魔女の令嬢は悪魔の花嫁となる

春森千依

プロローグ 舞踏会での出会い

 この日、従姉妹であり親友でもあるクララ・エリントンに招待されて、伯爵家の邸宅で開かれた舞踏会に出席していたロレッタ・アーチャーは、少しばかり急ぎ足で大広間を歩いていた。

 華やかなドレスを着た淑女や、正装の紳士たちが談笑したり、ダンスを踊ったりしながら思い思いに楽しんでいる。緩やかな音楽が奏でられ、クリスタルシャンデリアの明かりが大広間を照らしていた。それが、女性たちの首や指、腕や髪飾りに使われた宝石を煌めかる。さすがは、エリントン伯爵家の舞踏会だけあり、名だたる貴族たちが集まっていた。舞踏会は出会いの場でもあり、将来の結婚相手を見定め、お近づきになる絶好の機会でもある。そのため、多くの独身女性や男性たちは着飾り、各家で行われる舞踏会や夜会に足を運ぶ。ロレッタ・アーチャーも適齢期を迎えた貴族令嬢の一人ではあるものの、父は男爵で裕福というわけではない。むしろ、生活は他の貴族たちに比べて慎ましい。ドレスも他の令嬢のように新調したものではなく、型落ちのお古だった。


「まあ、あのドレス……どこから調達してきたのかしら?」

「私の叔母様が若い頃に着ていたドレスがあんな古くさいデザインだったわ」

「それを言ってはかわいそうよ。それに、似合っているじゃない」

 ヒソヒソと小声で交わしている令嬢たちの蔑みまじりの視線が痛くて、ロレッタは俯いた。

(ああ、早く、帰りたいな……クララを探さないと……)

 広間を見回して、クララの姿を捜す。今日の舞踏会は人が多く、息が詰まりそうだった。舞踏会に出るのは今日が初めてというわけではない。だが、これほど規模の大きな舞踏会は久しぶりだ。エリントン家の舞踏会は社交会でも人気が高い。招待された貴族たちは、こぞって娘や息子を参加せているからだろう。

  

 伯爵家令嬢であるクララは美人で、しかも決まったお相手はまだいない。彼女目当てにやってくる子息たちも多い。ようやく彼女の姿を見つけると、案の定、男性たちに囲まれている。金色の輝く髪をアップにしているクララは、大勢の中にいても自然と目を惹く。

(よかった、いた……っ!)

 ようやくホッとして、ロレッタはスカートの裾を少し上げながら彼女の元に急ごうとした。問題は周りの男性たちに話しかけられている彼女に、どうやって声をかけるかだ。会話に割り込むのは失礼だろう。できれば彼女の方が気づいて、あの男性たちの中から少しだけ抜けてきてくれれば助かるのだが――。

 きっと聡い彼女だから、ロレッタの窮地に気づいて、気を利かせてくれるだろう。 


『ロレッタ、あなたももう少し交流の輪を広げるべきよ。いつも本の虫じゃない。そんなことでは、出会いなど求められなくてよ。いいお相手は、すぐに売り切れてしまうんですもの。それとも、結婚には夢はなくて?』

 大学の寮でルームメイトである彼女は、ベッドに腰掛けながらそう言っていた。

(結婚に夢がないわけじゃないけど……)

 人並みに、素敵な男性に声をかけられたいという欲求くらいはある。だが、あいにくとクララのように美人でもなく、才能が豊かなわけでもない。趣味は読書と裁縫くらいだ。料理を作るのも好きではあるけれど、生憎とその腕前を披露する機会はなかった。


 屋敷でも、料理はメイドのアンナがしてくれる。ロレッタは彼女から、料理を教えてもらっていた。だが、それを知ると、父はあまりいい顔をしない。貴族の令嬢は料理などすべきではないと、古風な考えにとらわれているからだろう。だが、生活をしていく上で、料理も洗濯も、裁縫も、必要だ。世の中の女性たちは大半、家事を行っているのだ。もちろん、男性でも一人暮らしや他にやってくれる人がいなければ、自分でするしかないだろう。


(やっぱり、こういう賑やかな場所は苦手よ……)

 ロレッタはため息を吐く。物静かに読書をするのを好むロレッタは、あまり人との会話がうまくない。クララのように親しい相手ならいくらでもおしゃべりできるけれど、知らない相手と話すのは苦手だった。


 それがまして、男性となると、なにを話していいのかもさっぱりわからない。たまに声をかけてくる男性がいても、いつもロレッタが黙ってしまうから、最後には気まずそうに離れていく。

 社交会でのロレッタの評判は、『つまらなくて、地味で、あまり実家の財産も期待できない、売れ残り確定の男爵令嬢』といったところだ。実際に、他の令嬢たちからは、嫌みや皮肉の声が聞こえてくる。それが恥ずかしくて、この場にこれ以上いるのが耐えられなかった。それに、これ以上ここにいても、話しかけてくる相手も、ダンスを申し込んでくる相手もいないだろう。これだけ人が大勢いるのだから、一人くらいこっそり帰ったところで、舞踏会には少しも支障はない。


 ただ、招待してくれたクララには、ちゃんと帰ることを伝えておかなければならないだろう。付添人をしてくれているクララの母である叔母にも挨拶は必要だ。それがすめば、すぐに帰るつもりだった。そうすれば、この腰を締め付けている窮屈で、忌々しいドレスからも解放される。これ以上、自分のような冴えない親戚の娘がウロウロしているほうが、クララや叔母の評判に関わりそうだ。


「クララ……っ!」

 呼びかけようとした時、ドンッと誰かにぶつかってふらついた。その拍子に、相手が手に持っていたグラスが揺れて、ワインがドレスにかかる。「あっ!」と、声を上げた時、パッと腕をとられた。


「失礼」

 そう、柔らかな男性の声がして、ロレッタは顔を上げる。

 その瞬間、恐怖で喉が引きつり、思わず相手の手を振りほどいていた。

「キャアアアアアアアア――――っ!!」

 ロレッタの上げた悲鳴が大広間に響き渡り、男性たちと話をしていたクララがハッとしたように振り返る。

「ロレッタ!」

 クララが男性たちを押し退けて駆け寄ってくる。

 その姿がぼやけ、視界がグニャリと歪んだ。


 驚いたようにその人は、倒れるロレッタを見ている。

 その背後に、大きく映る黒く禍々しい影に、誰も気づいてはいない。 

 まるで血で染まったような赤い瞳を持つ、人ならざる怪物。


 その名を、気を失いそうになる直前に思い出した。


 ああ、これは――〝悪魔〟だ。

 







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