第49話:ロストフィールド④
墨汁を流し込んだような真っ黒な夜に蠢く三つの影。
それらは音を極力立てないようにしながら、しかし駆け足でゾンビたちの寝床の間を抜けていった。
闇を引き裂くように突き進み、一陣の風のように駆け抜け、先へ、先へ。
完全に日は落ちきっているから、今いる路地裏に明かりと呼べるようなものは無い。ゾンビと遭遇しないよう、夜目を頼りに気をつけながら進んでいく。
大通りには仕事帰りらしいゾンビが多く歩いているので、もし見つかりなんてしたら数の暴力で殺されてしまうだろう。
「待て」
十字に広がる路地裏で、ラスボスは動きを止めた。そのまま指で右手に隠れる事を指示し、エミーリアとメーテルリンクは移動する。
「なにがありましたか?」
「魔導ゴーレムだ。四脚の狙撃型、ビルの上に陣取ってる。まだ気付かれてはいないみたいですけど」
「狙撃型……厄介な相手だ」
四脚は狙撃の安定感を高める効果があるという事は広く知られているが、搭載する必要のあるジェネレーターが大型化してしまう問題から採用される事は少ない脚部だった。
しかし、こういった機動力よりも射程が必要な場所や、大きさなど気にしないというような組織には使われている。その精度は高く、ラスティの言うように非常に厄介な相手だ。
それが進行方向に立ち塞がっている。このまま無策で進めば狙撃の雨に晒され、更に音を聞きつけたゾンビも集まって大惨事になってしまうだろう。
どうするか、と三人は顎に手を当てて考えて、エミーリアは言った。
「ビルの下層部を崩して魔導ゴーレムを引きずり落とす。そうすれば派手な音で気も引けるし、寄ってきたゾンビは魔導ゴーレムに処理させることができる。一石二鳥です」
「そんな長距離破壊は誰が?」
「ラスティさんの現実改変ならどうでしょう?」
「可能か不可能かなら、可能だ。しかし遠くて定点ポイントの破壊ができるか怪しい。殲滅や大味で良いのなら得意だが、大通りの作戦目標や君を守りながらは自信がない。私だけで少し移動して撃つ事になる。構わないか? ふたりとも」
「上手く隠れておきます」
そう言われた彼は頷きながら闇の中へと消えていった。
あの狙撃型四脚魔導ゴーレムがどこまで見ているのかは分からないが、不用意に屋上に上がってしまえば発見されてしまう可能性が高い。そして見つかってしまうと、魔導ゴーレムの増援を呼ばれる可能性も非常に高い。
だから屋上は使えない。そして建物の中には未だに残業をしているつもりのゾンビが残っている事があるから、建物の中に飛び込むのもリスクがある。
だから彼女は、建物の外壁に必ず付けられている排水パイプに足を掛けて、メガネを創り、人差し指を向けた。
窓の無い壁を垂直に、地面目掛けて降りている排水パイプは、それを固定するために一定間隔で足を掛けられるくらい大きな金具で固定されている。
片手でパイプを掴み、片手で視界の照準を合わせて、狙いを定める。
狙撃四脚魔導ゴーレムからはギリギリ捕捉されないくらい低く、道行くゾンビからも見上げられなければ見つからない高さから、が放たれた。
ゆっくりと辺りを見渡していた狙撃型魔導ゴーレムは、自身に向かってくる現実改変の予兆を感知して、次に着弾寸前のエネルギーを見た。
次の瞬間、狙撃型魔導ゴーレムが陣取っていたビルに大きな衝撃が走る。
長らく人に整備もされずに放置された結果、倒壊寸前にまで老朽化していた小さな商業ビルの下層部が忽然と消失した。
瞬く間に崩れ出すビル。想定外の事態に行動に移るのが遅れた狙撃型魔導ゴーレムが逃げ出そうとするも、既に遅い。あっという間に瓦礫の山と土埃の中に消えていってしまった。
そして、その大規模な倒壊は近くのゾンビ及び警戒していた自律魔導ゴーレムたちの目を釘付けにした。
まるで野次馬のように集まっていくゾンビを見ながら、二人の下へ戻る。
「待たせた。行こう」
そう小声で言いながら、三人は目的地へと歩を進めていく。放置されたままのガス管に引火したのか、凄まじい爆発音が静寂を切り裂き、遥か彼方にまで響いていた。
──さて、それから六時間ほど経過したくらいで、ようやくお目当ての迷宮都市の跡地に到着した。
「ここか」
「行きましょう」
壁に穴が開き、玄関の自動ドアは何かによって内側から壊されてドアの原型を保っていない。
入口だけでもこの荒れ具合だ。中だってこれくらい酷く荒れているに違いない。そう思いながら、壁に大きく開けられた穴から内部に侵入する。
ここからは閉所でゾンビとの戦闘になる可能性が高くなるだろう。それを覚悟しているので、二人は魔装ゴーレムギアに搭載されたをエネルギーを防御重視して、ラスティは自分の体の周りに防御バリアを展開した。
油断なく左右に目を走らせ、閉所での戦闘に長けた護身用のナイフを持つ。
「いざとなったら私を見捨てて一目散に逃げる。分かっているな?」
「はい、わかっています。ただ、少しは資料を回収しておかないと。帰っても役立たず扱いは嫌です」
「素早く回収出来る事を祈りましょう」
床や壁が血や土ぼこりで汚された受付らしき場所を通り過ぎると、これまた血や土ぼこりで汚された長い廊下が現れた。
「どこにあるのでしょうか?」
「虱潰ししかないな。目についたところを片っ端から調べれば、いつかは出てくるはずだ」
手近な扉に手を掛け、ゆっくりと開けて中の様子を伺う。見たところゾンビの姿はないようだが、デスクの陰など見えない箇所もあるために油断は出来ない。
先に入った彼女の後ろを慎重に着いていきながら、ラスティは散乱したデスクの上にある物に目をやった。
破壊されたコンピューター、割れたマグカップ、写真立てに入れられたまま放置された家族写真……。
どれもこれも、かつて此処に人が生きていた事を証明するような物や残骸ばかり。だが、肝心の研究成果は全く見当たらなかった。
「無いな」
やはりと言うべきなのだろうか。一国の最重要書類がすぐ目に付くような場所に置いてあるはずも無く、部屋を次々と探して二時間が経過してもまだ書類の一枚すら見つからない。
「もっと奥の方なのかもしれない……ただ向こうから、危険な臭いするのが気になる」
「物理的な意味ですか? それとも勘?」
「両方だ」
さっきから気になっていた、腐臭が漂ってくる方向に向かうと、そこには頭が潰され、腕は270度近く折れ曲がって中の骨が飛び出し、内臓をボロボロと零しているゾンビだったものが転がっていた。
それは辺り一帯に鼻がひん曲がるほどの悪臭を放っていて、ラスティの顔が自然と顰められていく。
「下水道と同じだ、酷い匂い」
「今ほど魔装ゴーレムギアの嗅覚遮断モジュールに感謝したことはありません」
「同感です」
原型を留めず、もはやグロい肉塊だったものと呼んだ方が相応しいほどの死骸。
それを見て、グロいという感想より先に来るのは、誰がこんな事をやったのか? という疑問だ。
中の血液のようなものが垂れ流されているのを見る限り、このゾンビはさっきまで活動していたことが分かる。
まさか潰されてから移動した訳もないだろうから、考えられるのは、ここにいたゾンビを先に訪れた誰かが潰したということ。
「先客がいるな」
「ここで先客というなら十中八九……世界封鎖機構。それもこちらに依頼した派閥と競合する相手だろう」
恐らく、この先にいる。
それを感じた三人は、顔を見合わせて頷きながら廊下を進んでいった。
進んだ先にあったのは、何かが等間隔に立ち並ぶ広い空間だった。
真っ暗なので良く分からないが、その"何か"は物を入れておける容器のようであるらしい。
「見るからに怪しいな」
「でも何も見えないわね……ライト点けますか?」
「相手に見つかりませんか?」
「既にバレてる。明かりをつけた方が良い」
それもそうかと頷いたエミーリアはポケットからハンドサイズの懐中電灯を取り出すと、それで近くにあった何かを照らした。
「シリンダー……ですよね、これ」
「既に抜き取られた後か」
それは大きなシリンダーだった。人間サイズのものであればスッポリと中に入ってしまうほどの大きさであるそれだが、中には何も無い。
「……これを見て欲しい。何か貼ってある」
そのシリンダーには中身を示しているらしいタグが貼られていた。それにライトを当てて指でなぞる。
『35歳 女性 個体名:■21』
「…………被検体?」
「横の奴も見てみましょう、今度は中身もあります」
言われるがまま横のシリンダーのタグがある場所にライトを当てる。
『17歳 男性 個体名:6■』と記載されていた。何箇所かは損傷のために読み取れないが、この数字の羅列は何を示しているのだろうか?
それに疑問符を浮かべたまま、ライトを上の物体に当てた。
すると、シリンダー内部に残されている男性の上半身が光に照らされた。
その下半身は無い。
「なんか、碌でもない事やってるっていうのだけは分かるが……何をしていたかはわからないな」
人体実験でもしていたのだろう。その成れの果てが、目の前の彼であるに違いなかった。
「で、その横が……おお」
「481……でも見て、右腕が異形化している」
『21歳 女性 個体名:481』というプレートが付いているシリンダー内の個体は、肩の付け根から既に無機質な触手のようなものが存在感を主張していた。
その様子は表現が難しいが、右腕を切り落とし、そこに異形の腕をそのまま貼り付けると、こうなるのかもしれない。
これ以外にも、目を覆いたくなるような肉とモンスターの部位が融合した塊の数々が、シリンダー内で今も浮いていた。
『54歳 男性 個体名:■74』
『3■歳 ■性 個体名:85■』
『■歳 女性 ■体名:■0■』
『■■歳 男性 個体名:942』
ほんの一部だが、その一部からでも分かる狂気の数々。過去の時代では、このような異常がまかり通っていたというのだろうか。
「ふっ、出来の悪いホラーとかだと、ここで彼らが一斉に目覚めて襲ってくるんだ」
「怖いこと言わないでくれます?」
「すまない…………あれは?」
壁にライトを当てると、壁際の鉄製のラックに何かファイルが大量に保管されているのが分かった。
それに近寄り、タイトルの書かれた背表紙を一つずつ照らして読み上げてみる。
「『魔力研究①』『魔力研究②』『魔力弾頭実験報告』『モンスター兵器転用の可能性と理論』…………研究資料は一纏めにされてたのか。道理で見つからない訳だ」
「いざとなったら此処を破壊して機密を守るつもりだったのかもしれないですね」
ライトを口に咥え、ファイルを一つ手に取る。その内容は学があるとはいえないラスティには全く分からないが、パラパラと捲ってみた限りだと、これが回収するように言われていた資料のようだ。
「この辺の奴を詰め込めるだけ詰めこむ。二人は周辺の警戒を頼む」
「わかりました」
大空の指輪の能力である異次元の保存空間に書類などを全て収納していく。
「『プロジェクト・ネクスト』……?」
そう記されたファイルは、他のファイルの倍以上の大きさであった。魔力研究に関するものではないようだが、もしかするとこれも重要な物なのかもしれない。
そう思ったラスティは適当な箇所を開いて読みはじめた。
「『──であるから、人間の脳から出る電気信号を魔力信号に変換し、フォーミュラブレインとして搭載する事で、人類は脆弱な肉体という器を捨て去り、まさしく不老不死と言うべき存在に昇華する事が可能になるのである』」
小難しい理論式の合間に記された言葉を読み、更にページをめくる。
「『ただし、変換したままの意識チップを搭載すると情報量に耐えきれず発狂してしまう。
当報告書を書く前までは解決方法も分からず、これまで多くの実験体を無駄にしてきたが、アスラクラインが進めていたプロジェクト・ファントムの研究成果を生かす事で問題がクリアできた。
プロジェクト・ファントムの詳細は別冊子に纏めてあるので、そちらを閲覧されたし』
……ページをめくる。
『プロジェクト・ファントムによる人格データの改変と、人間だった頃の記憶を全て消去することにより、ネックであった意識チップの容量を圧縮することに成功。どうにか発狂せずに稼働させる事が出来た。
ただし、元になった人間を完全に再現するという本来の方向からは多少外れてしまっているため、今後の研究で本来の方向へと軌道修正を計りたい』
…………ページをめくる。
『まだ課題点は残っているが、自身を実験体とした意識チップの成功で、この技術は概ね完成したものとする。
最後に、この技術の完成に多大な支援をしてくれたアスラクライン。ならびに迷宮都市全ての研究者に多大な感謝を述べて、本プロジェクトの報告書を締めさせて頂きたい』
「アスラクラインが研究者……なるほど。面白いな」
ラスティは書類を収納したところで
『やあ、おはよう』
──男の声が、室内に響いた。
「ッ!?」
次の瞬間、廃墟なはずの施設に電気が点灯する。パッと明るくなった室内に三人の目が眩んだ一瞬。
その一瞬で、黒い何かが動いた。
「ぐうっ!?」
「エミーリアさん!」
視界を閉じてしまったエミーリアが感じたのは、何者かに首を掴まれ、壁に叩きつけられながら首を絞められる感覚だった。
「かはっ!?」
黒いフード付きコートを目深く被った誰かがエミーリアの首を絞めあげる。
ヒトの形を取ってはいるものの、成人男性一人を片手で持ち上げるほどの力を持っているソレは、普通の人間ではない事だけは確かだった。
「くっ……!」
ギリギリと万力のように締めあげてくる片手をどうにか引き剥がそうとしながら、狭まる視界で顔を見ようとした。
しかし、どうやら素顔をマスクか何かで隠しているようで、フードの奥には無機質な赤い二つの目と黒い鉄の艷めきが僅かに確認できただけだった。
「がぁっ」
このまま首の骨を折られるかと覚悟したが、ラスティの手刀が炸裂して黒い人型の腕を切り裂いた。
「メーテルリンク!」
ヒトガタが動きを止めた一瞬、今度はメーテルリンクが動いた。
ナイフを人型に突き刺すべく肉薄。
一時停止ボタンを押されていたかのように止まっていた人型が、その声に反応して振り向く。
が、遅い。
「命令。死ね」
メーテルリンクがナイフを突き刺す。同時に解き放たれた刀身が胴体を貫き、その勢いのまま遥か後方へと吹き飛ばした。
千切れた腕、そこから伸びた配線の数々が、謎の人型が機械人間の類いであることを示している。
それには目もくれず、ラスティは拘束から解き放たれて咳き込んでいるエミーリアの手を掴んで、一気に外へ出る。
「出口まで走れ。外へ出れれば私の能力で一気に距離を稼ぐ!」
「げほっ、分かっ……りました……っ!」
まだふらふらしているものの、動かなければ死ぬ事は分かっている。
エミーリアが何とか走り出そうと一歩を踏み出した時、わざとらしい拍手の音がした。
『ふぅん、なかなかやるね。その咄嗟の判断は見事だ。流石、古代の遺物を敵に回して手付けただけはある』
さっき聞こえた男の声がする。室内に取り付けてあるスピーカーから響く賞賛の言葉にラスティはは、厳しい目線を向けた。
「世界封鎖機構だろう! 何で私達を殺そうとする! 依頼を持ってきたのは君達だろう!」
『はぁ……質問が多いね。僕が答えるとでも?』
投げかけられた問いを一蹴した声は、小馬鹿にするような調子を保ったまま言った。
『でもまあ、ここまで来れた御褒美に、一つだけ答えてあげよう』
そして告げた。彼の名前、その役職を。
『聖杯連盟。神喰らいのヴァルトール。それが僕の名前だよ』
「聖杯連盟……!?」
予想外だった。
あからさまなほど敵意を向ける彼らなど何処吹く風という感じで、神喰らいヴァルトールは軽い調子を保っている。
『さあ、目的を果たしたなら帰りなよ。お帰りはあちらだ。僕個人としては、ここで殺してもいいんだけどね。帰るのなら追いはしない』
「疑問:何をしたいんすか、貴方は」
『帰るのかい? 帰らないのかい?』
エミーリアの質問に答えず、二択を突きつけてくる。
どうして生かして帰そうとするのか、その意図が読めない。
一方的に言いたいことだけを言っていく態度は不気味で、しかもそれでいて、あからさまにラスティ達を見下しているようだった。
「……何を考えてるのかは知らないが、ここは退こう」
警戒しながらバックパックを背負い、ラスティはゆっくりと後退しはじめた。
まるで意味が分からないが、帰してくれるというなら帰らせてもらおう。ここで死ぬのはラスティとしても本意ではない。
そうして二人が撤退した後、施設の更に奥から同じ姿をした、無傷の人型がもう一体現れた。
『アクア・リアス。追撃はいい、そこで待機してくれ』
『……いいのか?』
先ほど倒された残骸に目を向けながら、ボイスチェンジャーを使っているのか、幽鬼を連想させるような恐ろしい声で神喰らいヴァルトールに聞く。
ノイズが混じったその声の低さは男性特有のものだった。
『構わないよ。こちらも必要な結果は得られたし、あの二人に関しては今のところ契約外だ。余計な労力を使う事はないさ』
別に、見られて困る物を置いていた訳ではないからね。
魔力の技術を持っていかれたにも関わらず、神喰らいヴァルトールは余裕を崩さない。
『僕らの目的は神聖防衛王国から依頼を遂行すること。それが最優先だからね』
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