第10話 満たされたいと思うこと

 ラボに併設した子供部屋で、リリアはソフィアと遊んでいた。

 有機金属バイオメタルの皮膚を持ち、カーボン骨格と人工筋肉を内包する彼女は、機械と人間の子である。一切手を加えず、この姿で、命の座から生まれ落ちた。

 この世に生を受けて二ヶ月。驚くべき速度で成長し、既に五歳児並みの精神と知能を手に入れていた。

 そんなソフィアはどうやら積み木に夢中らしい。積み上げては崩すという一連の行いを、ずっと繰り返している。築いているのはいずれも城のようなデザインで、それを自分が怪獣になって破壊するというロールを楽しんでいるらしい。

 リリアは自分が子供の頃はどうだっただろうかと思いながら、およそ二四〇年前の記憶を探る。

 普通の子供だったな、と思った。

 別に、特別ではなかった。

 人並みに遊んで、食べて、寝ていたと思う。取り立てて騒ぐほどでもない、平凡な人生だった。


 呼び出しのブザーが脳内に響いた。リリアは無線通信で〈なんだ?〉と応じる。

〈ローガン大佐からお呼びがかかっています〉

〈またかい。わかったよ〉


 リリアはソフィアの頭を撫で、「仕事が入った。父さんがいなくても大丈夫かな」と聞いた。

「へいきだよ、おとうさん」

「いい子だ。待ってるんだよ」


 一体なんの用だ——どうせ、いつものくだらない問答だろうが、わかりきった答えしか言わせないつもりなら通話で済ませて欲しかったし、そもそもそんなつまらない質問に時間を割いてもらいてくなかった。

 ラボを出て二階の奥まった基地司令官——ハロルド・ローガン大佐が待つ執務室を気忙しくノックする。


「要件をいいたまえ」

「呼び出しておいて失礼極まりないな、ハロルド。私だよ」

「君か。入りなさい」


 リリアはドアのロックが解除されたのを確認し、ドアノブを捻って開けた。

 室内は極東の秋津皇国風の調度品で整えられ、和の雰囲気が漂っている。


「何の用だい」


 リリアは不遜な態度で、大きな革張りのチェアに腰掛けるハロルドに問うた。

 厳しく隆々の肉体を持つが、好々爺然とした五〇後半の男が、はち切れんばかりの筋肉を軍服に押し込んで、座っている。肩に縫い付けられた偉そうな階級章、胸の勲章メダル。

 ガキの頃、鼻垂れでリリアの後ろに隠れていたやつが、随分と出世したものだ。

 秘書にして、愛人ともっぱらの噂のアンドロイドの士官が甲斐甲斐しく緑茶を用意していた。


「実験の成果を聞かせろ」

「またそれか。ネペンテスなら発足開始から四ヶ月、順調なスコアを上げているだろう。一昨日目覚めた新入りも使える。あれは逸材だ」

「違う。マキナータ計画の方だ」

「子供を急かすな。あの子はまだ成長途中だ。五歳児並みの知能しかない」


 ハロルドは湯気を立てる茶をユノミとかいう独特な質感のボコボコしたコップから飲んだ。


「私はまだいい。企業の役員はさっさと成果を欲しがっている。彼らは敵地での虐殺や強姦、略奪なんぞを叩かれることよりも決算の数字が悪いことの方が嫌いだ。上の機嫌が悪くなると私も困る。古い友人とはいえ、庇いきれなくなるぞ」

「世知辛いな。だがハロルド、これは私とお前の悲願だ。ここで中途半端なことはできんだろう」

「いい加減私には打ち明けてくれんか」


 上官に視線を向けられたアンドロイドの中尉は、一礼して去っていった。ハロルドは端末を操作して、


「誰にも見られていない。聞かれることもない」

「ふん。……私は、そろそろ人類は進化すべきだと思っている」

「進化……?」

「精神的に進化させるでもいいが、それは専門外だ。そっちは思想家だの宗教家だのに任せる。私はより完全な、機械との交配を目指している。つまり物理ハード的な進化だ」


 人間の機械化が当たり前になったこの時代でも、異端の発想である。

 アンドロイドとの生殖行為は、万能細胞を用いた、あくまで有機的な人工臓器による受精を用いている。一方でリリアが主導するマキナータ計画は、機械のデータをナノマシンが処理し、DNAを形成し、ナノマテリアルで精子ないしは卵子を作り出し、有機生命体と子を成すことを目的としていた。


「それは知っている」

「人間と機械とは言っていない。有機生命体と、機械だ」

「君は、やはりイカれているな。地上を機械生命体の楽園にすると?」

「技術者だからな。興味と思いつきがあれば、あとは実行するまでだよ。どんな世界になろうが、適応する者はするし、淘汰されるものはされる。君の目的にだって合致するだろう?」

「バイオメタルだな。確かに。第七世代のパーツにも使われているアレを、量産する」


 問題は、その有機的に「生きている金属」を量産し、何をするかだ。

 リリアはもちろん、知っている。

 ハロルドの目的が、この土地の再統一と平定であるということを。


「計画の進捗は、いつ動くかわからん。何かあれば私が知らせる。行くぞ、子供が待ってるんでね」

「ああ。それから……ネペンテスだが」

「指揮権は渡さんぞ。あいつらは私の護衛でもある」

「そうじゃない。……増員は考えていないのか? 君の工房が稼働していたのを確認したが」

「さ、どうだろうな」


 リリアは適当に誤魔化し、手を振って執務室を出ていった。

 ハロルドは猫のように振る舞う親友を、ふっと微笑んで見送るのだった。

 その関係性は歴戦の戦友とか、ビジネスパートナーとかいうよりは、悪巧みを共有する悪友のようだった。


×


 ダンピール・サングリアはストリップ・バーだった。

 入ったことを後悔して出て行こうとしたら、企業努力の賜物ともいうべき勢いで逆バニーのスタッフが「サービスです」と言って赤いカクテルを渡してくる。

 レイヴンは出ていくタイミングを見失い、適当に一杯飲んで帰ろうと思った。

 店内にはフラミンゴすら吐き気を催すようなミラーボールがぐるぐる回転し、ピンク色のライトに照らされて均整の取れたボディのサイボーグが、乳房を揺らしながら全裸で踊っている。

 客たちは近づいてきた女サイボーグの胸を揉んで、谷間に札を入れ、あるいは股間のTバックに金を挟み、笑っている。

 紙の紙幣なんて今頃流通していない。あれらは、あくまでチップを与えるという文化を楽しむために電子マネーと交換した、ただの紙切れだ。


 甘酸っぱいカクテルを飲んだ。アルコールはそこまでキツくない。そもそもこの体で酔えるのだろうか。

 すると、カウンター席で飲んでいたハウンドがこちらに気づいた。


「レ——ミロ」

「……よう」

「釣れないですね。同僚のミレイユ・セヴィですよ。忘れたんですか」


 偽りの名を知らないレイヴンの心情を慮って、彼女は名乗った。

 レイヴンは他にすることもないので、ハウンドの隣に座った。

 喋ることがない。なんでお前がここに、という陳腐な文句は、不思議と出てこない。性欲が溜まって発散しにくるやつのための店だというくらい、見ればわかるからだ。


「やっぱり男の子ですね。人並みの性欲があるようで安心しました」

「違う。お前が入っていくのが見えたから。ストリップだなんて思わなかった」

「わかりづらいですからね。……個室、行きません?」


 それが、であることは明らかだった。

 レイヴンは逡巡する。

 断るのは簡単だ。だが、興味がない——とは、いえない。

 自分は男だ。性行為には、人並みの興味がある二十代だ。今は女だが……けれども、女という肉体に駆け巡る快楽というものにもやはり、興味はあった。

 生きる実感。

 殺し、壊し、戦う日々と——貪り、貪られる快楽の。


「優しく……してくれるなら」


 レイヴンは、ほとんど快楽への興味という勢いで、彼女の誘いを承諾した。

 ハウンドがドットモニターに笑みを浮かべて、レイヴンの手を取る。


「マスター、防音室。いいですか?」

「空いてる部屋をご自由に」


 二人はカウンター席を立って、奥に進んだ。重低音のピンク系の曲が遠ざかる。廊下の最奥の突き当たりのブースに入った。


「防音、カメラなし。レイヴン。脱いでください」

「いきなりだな」

「命令されなきゃわかりませんか? 無理矢理わからせてあげてもいいんですよ」


 レイヴンはジャケットを脱いで、ショルダーホルスターとレッグホルスターを外す。

 それからインナーの背中のジッパーを下ろそうとするが、緊張でジッパーを掴めない。


「私は眠っていたあなたを知っています」


 ハウンドが、手を滑らせてきた。インナーのジッパーを掴んでそっと下ろす。剥き出しになった背中をつるりと指先でなぞると、レイヴンにか細い電流が駆け抜けたような刺激が走った。


「四ヶ月前、置換手術を終えたあなたが医務室に運ばれてきて、私のバディと紹介されました。早く目覚めるようにと通い詰め、やっと……目覚めてくれた」


 耳元で囁く。湿った、荒い吐息が耳朶をこそばゆくくすぐる。


「どうして……俺なんだ」

「どうしようもなく好きなんです。……何かのために一所懸命で、直向きで、頑張る人が。そんな人の一途な愛を、私に注いでほしい。満たされない私の器を、溢れるばかりにいっぱいにしてほしい。そして私の底なしの愛を、受け入れてほしい」

 インナーをそっと脱がす。機械の手が、レイヴンの剥き出しの乳房を柔らかく包み込んだ。微細な振動が、先端を刺激する。


「んっ……あ……」

「私は人間でも、人工知能でもありませんが……AIを知りたいんです。愛したい。愛されたい。空っぽの私を、満たしてほしいんです」

「はあっ……ん。……空っぽなのは、俺もだ。俺にも、何もない。親もいないし、誇れる経歴も、自慢できるようなこともない。……こんな仕事でしか、生きているって実感できない」


 レイヴンは腕を伸ばし、ハウンドの頭を、赤い後ろ髪を撫でた。


「俺も、誰かから愛されたかった。……生きていてもいいって、言って欲しかった」


 ハウンドの口から灰色の舌が伸びた。レイヴンは抵抗なんてしなかった。それを受け入れ、味わうように舐め尽くす。

 しばらくの間、そうやって立ったまま肌を重ねていた。

 たっぷりの時間をかけて、これでもかと体温を感じる。汗が滲んで、互いを湿らせた。

 ハウンドが「ベッドに行きましょう」とレイヴンを誘い、押し倒す。


「素顔を、見たい」

「これが私の顔なんです。ヒトといえる顔は、ありません」

「違う。ハウンドの、もっと激しい、……衝動を見たい。俺も、見せるから」

「本当に可愛い……よかった、あなたを待っていて」


 抱きしめて、レイヴンはハウンドの鼓動を、体温を味わう。


「あなたを壊したい……私以外を愛せない体にしてしまいたい……蹂躙して、壊して、犯して、心も体も私に依存させたい」

「それで、ハウンドに必要としてもらえるなら……俺はお前に尽くすよ。企業でも博士でもなく、ハウンドに」


 ハウンドがたまらず——レイヴンに覆い被さった。

 そうして彼女は、いきりたったイチモツを、準備を終えていたレイヴンへと導くのだった。


×


 足の痺れというものがある。それを強くして、こむら返り一歩手前にしたような感覚が、性器と子宮を中心に広がり、肉体の内側からカリカリ引っ掻くように広がっていく感覚。

 その弱電流のようなものが脳を焼き散らし、ゾワゾワと全身をくすぐるような——掻きむしるような、そんな感じ。

 女の快楽とは、おおよそそのようなものだった。


 都合五回。

 レイヴンは猛るハウンドの猛攻を受け止めて、途中自分でも訳のわからない喘ぎ声を上げながら、よがり狂って——夜を迎えていた。

 シャワーを浴びて、股にヘッドを押し当てて洗浄する。ぬるっとした精液が垂れ落ちて来た。


「どんだけ出るんだ……」


 呆れつつ体を洗って、レイヴンはシャワーブースから出た。

 さっさと着替えて店の方に出ると、ハウンドがとっくに支払いを済ませていた。


「戻りましょうか」


 幾分かすっきりした声で、ハウンドは言った。

 レイヴンも——どこかで、吹っ切れていた。

 自分は男だ。男だが、

 その、相反する性自認と肉体の性別を受け入れることにした。


 店を出ると歓楽街は色付いていて、レイヴンはなんとなく、自分は恵まれている、と思った。

 仲間がいて、恋人がいて、生きる喜びを得られる職場がある。

 そんな日々が続くことを——そんなわけにもいかないだろうと冷静に思いつつも——心から祈った。

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