人気実況者たちの裏側
甘夏みかん
第一部
1.兎舞の笑い声が好きな話
「俺さ、兎舞の笑い声が好きなんだよね」
「うぇ?」
残念ながら社務所に居るのは、姫カットの黒髪を耳下で二つに結んだ巫女装束の兎舞と、桃色の髪を後ろで一つに結んだ黒い袴姿の希威だけだ。すると、室内なのに黒色のキャスケット帽を被り、薄い色のサングラスをかけた兄が、怪訝な表情で軽く身を引いている兎舞に躙り寄ってきた。
「和弥神社の紹介動画とか見てるとさ、声が出ないぐらい笑ってる時あるじゃん? あれ好き」
「ちょっ」
「堪えようとして堪えきれずに笑っちゃってるのも好き」
「待っ」
「それで、兎舞が笑ってる動画を何回も見てるんだけど、なんか段々と物足りなくなってきたんだよね」
戸惑っていて逃げる方向を完全に間違えてしまい、希威にどんどんソファーの端へと追い詰められていく。口ごもっている隙を突いて矢継ぎ早に吐露された結果、とても嫌な予感に駆られた為、兎舞は逃げようと決めた。ちょうど飲んでいたお茶もなくなったところだ。ジュースを買いに行くと嘘を吐こう。
「あー、ちょっと喉渇いたから、コンビニでジュースでも買ってくるです」
「だから、大爆笑してる兎舞を撮らせて」
「やだ、来んなです! 離せです!」
「笑ってくれるまで離さない」
「何も面白くないのに笑えるか!」
棒読みで立とうとしたが腕を掴んだ希威に引っ張り戻され、暴れて踠いている間に両手首をソファーに押し付けられた。妙に昂った声で迫ってくる希威から逃げられない。必死に言い訳を紡いで拒否の意思を示していると、希威が上半身を起こし携帯を持つ。
「分かった。じゃあ、俺が笑わせる」
「絶対笑ってやんねぇです」
手首を解放されたものの腰に跨られて動けず、兎舞は携帯を操作する自信満々な希威から顔を背けた。不貞腐れながら口元を引き締めて決意を固めると、次の瞬間、耳に届いたのは聞き覚えのある配信動画。何をしているのか物凄く気になるも耐える。
しかし、抵抗も虚しく希威に携帯画面を見せられた。眼前に突然現れたのは過去に撮って投稿した実写動画、それも笑いすぎて声が掠れた爆笑必至のものである。携帯から流れる自分の笑声に釣られる形で、思わず口元を緩めて吹き出してしまった。一度笑ってしまえば、もう耐えるなど不可能。
「そ、それはずるいです! 兄さんが何かして笑わせろです!」
「かわいい。兎舞、もっと笑って」
「趣旨変わってね!?」
「ツッコんでないで笑って、ほら」
止まらない笑い声で腹筋を痛めながら顔を逸らし、笑いのツボを突く動画から逃げる兎舞の頰に手を当て、興奮気味の希威が赤い顔で鼻息荒く携帯を見せてくる。視界に飛び込んできたシーンは、まさにこの動画屈指の面白い場面で、兄の目論見通りツッコミどころじゃなくなってしまった。
「な、涙まで出てきたです、くるし……」
「涙目の兎舞もいい……」
「さ、更に見せてくんなです!」
グラサンを外してまで覗き込まれて顔を隠そうとしたが、携帯を持っていない方の手で手首を頭上に挙げさせられる。碌に呼吸もできず必死に酸素を取り込みながら懇願しても、目を爛々と輝かせ口角を上げっ放しの希威はやめてくれない。長く続く爆笑で脳が狂ったのか、もう笑いたくないのに普通の場面でも笑声を溢してしまう。
そして、タチの悪いことに兎舞の爆笑シーンを自分で纏め、非公開で投稿している切り抜き動画を再生しているらしく、次から次へと種類を変えた笑いの刺客が唇を緩ませてきた。動画を見続けさせられる瞳は泣いたみたく潤み、笑うせいで上手く呼吸できず息も絶え絶え。痛む腹筋や頰など、午後か明日、筋肉痛間違いなしだろう。
「も、もう無理です……もう、やめて……」
「やだ、まだ足りない」
「お前は鬼か!」
肩で息をしつつ眉を垂らした悩ましげな表情を向け、涙で濡れた瞳で希威を見上げた兎舞は掠れた声で懇願した。これ以上、笑いたくないと泣きながら切実に請うも、希威によって無慈悲に一刀両断される。逃げないと失神するほど笑わされると確信し、ツッコミと共に身体を起こそうと試みた。が、全く力が入らず軽々と抑えられる。
その後、シークバーが一番端に辿り着いたところで、ようやく地獄から解放された。ぐったりしながら息を整える兎舞に跨がったまま、希威はご満悦なホクホク顔を蕩けさせて幸せそうにしている。ただ妹に動画を見せていただけなのに、全力で走った後みたく気息奄々な状態で余韻に浸っていた。
「ありがとう、兎舞。おかげで物足りなさが消えたべ」
「……満足したです?」
「大満足」
「……とま、笑いすぎて声がカッスカスなんだけど」
「でも、兎舞も楽しかったしょ?」
満足気な顔で携帯を大切そうに抱き締める兄を睨み、気怠くて動く気になれず仰向けのままで嫌味を言う兎舞。ニヤリと悪戯っぽく口角を上げて目尻の涙を拭い、希威に揶揄を孕んだ双眸で見つめられる。拷問かと思うほど苦しくて長かったのに楽しかったわけがない。と、即答できれば良かったのだが、兄が喜んでいるのを見て何となく否定するのを躊躇う。
「……この後、配信」
「そうじゃん! マジでごめん!」
どう答えるべきか分からず暫く言葉を詰まらせた後、視線を逸らしたままポツリと社務所で待機中の理由を吐露。紹介動画を撮る予定をすっかり忘れていたらしく、希威は申し訳なさそうな顔で露骨に周章狼狽し始める。慌てふためきながら兎舞の喉を気遣う姿は、見ていて少しだけスッキリできたが、可哀想になってきて妥協案を出した。
「……ジュースを買ってきてくれたら許すです」
「すぐ買ってきます!」
「うおっ、希威くん!?」
「とまの腹はトランポリンか」とツッコミたくなるほど、迷惑になるような勢いで兎舞の腰から降りた希威が、撮影を手伝いに来た
「凄い勢いで希威くんが出て行ったけど何かあったん?」
「……ノーコメント」
「うわっ、兎舞ちゃんの声カッスカスやん。希威くんに何されたんや」
鍛えられた体幹によりビクともしなかった白雪に、玄関の方を見つめたまま事の詳細を問われた兎舞は、笑わされてましたなんて言いたくなくて黙秘する。うつ伏せに寝返りを打ってクッションに顔を埋めると、白雪に気遣いを滲ませた声色で心配された。どうやら思っている以上にガラガラらしい。
「……疲れたからちょっと寝るです」
「嘘やろ? 今から撮影……もう寝とる!?」
笑いすぎて少ない体力を消費したのか、全く力が入らない身体を睡魔に狙われた。瞼を上げていられなくて重力に従って閉じれば、白雪の慌てたような声を最後に深い眠りに落ちる。想定以上に疲弊していたみたいで、目覚めた後、兄に本気の土下座をされるほど、長時間、一度も起きなかった。
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