第9の章「繰り返さないと、あなたと、この世界を」

第9の章「繰り返さないと、あなたと、この世界を」 1


 運命というのはつくづく、無慈悲なものだと思う。

 知らなくていいことだし、知る必要はない。彼らは何度もこの世界のために戦っている。ひどいことだ。

 たった数人にそんなことを押し付けることは、ひどいことだ。

 けれど、それが彼らに与えられた代償だいしょうとみるべきだろう。

 彼は言った。

「彼女のために死にたい」

 彼は戦場で彼女をかばって『何度』も、死んだ。毎回酷い有様ありさまで、凄惨せいさんな死を迎える。彼は不屈の魂の持ち主だった。一度決めたらなにがなんでもやりげる。その美しい外見からは想像もつかないほど、はかない言動から思いつかないほど、強靭ひょうじんな精神力を持っていた。

 たった一つの愛のために、ある時は拷問ごうもんの末に死んだり。ある時は、銃弾の雨を浴びたり。カナリアの代わりに毒ガスを吸ったり。とにかく、彼は死に過ぎた。あっさりと、その命を愛のために使う。数えきれないほど、彼はどんな時も、彼女を最優先にして、しんだ。

 彼女は言った。

「足手まといは嫌」

 彼女はいつも己を卑下ひげしていた。努力家だったことをまったく振り返らない自己肯定感の低い者だった。誰よりも仲間を大切にしていた彼女はいつも残る者だった。その運命に彼女は耐えることしかできなかった。そして当たり前に、彼女は耐え切れずに崩壊する。

 けれど、しぶとい、という言葉が一番似合うのは彼女だった。壊れても壊されても、毎回、凄まじい執念で復讐を遂げる。誰かは仲間への依存と言うかもしれない。そんな幼稚な言葉を、彼女の姿を見れば口にはできないだろう。

 彼女は言った。

「みんなに少しでも幸せを感じて欲しい」

 彼女は欲深い。そして区別をいつもする。大切なもの、大切なこと。そうではないもの、そうではないこと。二極に分けて物事を考えて、大切なものには惜しみなく「善人面ぜんにんづら」を披露していた。

 己の欲求に一番素直で、大切ではないものにはどこまでも冷酷だった。大切なものを守るためには、見えないところで手を汚す必要があったのかもしれない。光と影を使い分ける強欲さに、踏みつぶされた者は少なくなかった。

 彼は言った。

「穏やかな生活を送りたい」

 彼は無自覚の臆病者だった。現実主義者で、ゆめなどみない。どうすれば己が楽ができるのかばかり考えるくせに、情が移れば切り捨てられない優柔不断さも、彼の特徴だった。

 繊細ゆえに流されてしまうことも多かったが、裏切ることは決してしなかった。だまされても、脅されても、揺らぐことはなかった。

 彼は言った。

つぐないたい」

 年長者にいで明るく、口調も軽快だった。けれどたった一人の妹へ常に負い目を感じていた。それは彼にはどうしようもできないことだった。彼はあくまでまだ十代の少年で、できることはほんの一握ひとにぎりだったのだから。

 だから実の妹の助けになれない自分自身に失望していた。いくら上辺うわべを取りつくろっていても、心はまったく晴れない。大人になっても、このままかもしれないとずっと不安をいだいているなど誰かに言えるはずもなかった。

 彼女は言った。

「一人になりたくない」

 世界でひとりぼっちになるような気分になることが、少女は多かった。教師も両親も、その現状を変えてくれる気はなかったようだ。唯一の兄でさえ、時々態度がぎこちなくなり悲しく思っていたが、それを口にしなかった。

 ひとりでいるのが嫌で、だからこそ何事も波風を立てないように静かに過ごすようになった。透明人間のように振る舞えば、大切な人間たち以外に見えなくても構わなかった。

 そして、彼女が言った。

「戦う」

 ひどく不器用な彼女は、どこにでもいる者のような姿をしているのに、必ず「見つかって」しまう。宝石の原石を目敏めざとく見つけるものたちに見つけられる。そのたびに、彼女を愛する男が守っていたが、彼女はそれを良しとはしなかった。

 いつも否定ばかりしている胸中を誰にもらすことはなかった。愛にこたえても、とてつもないセンスを発揮しても、虚無感が必ずあって、それでも、効率さを重視するためにおめおめと仲間をだった。

 彼女一人が、すべてを背負うことにした。決断が早いのは彼女の特性でもあった。考えなしにそんなことを選んだわけではない。他の誰よりも、己が相応しいと判断したためだった。そして、その考えは正しかった。

 何度恋人を殺されても、何度仲間を殺されても、彼女は生き残りはしなかったが、目的だけは果たしていた。それが、彼女が選んだことだった。

 どれだけ残酷なことであろうと、目的を果たすためならそこに一切の迷いはなかった。そして、その決断を後悔していないことの証明のように、誰にもびはしなかった。

 世界を守るために戦っているわけではない。仲間を守るために戦っているわけでもない。ただ、無様ぶざまに生きていただけだ。だから死に方も同様でも仕方ないと思っていたから、えず愛を言葉にする彼を時々不思議そうに見ていた。理解できないわけではなかったが、価値があるとも思えない己に、なぜそこまでと疑問にすらなった。

 仲間は彼女を優しいと言う。彼女はそれすら、よくわかっていなかった。ただ、誰もがそう考えることをしているだけで、当たり前のことを実行しているだけでひどく喜ぶ仲間に、ぎりぎりと、胸の内が傷つけられる不快感すら覚えたこともあった。こんなに薄情はくじょうなのにと思うたび、恋人が否定する。けれども、彼がどれだけ己におぼれていても必ず身を投じて死を選ぶことに、漠然ばくぜんと、恐怖はあった。執着しゅうちゃくと独占欲でまみれた手で触ってくるくせに、どれだけ与えても満足しないくせに、なにがよくて、死を選ぶのかわからない。

 だからか。

 彼女だけは見抜いた。常に疑ってかかっていたから、見抜いた。

 いち早く行動に移し、ただただ、目的を定めて、行動する。正義や悪などという、わかりきったものはそこにはない。

 乱された衣服のまま、彼にまたがられた状態で、彼の喉元のどもとに片手をかけて、彼女は冷徹に見上げる。

「『』」

「ユズさ……ぐっ」

 彼女は締め付けるその手に力を込める。ぎぎぎ、と世界がきしんだ。とうとう、彼女はやり遂げた。

「清史郎を殺して乗っ取ったな」

 彼は驚きに目を見開く。気づかれるとは、思わなかった。どこで気づかれたのかと困惑する。彼女は笑みを口元に浮かべる。

「あいつはわたしのためなら、なにされても抵抗しないんだよ」

 恐ろしいまでのおぼれるほどの愛を彼女は知っていた。彼女が彼の望むように、彼を特別扱いするように、やさしく微笑む彼がどんな顛末てんまつを迎えたのか、『知って』いる。彼は必ず、彼女をかばって『先に』死ぬ運命だった。

 長時間の拷問ごうもんを受けてもまったく悲鳴すら出さずに死んでいった彼が、どれだけみじめな死に方を迎えてもその強固な意志を崩すことができなかったように。絶対に、ありえないことだった。

 死ねと言えば首を吊ったし、気紛きまぐれに口にしたことを律儀に守っていたり、狂っていると呆れるほどに、彼は本当に『一途』だったのだ。

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