第79話

 江戸の街が見え始め、旅路の終わりが近づいていることを感じる。


 俺たち美波藩の一行は自然と足を早めた。


 長い旅路を経て、ようやく江戸に到着したのだ。蘭姫様を籠に乗せ、護衛の者たちと共に俺は馬を進めた。


 江戸に着くと、まずは用意されていた美波屋敷に向かった。


 この屋敷は元美波藩主が住んでいた場所であり、今後の拠点となる場所だった。


 屋敷の前に着くと、元美波藩主が俺たちを朗らかに迎えてくれた。


「桜木殿、よく来られた。蘭も無事で何よりじゃ」


 元美波藩主は柔和な笑みを浮かべ、俺たちを迎え入れた。その様子に少しの安堵を感じたが、それは一瞬のことだった。


 俺たちが屋敷に入った途端、お玉が顔をしかめ、辺りを警戒し始めた。


「鷹之丞様、何かがおかしいです!」


 お玉の言葉に俺も周囲を見回すが、何も異常はないように見えた。

 だが、俺の胸には不安が広がっていく。


「何かがいる…」


 その瞬間、屋敷全体が突然、闇に包まれた。


 闇が急速に広がり、俺たちの視界を奪った。周囲の風景が消え、ただ深い暗黒だけが残った。


「なんだこれは…!?」


 恐怖が胸を締め付ける。


 俺は剣を抜き、周囲を警戒したが、その闇の中で何も見えない。

 まるで世界そのものが消えてしまったかのようだった。


 手を繋いでいたはずの蘭姫様の姿を感じられない。


 その時、闇の中から不気味な声が響いた。


「待っていたぞ、桜木鷹之丞」


 その声はまるで背後から囁かれたかのように、俺の耳元で響いた。冷たい汗が背中を流れ、恐怖が体を縛り付ける。


「ぬらりひょん…!」


 俺の声は震えていた。


 ぬらりひょんが姿を現すことを恐れていたが、それが現実となった瞬間、全身が凍りついたような感覚に襲われた。


 ぬらりひょんの姿はまだ見えないが、その気配は確かにこの闇の中に存在している。俺は剣を構え、警戒を強めた。


 だが、その時、闇の中で仲間たちの叫び声が響いた。


「新之助!? ゲンタ!? どこだ!」


 俺は必死に声を上げるが、闇はその声を飲み込んでしまう。次々と仲間たちの叫びが途切れ、静寂が訪れた。


 だが、次の瞬間、闇の中に次々と仲間たちが倒れていく光景が浮かび上がった。

 

 新之助が斬られ、ゲンタが血を流して倒れる姿。


 お玉、ミタまでもが次々にぬらりひょんの手にかかり、無惨に命を奪われていく。


「やめろ…!」


 俺は叫び声を上げるが、その声は虚しく闇に消える。

 そして、最後に目に映ったのは、蘭姫様だった。


「蘭姫様…」


 俺は手を伸ばそうとするが、その手は届かない。

 

 蘭姫様が闇の中でぬらりひょんに襲われる。


「助けて…!」


 蘭姫様が手を伸ばしてくる様子が、俺の胸を締め付け絶望的な光景が俺の目の前に広がった。


「やめろ…やめてくれ…!」


 俺の声は涙に詰まり、恐怖と絶望が胸を貫いた。

 蘭姫様が、目の前で、無残にも命を奪われていく。


「お前を殺す…」


 ぬらりひょんの声が、冷たく俺に告げた。


 俺の心はその言葉で粉々に砕かれたようだった。

 全てを失ったという感覚が、俺の全身を蝕んでいく。


 だが、その瞬間、闇が突然消え去った。


 気がつけば、屋敷の庭に立っていた。周囲には誰もおらず、ただ静寂だけが広がっている。俺はその場に崩れ落ち、剣を握り締めたまま、深い絶望に打ちひしがれた。


「ぬらりひょん…お前を…」


 絶望の淵に立たされ、俺の心は暗闇に飲み込まれそうになっていた。


 目の前で蘭姫様が無残にも命を奪われ、その光景が頭から離れない。

 胸の中に渦巻く絶望と無力感に、俺はただその場に崩れ落ちるしかなかった。


 だが、その時、不意に光が差し込んだ。


「鷹之丞…」


 柔らかな声が、絶望の中に響いた。俺はその声に反応し、顔を上げた。そこには、俺がかつて愛した断罪されるべき我儘姫、蘭姫様の姿があった。


 だが、彼女は今までの蘭姫様とは違い、大人の姿をしていた。


 それは小説の中に描かれていた彼女そのものだった。


「妾を救ってくれるのであろう?」


 彼女の言葉に、俺の胸に一縷の希望が灯った。その声、その姿、まるで全てを見通しているかのような瞳で俺を見つめている。


「惑わされるでない。お主は恐怖と、時間をかけておそれを募らせたことで、幻を見せられておるのじゃ。いつまで打ちひしがれておるつもりじゃ?」


 蘭姫様が一歩踏み出し、その手を俺に差し伸べた。彼女の瞳には、確かな光が宿っている。


「蘭姫様…」


 俺はその手を取り、立ち上がった。蘭姫様の姿は幻だとわかっている。

 だが、その幻の彼女が、俺の心に光をもたらしてくれた。


「妾がここにいる限り、お前は倒れることは許されぬ」


 蘭姫様が微笑み、その手をかざすと、まるでぬらりひょんの幻が彼女の力に押し出されるかのように、吹き飛ばされた。


 闇が一瞬にして消え去り、俺の周囲に広がる光景が一変した。


「…幻覚」


 そう、ぬらりひょんの仲間が作り出した幻覚に、俺は囚われていたのだ。

 

 だが、今はもうその幻覚は効かない。


 蘭姫様が俺を救ってくれた。


「ありがとうございます、蘭姫様…」


 俺は彼女に感謝の意を告げ、心を奮い立たせた。

 無極流の霊力を高め、その力を全身に巡らせる。


「今度は俺がこの幻を吹き飛ばす!」


 俺は無極流剣術を全開にし、剣に霊力を込めて大きく振りかぶった。


「無極流・霊力爆発!」


 剣から放たれた力が、幻を一瞬にして消し去る。


 ぬらりひょんの手下たちが作り出した虚構の世界は、俺の力によって完全に打ち砕かれた。


 そして、目の前の闇が晴れ、元の屋敷の光景が戻ってきた。


「妾は、いつもお前の傍におる」


 蘭姫様の幻影が最後に微笑みを残し、消え去った。

 俺はその言葉を胸に刻み込み、もう一度しっかりと剣を握りしめた。


「蘭姫様、必ず俺が守ってみせます。そして、ぬらりひょん…お前をこの手で討ち取る!」


 闇に潜む脅威に対して、俺は再び決意を固めた。今度こそ、全てを守るために。

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