第6話

「……。……ん……、」


 暖かい……。

 

 さっきまで凍えていたはずなのに。


 その暖かさとふわふわした気持ちのいい感覚の中で、私はぼんやりと瞼を開いていく。


「気が付いたか。よかった」

「っ!」


 ふいに声をかけられ、私はハッと覚醒した。すると私の顔の上に、心配そうにこちらを覗き込む一人の男性の姿があった。


 とても美しい、男性の姿が。


 白銀の髪に、慈悲深そうな深い紫色の瞳。繊細に整った顔立ちとは裏腹に、大きながっしりとした体躯は騎士の隊服で覆われている。ようやく私は気付いた。……この方、さっき受付のところにいた方だ。


(まるでこの雪に覆われた街の王子様みたいね……。なんて綺麗な人なんだろう)


 頭の片隅でそんなことを考えながらも、私は急いで体を起こそうとした。ふわふわと気持ちがよかったのは、暖かい部屋の中でベッドに寝かされていたからだった。


「ああ、無理して動くな。まだしばらく、このまま休んでいるんだ」


 起き上がりかけた私は、両肩を騎士様に優しく掴まれ元の位置にそっと寝かされる。こんな姿をこんな素敵な人に見られていることが気恥ずかしくて、私は慌てて謝罪する。


「申し訳ございません。お手数をおかけしてしまいました……。は、運んでくださったのですか?ここまで……」


 ここまでと言っても、ここがどこかは分からないけれど。


 騎士様は柔らかく微笑むと、穏やかな声で答える。


「ああ。ここは君が倒れた宿の二階にある部屋だ。驚いたよ、入ってくるなりふらりと倒れてしまったんだからね。……大丈夫かい?」

「は、はい……。ありがとうございます、本当に……」


 優しく見守るようなその視線がとても素敵で、私はますます恥ずかしくなり、ブランケットを顔の半分までずるずると持ち上げたのだった。




 騎士様の名はフロイド・エリストン様といった。その名を聞いた私の心臓は、驚きのあまり大きく飛び跳ねた。エリストンとは、北方の地を治める辺境伯の名前だったからだ。


「そう、エリストン辺境伯は私の父だよ。私はこの辺境伯領の騎士団を父から継いで、団長をしている。視察で領地を回っている最中にこの宿屋に立ち寄り、君に出会ったというわけだ」


 と、ということは……、このお方は辺境伯家のご令息……!

 私ったら、そんな高貴なお方になんというご迷惑をかけてしまったのか……!


「ほっ、本当に……、こんなお世話をかけてしまって申し訳ございませんでした、エリストン様……っ」

「いいんだよ、困った時はお互い様だ。そんなに畏まらず、気軽にフロイドと呼んでおくれ。せっかくこうして知り合いになれたのだから。まぁ、少し変わった知り合い方ではあったけどね」

 

 そう言うとフロイド様は楽しそうにクスクスと笑った。その屈託のない笑顔はとても優しくて、一見すると騎士団長といういかめしい役職に就いている方とは到底思えないほどだった。


「それで……?君は何故こんな北の街に一人きりでやって来たの?どう見ても街の人間ではないし、かと言って旅慣れている風でもない。平民にも見えない。たった一人で、何故この地へ?」

「……っ、」


 こんなに親切にしていただいたのに、嘘をついて誤魔化すのも憚られる。

 私は自分がこの地にやって来た事情を、ポツリポツリと話しはじめた。




「……なるほど。随分苦労してきたんだね。では君はそのハミル侯爵家に代々伝わる聖石の指輪をその者たちにとられてしまい、叔父の伯爵家にも見捨てられ、たった一人でこの北の地までやって来たのか」

「あ……、いえ、その指輪はとられはしましたが、本物の聖石の指輪は私がまだちゃんと持っているんです」

「……え?」


 キョトンとするフロイド様に説明するために、私は首元に手をやると襟の内側をまさぐり、長いチェーンをするすると引き出した。

 真紅に輝く聖なる力を携えた石が、キラリと光って現れた。本物の指輪は、やっぱり石の色味がよりも深い気がする。


「本物の聖石の指輪は、これです。ラヴェルナたちにとられてしまった、私が常に指に嵌めていた指輪は偽物。指輪を狙われた時のために、本物はこうして服の中に見えないように着けておきなさいと、母から言われていたんです」




『ミシュリー。この聖石の指輪を、決して誰にも渡してはダメよ。この指輪はあなたが持つことによって、初めてその力が発揮されるの。忘れないで。それから、こっちの指輪はダミーよ。偽物の聖石の指輪。指にはこっちを着けておいてね。いつかよからぬ連中があなたの指輪を狙って手を出してくるかもしれない。その時に私たちの大切な家宝の指輪を守るためにも、本物はこうして……、……ほら。長いチェーンに通して首から下げて、服の中に入れておけば、誰にも見られずに済むでしょう。……受け継いでいってね、ミシュリー。私たちハミル侯爵家の長い歴史を見守ってきてくれた、この聖石の指輪を』

『ええ、わかったわ、おかあさま!私、この指輪をずっとずっとだいじに持っておくから。そしていつか私が女の子を産んだら、そのこにあげるの!』

『ふふ。ええ、そうね。……でもね、魔力や聖女の力というものは、いつかきっとこの世界から完全に消えて、なくなってしまう。そんな気がするの。魔力を持つ人間はどんどん少なくなってきている。あなたはたまたま、この聖石の指輪によって引き出される潜在した力が強大なものだったけれど、それは本当に稀有なことなのよ。その特別な力を、正しく使ってね。そして決して聖女の力にあぐらをかかないこと。その力がいつ突然消えてしまったとしても、ちゃんと自分の力で生きていけるように、大切な人たちを守っていけるように、あなた自身が知恵と力を身に着けるのよ』

『……はい。おかあさま。私、指輪の力に甘えない。この指輪は私たちのおうちの思い出がいっぱいつまっただいじな宝物だけど、何でもたすけてくれると思ってなまけないようにするわね!おべんきょうもいっぱいがんばる!』

『ふふ。……いい子ね、ミシュリー。そうよ。あなたならきっと、大丈夫』




「……なるほど。君の母上は素晴らしい考えをお持ちの方だったんだな。その力だけを使って土地を繁栄させたとしても、そんなものは一時的なことだと。聖女の力が消えてしまえばたちまち衰退するようじゃ、その領地に先はないと。それが分かっていらっしゃったのか。……そして君は、指輪の力に目が眩み、自分たちの都合のいいように物事を動かそうとする連中から離れて、たった一人でこの北の地に辿り着いたというわけか。……よく頑張ったね」


 そう言うとフロイド様は、ベッドに横たわる私に手を伸ばし、そっと髪を撫でてくださった。両親が亡くなって以来、こんなに人に優しくされたのは初めてだった。私を見つめる紫色の優しい瞳とその仕草に、胸がじんわりと温かくなり、そしてひそかにときめいた。


 それは生まれて初めて、私が異性に対して感じたときめきだった。





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