第一話 踏みつぶされた桃の実①

 ウメは同じ里の人たちと比べてみても、みすぼらしかった。

 野良猫のように荒れ放題の毛並みで、それをいつぞやか見かけた巫女様のようにひとつ結びにしている。手足は土と汗とがいりまじっていて、どうあがいてもその汚れはこそげとれそうにはなかった。おまけにまとう着物は穴だらけ、ボロだ。

 だがウメは気にしなかった。

 気にするも気にしないも、気づいたらこうで。このままを生きること以外、あまり頭になかったのだ。

 通りすがりの人たちが彼女をこそっとののしる。

「見ろ。わからずやだよ」

「げ、よだれたらして歩いてやがらぁ」

 その言いぐさでようやく気づいたウメは自身のよだれをぬぐった。口があいていたらしい。別に腹が減ってるとか、夢を見ていたとか、そういうことではない。

 ただ何も考えずぼうっとしていると、こうなるのだ。悪いなぁと思いつつも、恥とは思っていなかった。ウメはそういう子だった。

(そうだ。悪いと言えば、おっとうの具合が悪いんだった。どれ、水汲みのついでに桃の実をもぐか)


 若草色をやどす山道を進んだ先で、真昼の日差しがウメの視界を奪う。どうやらひらけた土地にでたようだ。

 立ち並ぶ果実の低木は、おぉおおっと水音をたてる滝を囲うようにして、果樹園の様相をなしていた。

 滝の大きさはざっとみつもって、ウメの背が縦に五人、横に三人ほど、そんなもんだろうか。周囲の果樹はといえば、桃の実の他にも色とりどりに実っていたが、ウメの知る果実は桃の実しかなかったため、そればかりにやたらと目がいった。

 だが特筆すべきは何といっても土だった。枯葉からのぞく山の茶色い土や、里の白い砂地とも違う地面を、その場所は持っていた。

 きらきら。きらきら。

 なんと、黄金色に光る土だ。それもふかふか。ウメの裸足にも優しい地面だった。

 父のウリスケが言うには、ウメが生まれるずっと前はこの果樹園や滝、黄金の土もなくて、普通ののっぽな山で、木々だったそうだ。

 ちなみに。

 ああ、「神」もいない世界でな、あの頃はよかったぁ。それがウリスケのきまり文句でもあった。

(あ、あの桃!とびっきり形がいい!)

 ナリのいい桃の実を見つけたウメが、ふと手を伸ばす。

 しかし。

「何してんだ!」

 息をきらした少年の声がした。

「わっ?わわわわっ!ひゃぁっ」

 盛大に後ろから引っ張られ、尻もちをついた。

「はん。馬鹿が。転んだくらいでチクるなよ?ってオマエにそんな頭はないか。いいか。ここいらの水と果樹はたった今から俺のものだ。俺の目が光ってるうちは、オマエはこれらに触れらんない。いいな」

 そう吐き捨てたのはウメよりすこし年上の、センジという少年だった。

 だが、センジの言葉はいささか以上に連なりすぎていて、ウメにはさっぱりわからなかった。

 思ったのは次のことだけだ。

(な、な、な!仕返してやる!この!この!このっ!)

 ウメはセンジを、何度も殴ったり蹴ったりした。いや、現実ではしなかったのだが。

 むしろ本当にはできない、ウメにとって、センジは怖すぎる。よだれと悔し涙だけが汚らしくもたれた。

「わかったらとっとと消えろよ」

 これ見よがしにセンジはウメの目の前で、桃の実に水をふっかけ表面のとげをとっていく。そして頬張った。

 前途しての通り、ウメにはセンジの言動はモヤみたいなもので、さっぱりわからない。そのためウメは桃の実に手をのばしてしまう。のばして、のばして、またのばした。

 しかし、都度その手はセンジにはたかれた。

「何すんの!」

「何すんだはこっちの言い分だ。さっき言ったろ。ここいらの果樹は全部、俺のもんだ」

「オマエなんか死んでしまえよ!もう邪魔!邪魔!邪魔!邪魔ばっかり!」

「ああっ?ぎゃーぎゃーうっせぇな。オマエが死ねってんだ、ばぁか!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る