第3話 死と血の味

 ようやく苦痛がなくなってきた。

 まだ頭がボーっとしている。

 立ち上がり、イスに触る。


「あ」


 メキッ。

 音を立ててイスが削げた。

 おかしいな。そんなに力は入れてないのに。


「俺は本当に、バケモノになってしまったのか」


 鏡を見る。

 八重歯が伸び、尖っていた。

 いかにもヴァンパイアって感じだ。


「はあ」


 ヴァンパイアになった。

 だんだんとその実感が湧いてくる。


「この手についた模様? 紋章? これもヴァンパイアになったことと関係があるのかな?」


 右手のひらに3匹の蛇が絡むような模様がある。

 ちょっと悪趣味だな。


「ヴァンパイアといえば不老不死。太陽の光のほかに殺す方法はないんだっけか」


 これは本の知識にはなるが、前世で聞いていたヴァンパイアとこの世界のヴァンパイアはちょっと違う。ニンニクや十字架のような弱点はなく、太陽の光でしか死ぬことはない。


「死の恐怖から解放されたってわけか」


 太陽の光なんていくらでも避けられるしな。

 ただ、ヴァンパイアは血を吸わなければ飢餓で狂うと本に書いてあった。しかし、いくら飢えても死ぬことはないらしい。牢獄に閉じこめられたヴァンパイアなどは、死ぬことすらできず永遠に飢えの苦しみに苛まれるとも聞いたことがある。

 もしそんなことになったら。


「怖いな。どうしたもんか」


 俺は日が沈むのを見計らって、外に出た。

 財布は盗まれてしまったが、机にいくらかのお金が置かれていた。あのヴァンパイアの少女が置いていってくれたのだろう。


「空いてる店はないか?」


 店はどこも閉まっている。

 しかしポツリと屋台が開いていた。


「おう嬢ちゃん。家出かい?」

「俺は男だよ」

「こりゃ驚いた」


 煮物と酒の匂いが漂ってくる。


「そこの練りものをひとつ」

「あいよ」


 茶色い煮物が出される。

 口に入れてみる。


「味がしない」

「あ?」

「いや、なんでもない。美味しいです」


 まるで消しゴムでも食べたかのようだった。

 まったく味を感じられない。

 しかも、食べてるうちに気持ち悪くなってきた。


「すみません。失礼します」


 紙幣を叩きつけ、その場を後にする。


「あっ! ちょっと! おつり!」

「いらないです」


 どんどん気分は悪くなっていく。

 きっと俺の顔は青ざめていただろう。

 路地裏に向かい、吐く。


「おげっ。うっ。ええっ」


 ヴァンパイアが人間の食べ物を食べたらどうなるかなんて、どの本にも書いていなかった。消化できずに吐いてしまうのか。


「血を吸わないといけないのか」


 人を襲う。

 そんなことできるだろうか?


「病院に侵入して輸血液を奪えないか?」


 おそらく難しいだろう。

 病院には警備兵もいるし。

 もし捕まったら飢餓の地獄だ。


「動物の血じゃダメか?」


 こんな住宅地に大型の動物などいない。


「虫とかじゃさすがにダメだよな……」


 喉がひどく乾いてくる。


「はあ……はあ……」


 なにか飲まないと。

 俺は苦しまぎれに川の水をガブガブと飲んだ。


「おげえええっ」


 なんだこれ。

 生臭い。まずい。

 飲めたもんじゃない。


「腐った生卵か鼻水でも飲んだ気分だ……」


 俺はふらふらと街を歩いていた。


「乾く……」


 とにかく喉が渇く。


「遅かったじゃない。なにをしてたの?」

「ようやく猫が死んでスッキリしたと思ったのに。まさかとは思うが、新しい動物なんて飼おうとしてないよな?」


 気がつけば家にいた。


「血……」


 血がほしい。


「なっ」


 俺は義理の母に噛みついていた。


「きゃっ」


 血を吸いこむ。


「う、うまい。なんだこれ」


 脳が蕩けそうだ。

 採れたての果物のようなさわやかさ。

 甘く鼻を突きぬけるかぐわしい香り。


「お前! なにやってるんだ!」

「そうだな。なにやってんだか」


 義理の母はシワシワになって倒れた。

 こりゃ死んでるな。


「もったいないことをしたな」


 もうこの両親は食料にしか見えない。

 食料を粗末にしてしまった。

 そんな気分だった。


「食料は長持ちさせないとな。殺したらそれで終わりなんだから。最初からこうしていればよかった」


 義父をロープで縛って地下室に閉じこめた。


「殺したってバレたらどうなるのかな。ヴァンパイアハンターについて書かれた作品をあまり読まなかったことを、今更ながら後悔しているよ」


 うめきながら起きあがる父。


「なんてことをしてくれたんだ! この出来損ないの無能が! 育ててやった恩を忘れたのか? この俺にこんなことをしてただで済むと思うなよ! お前ごときな、すぐにヴァンパイアハンターを呼んで黙らせてやる!」

「ククク。ハッハッハ! 面白いなあんた!」

「は?」


 俺は笑いを抑えられなかった。


「ブザマな奴。命乞いのひとつでもしてくれたら、血を吸うことに罪悪感のひとつくらいは感じたかもしれないのに」


 ケタケタと笑う。

 俺は義理の父の指に噛みついた。


「首に噛みつくのと違って、少しずつしか血を吸えないから不便だな。まあ、首を傷つけて死んだりしたら元も子もないから仕方がない」

「ぐああああああっ!」


 少しアブラ臭い血だな。

 生活習慣の問題だろうか。

 それとも男と女の差か。

 母の血を飲んだあとだと劣って感じる。

 だけど、これはこれでクセになりそうだ。


「まあ、せいぜいこれからも俺の血液タンクとして頑張ってくれ」

「よくもやってくれたな! 今に見ていろ! 今に見ていろよ! この生まれ損ないが!」


 顔を真っ赤にして怒る義理の父。

 コイツの自信はどこから来るのだろうか。


「ああ。わかった。あんたがなかなか仕事に来ないから、見かねた同輩があんたのことを探りにくると思ってるわけか。なるほど。困ったな」


 とりあえず母の遺体は片付けようか。

 あとは家を出るか。


「しかし、わざわざ地下室まで来るかな。俺は来ないと思う。あんたはどう思う?」

「絶対に来る! お前は必ず暴かれる! この恩知らずの親不孝者が!」

「元気だねえ」


 結局、父の同輩がここに来ることはなかった。

 父はだんだんと弱っていった。


「もういい。もうわかった。父さんが悪かった。ぜんぶ謝る。すまない。もう許してくれ」

「今日のエサだぞ。食え」

「お願いだ。なんでもする。本当にすまなかった」

「食えと言っている」


 壁をドンと叩く。

 壁はひしゃげ大きくヘコんだ。


「は、はひぃ」


 パンをもごもごと口に入れる父。


「よしよし。いい子だ」


 それから一週間ほどしただろうか。

 父の様子がおかしくなった。


「ああ……」


 目がうつろで声をかけても反応がない。


「ついに気がめいったか?」


 指から血を吸ってみる。


「うっ」


 思わずペッと吐き出した。

 何日も放置したぬるい牛乳のような味だった。


「なぜだ?」

「その答えは、僕が教えてあげる」


 女性の声がした。

 かなり低くて大人の色気のある声だ。


「ヴァンパイアに血を吸われた人間は、魂が汚染され廃人となってしまう。ガストと呼ばれているね。もうその人間は使えないよ。ガストもヴァンパイアと同じく太陽の日に当たれば灰になってしまうから、早いうちに処理するといい」


 俺の右手にある模様から声がしている。


「あんた何者だ?」

「かつて魔王と呼ばれていた。今はただの凡夫さ。勇者に負けた僕は『賢者の墓』に封印されていたんだけど、君をヴァンパイアにした謎の少女が僕を掘りおこしたってわけ。彼女は何者なんだろうね? 君の知り合いかい?」

「いや、ぜんぜん知らない人」

「ふぅん。賢者の墓にほどこされた結界は強固なものだった。並のヴァンパイアごときに破壊されるはずはないんだけどね。あの子はいったい?」

「ところで魔王ってなんだ?」


 前世ではゲームによく出てきた概念だ。

 この世界でもそんな感じなのだろうか?


「魔王がなんなのか語り継がれてもいないのか。まったく残念で仕方がないよ。魔族の王といえば分かるかな?」

「ごめん。分からない」

「もしかして魔族は絶滅してしまったのかな。トロルやドラゴンは分かるかい?」

「トロル人なら知ってるよ」


 トロルと人間の混血、それがトロル人だ。

 褐色の肌と赤い髪をもつ亜人。聡明で忠誠心が強く、よく働き嘘もつかない。その優れた能力から、国は積極的にトロル人との混血を推している。

 純血のトロルはもういない。

 絶滅したんだ。


「かつてはトロルの他にも多くの魔族が存在していたんだ。その頂点に立っていたのが僕さ」

「すごい人なのかな?」

「そんなところだ。しかし今では見る影もないね。覚えられてもいない。ところで、君にお願いがあるんだけどいいかな?」

「内容による」

「願いを叶えてくれるなら、力を貸してあげよう。力と知恵は封印されてしまったけど、戦闘能力はいくらか残っているようだからね。紋章が刻まれた右手をかざすだけで、大抵の者はなぎ倒せるだろう。もちろんヴァンパイアハンターと戦うことになれば、おおいに役立つと太鼓判を押すよ」


 はっきり言って信用ならない。

 魔王とかいうのもよく分からないしな。

 まあ、話くらいは聞いてやらなくもないか。


「わかった。その願いとやらを話してくれ」

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