第10の章「声に応えて、カーテンコールの、幕が上がる」

第10の章「声に応えて、カーテンコールの、幕が上がる」 1


 あの時、だ。

 再びあの瞬間、あの悪夢のような悲惨な出来事が、目の前に広がる。薄闇の中、まない雨が彼女の心を静かに打ちのめす。

 一号が繰り返したあの相討ちのあとで身体が吹っ飛んだ。八号が、息を吹き返す。息苦しそうにせきをする彼がそのまま、力尽きた。ああ、そんな。

 ゆかりは己の無力さに声が引きつる。八号が大きな力に叩きつぶされ、目の前で彼だったものが舞った。そして、ゆかりはその相手を見上げた。

「七号……!」

 虚人きょじんだったそいつは、仲間ではない。仲間面をして、とうの昔に本物の七号を殺して入れ替わっていた存在だった。いつからかなど、わからない。巧妙に近づき、仲間のふりをしていたなど許せない。

「六号」

「この野郎! 殺すッ!!」

「本当にしぶとい女だ。どれだけ屈辱を与えても立ち上がる……」

 真っ白な髪と、褐色の肌。顔には紋様がいくつもえがかれている。元の七号の面影おもかげを残している姿が、余計にゆかりの怒りに火を着けた。

 異界の魔術師。操者の七号を侵食して虚人となり、この世界を破滅へと向かわせる存在。

 ぶわっと、六号の衣服が内側からふくれた。彼女の能力が発動する。彼女の特殊能力は念動力を含めた超能力だった。キィン、と彼女の瞳が乳白色に染まる。

「意味のないことをする。勝てないとわかっているのに」

「し、ねえええええぇぇえええ!」

 絶叫に近い彼女の声に呼応するように、周辺のものが強大な力によってし潰されていく。サイキック能力を限界まで発動させるが、相手にはまったく効果がない。荒い息を吐いて、ゆかりはひざをつきそうになる。まったく諦めない瞳を、いつもしている。

「本当に諦めが悪い女だ」

 どれだけ痛めつけても、はずかしめても、彼女だけは決して諦めない。世界のために戦うのではない。仲間のために戦うわけでもない。彼女は、復讐のために、戦うのだ。

 殺そうとしても、それができない。肉体の魔力濃度がゆかりはこちらに近いのだ。人間の肉体で魔力を貯め込めば、破裂して予想していないことが起こる。殺したくても、できなかった理由はそれだった。

 最初と同じような道順でここまで来たのだが、結果はまったく同じだった。そしてこの女はしぶとく生き残る。爆弾を内側にかかえたまま、まったく変わり果てた姿で、もう一度未来の自分の前に立つはずだ。

 人間の肉体を捨てた今、この体は高濃度の魔力の塊になっている。そんなものに、あいつらが勝てるはずがないのだ。なかったのだ。だから、死んだ。それだけだ。

 雨でショートヘアがべったりと顔に張り付いている。なのに、その瞳。気絶した最初の一回目では、そのまま放置していたというのに。そうではない場合、彼女はこうして立ち向かってくる。

 軽く手を払った。その風圧でゆかりの片腕が飛ぶ。血と、切り飛ばされた腕が舞っているというのに、彼女はこちらから目を離さない。

 そう、この女はどんな状態になっても、絶対に生き残る。なんという執念しゅうねんだ。

「やはり操者そうしゃは危険な存在だ」

 この世界にはない魔力を使うことのできる人間。生命力として利用し、血液のように肉体に行き渡らせている者もいる。未知の物質・を使用できる、この世界の『魔法使い』!

 本当に危険な存在だ。しかし、ゆかりが生きている以上この歯痒はがゆい状態は続く。記憶を持ち越しても、ゆかりがいるせいで、どんな出来事も台無しにされる。なかったことに、される。

 何度もゆかりを殺そうとしたが、彼女は運悪く生き延びていた。そのせいで、辛い人生を歩んできたとしても、自業自得だ。

 痛み程度では、ダメだ。では、やはり心も折っておくべきだろう。ほんの一時いちじしのぎにすぎないが。

 七号は一号にかれていたが、その影響を受けてはいるが、それだけだ。なんの感情もない。そもそも、自分に性別はない。魔力の塊にそんなものがあるわけがない。そしてこの意識も、そのうち消えてしまうだろう。

 今回は叩き壊さなかった海堂かいどう郁人いくとの肉体が転がっている。またそれを利用して、この女に精神的苦痛を与えよう。

 一歩距離をちぢめる。すると、ゆかりは後退もせずにその場に立っている。ぼたぼたと落ちている血などまったく気にもしていないみたいだ。本当に狂人どもの集まりだ。

 再び彼女の輪郭が光を帯びる。どんな攻撃も通用しないのに、愚かなものだ。だがどうやってもこの女を排除できないというのは、忌々いまいましいことだった。

 郁人の死体を呼び寄せ、その腕の中に抱く。彼女の顔色がさっと変わった。

「ありがたく使っていたが、ここにまだこいつの魂が残っている」

 真っ赤な嘘だが、この嘘にこの女は迷いを持つ。それはそうだ。他の仲間はもはや息ができるような状態に戻れない。だがどうだ? 郁人の死体はほぼ、生前のままだ。『一縷いちるの望み』を持つには、充分なえさではないか。

「抵抗をやめれば、こいつだけでも助けてやるぞ」

 明らかにその瞳が動揺していた。郁人の肉体も魔法使いのそれだ。魔力を血液の代わりとして流し込めば、生きているように動くことは可能だ。もちろん、こいつは死んでいるから、こちらが操っているだけにすぎないが。

「な、七号は、い、生きてるわけない」

「本当にそうか?」

「…………」

 唇をんでいる。そう、そうだ。迷え。生きていた頃と同じような状態にはできる。そして、こいつの子供をはらめば、もっと絶望するかもしれない。それは今までやったことがなかった。

 ゆかりはちかちかと、瞳の輝きを落とし、完全に沈黙してしまう。すっかり瞳の色が元に戻っている。抵抗する気力はあるが、迷いのために動けない。そんなところだろう。悔しそうに残った腕のこぶしを握り込んでいる。力を入れ過ぎて白くなっている。

「て、いこう、をしなければ……本当に、助けてくれる……」

 そんなわけないと態度が言っているのに、どうしても決断できない。だから郁人の身体に魔力を流し込み、そのまぶたを開けさせる。ぎょっとしたようにゆかりは目を見開き、ぶるぶると震えて、歯を食いしばった。

 屈辱だろう。諦めなければならないことが。そして、これからはこの女と一対一の戦いとなる。

「ろ、ろくご……」

 力のない郁人の声にゆかりは完全に目を閉じた。その辛そうな表情になにも感じないが、未来のこの女のあまりにも無機質さに比べれば、この時はまだ人間くさい。

「抵抗しない。七号を助けて」

「……交渉成立だ。行け」

 背中をどん、と軽く押すと、郁人の身体がよろめいて倒れる。ゆかりは駆け付けない。まだ疑っているのはわかる。そう、ここまでは同じだ。全員の死亡を目撃しているからこそ、その心の天秤はいま、激しく揺れているだろう。仲間のかたきをとるべきか、それとも目の前の郁人らしきものを助けるかで。

 軽く郁人の身体を蹴り飛ばすと、ゆかりの足元まで転がっていった。そのぞんざいな扱いに、ゆかりは困惑しながらもこちらを睨みつけ、それから足元にかがんだ。

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