第6の章「痴女と、彼と、一生の恋」

第6の章「痴女と、彼と、一生の恋」 1


 病室のカーテン越しに、影が見えた。少し前になんだか微妙に揺れたような気はしたが、地震ではなかったようだし。

 もうすっかり夜なのに、なにか夜間飛行でもしていた鳥が間違ってぶつかったのもしれない。そっとベッドから降り立ち、窓際に近づいていく。カーテンにうつり込んでいる影は大きかった。

「?」

「う……」

 小さなうめき声がして、慌ててカーテンを開けた。そこに、人間がぶら下がっていた。思わず「ひっ」と声がれた。

 逆さまになっているのは、髪の長い女性で、どうやってそんな恰好でぶら下がっているのか、自分の頭の周囲に疑問符が飛びった。

 ふ、不審者だ……? あれ? 確かに怪しいけど、こんなボロボロのスーツ姿の女の人が、なんで壁にめり込んでるんだ?

 がらりと窓を開けると、ぶらん、と目の前に彼女の腕が垂れる。血が腕を伝って落ちている。

 どどどどうしよう? ナースコールをして、助けを呼ぶのが正解? 本当に?

 おろおろしていると、ずる、と彼女の身体からだが重力に従って徐々に落下を始めている。ま、まずい!

「ど、どうしたら……」

 人間一人が落ちてきても、この体勢では窓から乗り出してもその重さでこちらも一緒に落ちてしまう。やはり助けを呼ぶべきか、それとも室内になにかないかと慌てて見回す。ベッドから毛布や布団を窓際に運んで、なんとかその上に落ちればと……はかない望みを持って、窓から身を乗り出して、見上げた。

 欠けたゴーグルの破片はへんが小さく落ちていき、ぼろぼろになった灰色のパンツスーツと、見えている顔にも手にも傷やあざがついている。なにがどうしたらこうなるのだとひどく狼狽ろうばいした。苦痛を感じているのか、苦悶くもんに顔をゆがめている彼女は、自分よりも少し年上のように見えた。

 己のひょろひょろの両腕を見下ろし、とてもではないが彼女をささえることはできないと判断した。けれども、ちょっと目を離した瞬間、彼女がずるっと落下した。

「わあっ!」

 慌てて飛びつく。落ちた瞬間を奇跡的にキャッチしたのはいいけれど……。

 かー、と顔が熱くなった。どうしよう……。

 抱きしめたような状態だが、重い。重い……意識のない人間は本当に全体重がすごい……。

 「うううううう」

 必死に足に力を入れているけど、完全にこちらの身体は前のめりになって、一緒になって地面と激突するコースにまっしぐらだった。

「ひっ、うっ。う!」

 落ちるのは嫌だ。それに、このひとを落とすのも嫌だ! 足を窓の下の壁について、身体全部を使って、彼女を必死に少しずつ室内に引っ張りあげる。腕はしびれるし、足は痛い。それに、なんだか涙が出てくる。

 なんとか勢いをつけて一気に彼女を室内に入れた。布団の上にどさっと落ちてくれて、良かった。でも、見るからに大怪我なんだよな……。

「あ、あの、大丈夫ですか……?」

「ぐぅ、あ、の、くそ……」

「…………」

 すごく口の悪い人みたいだ。と、彼女がうっすらとまぶたをあげた。のぞいた瞳が一瞬、琥珀色に輝いた気がした。じ、と薄茶の瞳で凝視ぎょうしをされている。貧弱な男だと、思う……ことは、わかっていた。いまだに腕はじんじんと痛みを発しているし。

有馬ありま清史郎せいしろう

「え? なんで僕のこ、んぅっ!」

 彼女が起き上がるや、僕は押し倒されて唇を奪われていた。な、なんで……え、ちょ、なんでそんな濃厚なのしてくるの!

 顔に熱が集まってくる。がたがたと身体が震えた。彼女は僕をまたぐと、いきなりパジャマの前をボタンごと引き千切ちぎった。ええええ! ちょ、ちょっとほんとになになに!

 うまく息継いきつぎが出来なくてごほごほとせきをしている僕は、恐怖をたたえた瞳で見上げる。彼女は冷徹な表情でこちらの身体をまさぐっている。ふつう、逆じゃないか?

「くそっ、またか……」

 愚痴ぐちる彼女の言葉に、なにがなんだかわからない。

「おい、今からおまえとするぞ」

「…………」

 なにを?

 あまりなセリフに頭が真っ白になった。いや、美人に言われてうれしくないことはないけど、いや、逆だって思うところじゃない? というか、それは犯罪だと思うんだけど!

 そして手慣れた彼女に、まんまと僕はおいしく……は、ないけど、いただかれてしまった。



 荒い息を吐いて呼吸を整えているこちらとは違い、彼女は自身の身体の調子を確認している。あれ? 傷が、なくなってる?

 彼女は掌を開いたり閉じたりして、それから肩をぐるぐるを回している。屈伸くっしんまでし始めた。

「よし、これならいけるか」

「…………」

 痴女ちじょだ……。泣きそう……。

 しかもすごい早かった。初体験はこんなものだろうかとさめざめとしているが、ずっと病院暮らしを繰り返しているので、これから恋人ができるともあまり思えなかった。

「さっさとしないと誰かに気づかれるしな。口を手でふさいだのは許せ」

「え、と、」

「言っておくが、んだ。それに今は時間がない。また負けるわけにはいかないからな」

「えっ? いえ、あなたとは今日が初対面ですが!」

「……そうだったか?」

「初対面なのに、な、なにするんですか本当に!」

 顔が真っ赤なのは仕方ない。あんなに一方的にさ、されるとか! でも、き、気持ちよかった。ひぃ、恥ずかしい!

 腰に片手を当てて、彼女は振り向く。う、すごいな、この人。すごくポーズが似合ってる。

 こぶしを軽く上に挙げて「解除」と彼女は言う。すると、姿が高校生のものに変わった。

「こっちが本当の姿だ。まあ、見覚えがなくてもいい。回復するのに、おまえの能力が必要だっただけだ」

「はあ?」

 え? なに? なにを見せられてるの? もしかして僕、同い年くらいの子とその、いたしてしまったのか……?

 でもやたらに、なんだか目を離せない雰囲気がある子だ。

「あとで胸でもなんでもませてやる。パジャマ、破って悪かったな。急いでたから諦めろ」

 無茶苦茶言う!

 彼女は小声でなにかつぶやくと、先ほどの姿に戻った。全体的に少し肉付きがよくなってて、身長はほとんど変わらないけど髪が漆黒で長い。やっぱり美人だ。それに破れていたはずのスーツが、まるで新品のようになっている。

「装着」

 と、言うと、目元をおおう紫色のゴーグルでその口元以外が見えなくなってしまう。

「の、能力ってなに? 貴女あなたはなんなんだよ!」

「正義の味方だ。あとで説明してやる。なんならもう一回させてやってもいい」

「そ、そういうこと女の子が平然と言うものじゃないよ!」

「…………おまえ、相変わらずだな」

 なにが?

「とりあえず、服を着たらどうなんだ? べつにおまえの裸なんて、見飽きてるけど」

 つかつかとベッドの上の僕のほうへ、彼女が近づいてくる。怖くて、びくっとしてベッドの上で距離をとる。確かに素っ裸なのだから、と、枕でとりあえず隠す。

「…………気絶するまでしたら、どうなるかためしてもいいかもしれないな」

 なんか物騒なこと言ってないか!

 ものすごい見下ろしてくる……こわい。

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