私のかわいいドッペルさん

空咲ゆい

第1話

「ねえ、知ってるの? ドッペルゲンガーの噂を」


 意味ありげな笑みを浮かばせて、小声でささやく。中学三年生にもなったのに、一応私の友人である柚木美緒ゆずきみおはいまだにオカルトチックなことにご心酔しているようだ。


 ドッペルゲンガーというのは十八世紀末から二十世紀までのヨーロッパで流行ったネタらしい。日本だとこのネタを元に書いたライトノベルのあるくらい有名な話だ。


 しかし、彼女が語ろうとしているのは、そんな古くから伝わる話ではない。身近くにあった事件と繋がりがあると言いたいのだろう。


「で、これが大沢さんが失踪した原因であると言いたいの? 」


 そうそう、柚木は両眼をぴかっと輝かせて続けて言う。


「実は隣クラスの大沢さんが失踪する数日前、彼女が知らないおじさんと親しく歩いているのを見たクラスメイトがいるらしいの。しかし彼女本人は校内で手芸部の部活動をしていて、部員たち全員彼女のアリバイを証明できるという。もしかしたらドッペルゲンガーじゃないかなってみんな噂してるの」

「そうかな。ただの見間違えじゃない? ドッペルゲンガーより、親戚とかあるいは顔が似ている人と間違ってる方がまたあり得るじゃない? 」

「そうかなあー、でもでも」


 納得していかない様子を見せて、柚木はドッペルゲンガー説について熱弁を振るった。



 実にくだらない。普段の私なら、表では苦笑いしつつ彼女の話を聞いて、聞き上手で優しいキャラを演じるのでしょう。


 けれど、ドッペルゲンガーの話は違う。別に彼女に説得されているわけじゃない。理由は極単純なものである─私は数週間前自分のドッペルゲンガーとあったからだ。しかも戸籍がないため、働くことも学校にいくこともできず家で居候しているのだ。


 もう一人の私の存在を隠蔽するために、愛想笑いをしながら柚木の注意を逸らす。幸い彼女は食いしん坊で餌付けしてやれば話題を変えられる。


 その後、彼女は一日中食べ物の話をしていて、よくも飽きないなあと食い意地を張る彼女に感心しつつ、危機をくぐり抜けたことに安堵して家に帰った。


「おかえりなさいー」

「ただいま」


 玄関口でとびきりな笑顔で迎えてきたのは、私と同じ姿をしている少女である。顔や身長や声も全部同じのはずなのに、どうしても同じ人とは思えない。



 きっと性格が真逆だからでしょう。


 人前では優しくて穏やかな優等生を演じている冷酷かつ不純な私と違って、ドッペルゲンガーは感情が豊富で純粋だ。だからか、意図しなくとも愛おしく見える。


 腰まで伸びる艶やかな黒髪。ルビーのように妖艶な光を放つ深紅な瞳。日差しに当たったことがないかのように真っ白で透き通った肌。私だと艶のない漆黒な黒髪に死んだ魚のような目なのに、どうしてこうも違うだろうか。遺伝で肌が白いせいで、顔が青白くて生気がないとよく言われるのに、彼女だと儚げな美少女に見えてしまう。不公平すぎる。


 私のドッペルゲンガーだけど、性格も仕草も全部違うおかげで、たとえ自分が嫌う私でも彼女を愛することができた。


 彼女の柔らかいほっぺにちゅーして、折れそうな繊細な腰に手を回して正面から抱きしめる。ふいに柚木の言葉を思い出す。ドッペルゲンガーに関するもうひとつの噂。


『ドッペルゲンガーはさー、パラレルワールドの自分という説もあるらしいよ。たしか事故死の衝撃によって魂が一時的に肉体を離れて、パラレルワールドに飛ばされる。元の肉体に戻っても命を失うことに変わりないのだから、それを悟ったドッペルゲンガーたちはパラレルワールドの自分の人生を奪い取って、自分の命を延ばすんだって』


 もうひとりの私。便宜上ドッペルと呼ぼう。ドッペルは最初からすべて私に告げた。交通事故にあった自分には帰る場所がなく、泊まらせほしいと。


 同じ顔の私にたどり着いたのは、偶然だった。彼女が似ても似つかないこの世界にきた際、私は自殺しようとしていた。廃棄ビルの屋上から飛び降りて、夢も希望もない退屈な人生を終わらせようとしていた。


 なのに彼女は、この出会いが運命だと言った。あの頃、どうしてと尋ねると、彼女は「だってわたしだもん。わたしは自分のことが大好きで、ナルシストなの。だからわたしは絶対にわたしを助けるって信じてるよ」という。頭にお花畑のような返答に呆れて肩透かしを食らったような気分になった。


 純粋無垢で人を疑うことを知らないドッペルの話に寄ると、ドッペルゲンガーというのは、パラレルワールドで定められた寿命が尽きる前に事故で死んだ人々をさす。公平のため、そういう人々は仮の肉体が授けられて、条件をクリアすると生き延びるチャンスを与えられているらしい。


「誰に? 」


 私はそう聞くと、彼女は無邪気な笑顔を浮かばせて、実に非現実的な単語を口にした。


「天使だよ」


 彼女の表情や態度があまりにも揺れがなくて、嘘を吐いているようには見えなかった。だから私は彼女が話してくれたすべてを信じることにした。


 そう、ドッペルゲンガーに関しての噂は他にもあった。


 ドッペルゲンガーは死の願望のある人の前んのみ姿を現わして、そしてもうひとりの自分に取引を持ちかけてくるという。その願いを叶える代わりに命を差し出す。これも実話だ。


「愛してほしい」


 異常である私も愛によって変わってしまうのだろうか、微かな期待を込めて、私はこう願った。


 生きているのがつまらない。夢中になれることは見つからなくて、生まれながら自分は人より冷めているところがある。そして遂に生きていくことがめんどくさくて、自ら命を絶つことにした。


 どうせ終わる命なのだ。せめて死ぬ前に、世間に素晴らしいと謳われた愛を知りたかった。


 私は親ですら愛してくれなかった。人と違って冷淡な性格のせいで、親とよい関係を築くことができず、いつまでだってもよそよそしいままだった。そしてとある事件をきっかけに父親と疎遠になった。


 私が十歳の頃、父親が出張していて、神経が人より一倍繊細な母が癇癪を起こして、挙句の果てに目の前に首を吊ったにも関わらず、私は普段通りの生活をしている。父が戻ってきてから、すぐに警察に通報して死体を処理して事態を収まっているけれど、父にはトラウマが残ったらしくて、いまだに私に畏怖している。なので、愛される以前に受け入れられることがない私には、愛を知ることができなかった。


 アニメや漫画や小説。あの事件をきっかけに自分が異常であると悟り、人前では仮面をかぶってフィクションの中にのめり込むことになった。フィクションの中で愛はいつも甘くてふわふわしているものばかりだ。時に嫉妬や強い執念、そういった醜い感情を描かれることもあるけれど、やはりどの作品でも愛はきらきらしていて、読んでいるうちに羨ましくなった。


 そして私は頭がちょっと緩くて可愛らしいドッペルのおかげで愛を知った。


「ねえ、手袋を外して」


 ほんわかとした雰囲気を一変して、ドッペルは有無を言わせない態度で圧をかけてきた。


 抱きしめているドッペルを放して、彼女の要望に従って手袋を外す。左手はまたはっきり形があったのに、右手は透けていて元にあったものがよく見えなくなっている。


 これもきっと彼女が願いを叶えてくれた証なのだろう。完全に消えるまで手はいつも通り物に触れられるので、生活に支障が出るわけでもないし、大したことじゃないと思った。


「さくらちゃん!? もう手のひらが見えないまで進んでいるの? どうしてそのことをもっと早く教えてくれないの! わ、わたしっ」


 けれど、ドッペルは手を見た途端に、血相を変えて瞳をうるうるしている。ああ、悲しんでいる彼女がとても憐れて心がぎゅっと締め付けられる。


 学校でならうまいことを並べて人を慰めることができるのに、どうして彼女の前だと何も言えなくなるのだろうか? 


 宝石のように輝く大粒の雫を目にして、ようやく答えを気付いた。そうか、愛という大切な宝物を教えてくれた彼女の前には誠実でいたいんだ。


「ねえ、さくらちゃん。一緒に死のう」


 目に涙を溜まったまま、ドッペルは毅然とした態度で提案した。


 最初は私の願いを必死に全うとしているだけだった。なのに彼女はバカだからか、そうしているうちに私に情を湧いて、より積極的に私を絡んできた。そして彼女の真摯な気持ちに打ちのめされて、いつの間にか両想いになった。生まれ育ちは選べないけれど、少なくとも死ぬ時は一緒と彼女はそう主張する。


 私としては彼女に生きてほしいけれど、ドッペルは私の後を追って自殺すると脅かしてきて、渋々彼女の提案に賛成した。


 今服に隠れているところもう透明になっていて、顔と左手だけが残った。ちなみに、下はタイツで隠しているので、まだ誰にもバレていない。まあ、最近いつも透明化がバレないように手袋をしているため、不審まれたことはあるけれど。


 ドッペルが私の透明化の状況から今が潮時だと判断したのだろう。私は愛おしい人の意思に従うことにした。


「分かった」


 こうして、私たちはあらかじめに準備していたパナトールを致死量まで呑み込んだ。薬をすべて呑み込んだ途端に、透明になった手のひらが元に戻った。


 私たちは最後の口付けをして、愛の言葉をささやく。


「さくらちゃん、愛しているよ」

「うん。私も愛してる」


 ああ、生きてよかったと今になってそう思えるようになった。

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