REvision

ともやいずみ

第1の章「一人目と、怪獣と、正義のミカタ」

第1の章「一人目と、怪獣と、正義のミカタ」 1


 日常は、とつぜん非日常に。


***


 足首をぐっとつかまれてしまい、それ以上進むことができなくなる。きっと、そう。

 こうして、突然……日常は壊れるものなんだな……なんて、思ってしまった。



 ホームルームがやっと終わり、大きく背伸びをする。周囲から一斉に「おわったー」「かえろ」など、いつものように学校の一日が終わったことを知らせてくれる教室の生徒たちの声にほ、と小さく息を吐いた。本当に、今日もなにごともなかった。

 教室を出ていく教師の姿はあっという間に視界から消えて、椅子を後ろに引いて立ち上がる。鞄を軽く背負ってから、がやがやと騒がしい室内を見回す。一緒に帰ろうなんて、言ってくれる友人はいない。ぼっちなのを、寂しいと思ったことはない。不便だと思ったことはけっこうあるけれど。

 高校を卒業して、大学に行っても、そして就職できたとしても……こういう気苦労はずっと続くのだろう。憂鬱になってしまう。

 生きるのもこうして廊下を歩くのも、同じくらい面倒だとは思うけれど……かといって、なにか行動を起こすほどの気概もない。面倒くさがりだとはつくづく思う。

 ワイヤレスイヤホンをつけてから、あ、と思った。充電切れてるこれ。思わず舌打ちする。

 仕方ないなと思いつつ、そのまま歩いた。上履きを脱いで、学校指定の革靴を履く。制服も鞄も、靴まで指定。学校というところは、共同生活をするための場所ではあるけれど、輪の中に入れなければ待っているのは悲惨な学校生活だ。自分はいじめられていないだけ、マシと考えるしかない。なんてむなしい思想だとは、思うけれど。

 でも。

 革靴を見つめて小さく笑う。学校指定の革靴ではないのだ、これは。これだけは、自分の中で絶対の秘密で、絶対の優越感の塊だった。

 ケチな母親が履き潰さないようにと奮発して購入した、お高い靴。元々物持ちがいいほうだから、少しだけみんなと色が違っているけれど本当にまったく、壊れない。穴もあかない。かかとを踏む癖もないので、劣化はしても、壊れる様子はない。

 かつん、と靴音をさせると、やっと自分の中で『今日』が終わった気がする。残りの『今日』は適当に親の会話に相槌をうっておけばいい。なにか面倒なことを訊かれない限りは平和に終わるはず。

 ……なんて思っていたのは家に到着するまでのこと。田舎では珍しくもない平屋の我が家の庭からやたらめったらに、猫の威嚇する唸り声がするものだから玄関扉に手をかける前にそちらに向かってしまったのが運の尽きだったのかもしれない。

 そもそもあんなに猫が鳴いているというのに家に居るはずの家族はなにをしているのかと思いつつ、庭へ向かう。母親が時間がある時は雑草を抜いているおかげで庭は荒れてはいないものの、園芸が下手なのか苗を買ってきてもうまく育った試しがない。その試行錯誤の形跡だけ残った庭へと足を踏み入れると、猫がいた。確かに……猫は、ん?

(めちゃくちゃ居るし……なんだあれは)

 いつの間にうちの庭は猫の集会所になったのかという疑問よりも、猫が威嚇しているぶっ倒れているこの変な男はなんなのだろうか……。いや、猫に踏まれてるのか? たかられているのか? なぞだ。

「……通報案件」

 こんな田舎でも、自分にもこんなことが起こるとは。

 内心、猫があまりにも居るので危機感は薄くなっていたような気がする。犬ばかりだったら間違いなく逃げていたはずだと思うが。たぶん。

 スマホを取り出し、「ん?」と声がもれた。

「電波が、ない? ん?」

 天にかざしたまま、その場でくるくると回る。その足首をがし、とつかまれた。「は?」と拍子に声が出てしまってから、一気に血の気が引く。なにをやっているのだ、自分は。いやいやいや、ないない。

 猫まみれの男が顔をあげた。そして、ばっちり目が合う。

「エンドレオスアライア」

「……なんだと?」

「テレ、アトイスユザ」

「…………」

 どこの言語だ?

 というか、よく見たら自分より一回りは年齢は上という感じか? なんかひょろっとしているし、どう見ても西洋人?

「え、と……あ、あいキャンのっと、すぴーく、いんぐりっしゅ」

「エン、スダァリク」

 おいおいおい。マジでわからん。だれかたすけろ。

 おやおやおや。威嚇してる猫は除いて、別の猫がわらわらとこちらの足によじ登ろうとしている。どういうこと……いつからキャットタワーになったんだ、自分は。

 自由になるほうの足で、つかんでいるその手を踏みつけた。スニーカーよりは威力があるとは思うのだが、片足がホールドされているのでそこまで相手の痛手にはならなかったようだ。くそっ。

 歯を食いしばって足に力を入れるけれどまったく微動だにしない。どういうことだ、ほんと!

 声を張り上げるべきだろう。そうだろう。それがいい。だがこの状況、余計にまずいことになるのでは? 下手したらこの男に危害を加えられてしまうかもしれない。さっきの変ちくりんな言葉は「誰か呼んだらコロス」的なものかもしれない。

 はっ、こういう時はあれだ! たすけて~なんて馬鹿正直に叫んでも助けてくれる人の数は少ないという。ならば!

「火事だぁぁああ?」

 途中から声の力が抜けた。男に引きずり倒されたからだ。痛い!

 こうなったらなりふりかまってられない!

 「は、な、せ!」

 自由なほうの足で、げしげしと足蹴あしげにするものの、彼は特にダメージを受けた様子もなく、猫まみれのままでこちらをじっと見てる。なんだその目は。おまえは不審者! こちらは被害者!

「日本語を喋れ!」

 英語で話しかけたものの、気に食わないのはそこだ。ここは日本なのだから、日本語を話せ!

 というか、なぜスマホはまったく動かないわけだ? どういうわけだ? 昔はなんか、電波が入らない区域とかあったとかなんとか……いやいやいや、そういうことではなくてだ。この不審者を誰か通報して欲しいところだ。

 悲しいかな、このような田舎。ほぼ田んぼが占めるようなこんな場所ではそもそもお隣さんとだって距離があることが多い。うちも例にもれず、本当にド辺鄙へんぴに家があるから自転車通学をしているわけで。

 こうして考えると自分は危機感が足りないと思われる。わかる。確かにそうだ。気がゆるんでいたとも言えるし、ニュース番組で見るようなことが自分に起こるなんて思わないし……いや、それは誰もがそうか。

 こんなところに、庭で猫まみれになってる男に引きずり倒されてるとか……どんな絵面えづらだよ。やばいって。

 必死に靴の裏で相手の顔を押しのけているわけだが、怖いとかそういう気持ちがわいていないことも危機感のないところなのだろう。というか、この男、さっきからずっとなにか言っているが……。

「だから日本語!」

 こんなに大きな声が出せるとは思っていなかった。だがそんな自分の声よりも、驚く。空が、なんか、かげってないか?

 視線を上に向ける。夏に突入する前の時期。やっと梅雨が終わったそんな時期。だというのに、雨雲かとちょっと思ったのは一瞬で。

「は、はあああーっっ?」

 素っ頓狂な悲鳴が喉からいっぱいに響いた。なんだあれはー!

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