普通の人間が取れる行動ではない。それこそ、自分の教え子を手にかけるなど、伊藤先生に限って、それはありえない事だった。
ならば──。
やはりか、と僕は合点する。
この『殺し合い』には、まだ説明されていないルールが存在するらしい。だって、どう考えてもおかしいじゃないか。『優勝賞品』の無い戦いなんて。
根拠は無いが、僕は確信している。この殺し合いを生き抜いた者には、莫大な賞品が与えられる。それは富か、力か、それとも世界か。それは分からないが、とにかく、生存者には相応の報酬が与えられるはずだ。
そして、伊藤はそれを知った。その賞品の存在と、より詳しい『殺し合い』のルールを。だから今、彼は僕を殺そうとしているのだ。
「──くそっ……」
ぺっ、と僕は口にたまった血と唾液を吐く。それから袖で乱暴に口を拭いた。
走りながらふと地面を見ると、足元に小さな血だまりが出来ている事に気付いた。その血だまりは、さっき先生に刺された場所から点々と続いている。
「これは……」
気が付くのに時間はかからなかった。左の腹に刺さったナイフの柄を伝って血が垂れ、僕の走ってきた道をありありと示していたのだ。
これを追いかけてくれば、伊藤は簡単に僕にたどり着くだろう。ヘンゼルとグレーテルがパンをちぎって道に撒いたみたいに、あまりにもハッキリとした道筋を、僕は残してしまっていた。
本来ならば焦るような、そんな発見をして、しかし僕は心の中でほくそ笑んだ。
──これは使える。
──使えるぞ。
「はぁ……」
僕は走りながら深呼吸をした。できるだけ呼吸と心拍を整えるように、何度か深い呼吸を続けた。
「よし」
僕も、覚悟を決めなければ、と思った。
伊藤はもはや教師じゃない。これは正当防衛だ。僕は自分にそう言い聞かせた。
「殺すつもりでやらなきゃ、自分が殺されるんだ……」
僕はそう呟き、右手を強く握りしめ、手の甲に刻まれた文字を見据えた。
「返り討ちにしてやる、伊藤」
僕は小さく、でもハッキリと、そう呟いた。
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