21 土竜が後悔する陰で、偽りのケモノたちは決起する
傾けた銚子から無色透明の液体がぐい呑みに注がれる。
銚子を横に置くと、ぐい呑みの中身を伸忠は一気にあおった。
――もっと上手くできたのではないか。
――もっと早くたどり着けたのではないか。
後悔の念が味を感じさせない。
今いる場所は「居酒屋までま」の2階の座敷。刺身の盛り合わせをがっついて食べていたフェリがいたが、5人分を平らげたところで満腹になり、ふらりと外に出て行った。
お代わりを持ってくるついでにフェリをモフろうと2階に上がってきた万理華が、いなくなったのを知り、肩を落として、1階に戻って行ったのは、少し前のこと。階下で、先に毛並みを堪能した夕香里に、
「お姉ちゃん、ずるい~」
と愚痴をこぼしている。
晴菜たちは一命をとりとめた。生きてさえいればどんな致命傷でも治す、とっておきのクラス1のポーションを全部使った。後から駆け付けた「サイバーヴァイカルズ」と協会の危機対応チームの力を借りて、地上まで運んだ。
そこから先の記憶が無い。気が付いたら、今いる「居酒屋までま」の座敷にいた。
そもそも、晴菜たちの所にたどり着いたところから、記憶が飛び飛びになっている。
やったことは大体覚えている。スキル「観察」の力をフルに使った。それだけ。手持ちで一番強い致死性毒を矢じりに浸して、コンパウンドボウから放った。どのくらいの力で弦を引き絞ればいいのか、当てるためにはどこを狙えばいいのか、スキルが全てを教えてきた。急斜面を駆け下りたのも同じ。最短最速で晴菜たちの下に駆けつけるには、ベストと伝えてきた。それに従っただけ。下りた後、下半身はズタボロになったが、ポーションを飲めば問題はなかった。
あと、残っている記憶は、
血。血。血。血。ゴブリン。真っ赤な血。血。殺。血。血。血。
血の海に力なく横たわる晴菜たちの姿が脳裏に浮かぶたびに、伸忠の唇がきつく噛みしめられる。
また、ぐい呑みをあおる。
コン
空になったぐい呑みのテーブルを叩く音が部屋に虚ろに響いた。
酔えない。
空になった銚子が何本も転がっている。
「おうおう、飲んでるな」
直章が2階に上がってきた。
「1階はいいんですか?」
伸忠の問いかけに、壁にかかっている時計を指さして、
「ほら。もう閉店時刻だ」
「……ああ、すみません。だったら、帰りま」
伸忠は立ち上がろうとしたが、立ち上がれない。足に力が入らなかった。
「今夜はもう泊っていけ」
「……すみません。そうします」
甘えることにした。力の入らない足で家に帰るのは無理だと分かったから。
「今日はお疲れさん」
そう言って、直章は新しく持ってきた銚子から伸忠のぐい呑みに酒を注ぐ。関係する配信を見て、耳聡い常連客達から話を聞いて、何が起きたのかは大体知っている。伸忠の今の感情も察しが付く。
かつて、まだ探索者だった時、ダンジョンで夕香里と万理華が重傷を負った際も、同じようになったから。後悔ばかりが頭に浮かんだ。その度に尊敬する先輩に愚痴を聞いてもらった。聞いてもらったことで、完全に前向きになることは出来なかったが、それでも少しは気が楽になった。だから、してもらったことを真似る。
「俺もな、ダンジョンで夕香里と万理華が傷を負った時思ったさ。『もっと上手くできた』とか、『俺が代わりになれたら』とかな」
「……」
「最後は全部吞込むしかないんだがな。『最悪は避けられた』って。でも、分かる。色々考えてしまうんだ。だから、今は吐け。俺が全部聞いてやる」
直章の愚痴を聞いた先輩は、今はダンジョンの中で静かに眠っている。守れなかった大切な人と一緒に。
*
いつものVR空間にタヌキのアバターがログインする。
「お疲れ~」
離れた所で作業に没頭している子ダヌキを見守っていたキツネが明るく声を掛けた。今日一日ログインしっぱなしである。そして、その明るさの裏では、タヌキが属している組織が今日やらかした失敗をネチネチイジメてやろう、と手ぐすねひいて待ちかまえていた。けれど、
「……ぅ、ぅ、ぅ、ぅうわ~~ん!」
「?! お、おい! どうしたん!?」
急に声を上げて泣き出したタヌキを目にすると、慌てふためくしかない。普段のスカした態度とは真逆の感情を露にした様子は初めて目にするものだったから、なおさら。泣くさまはアバターに備えられたモーションによるものだが、泣く振りではなく、中の人も含めてガチで泣いているのは分かった。こうなると、もうなだめるしかない。
同じ空間にいる他のメンバーも、初めこそ様子をうかがっていたが、そばにキツネがいるのを見るとすぐに注意を外した。中には、「任せた!」と言わんばかりにサムズアップするアバターも。
――押し付けやがって。
不満を押し殺す。なにより、泣く子には勝てない。
「あー。鼻水垂れてるよ。ほら、鼻かんで」
「……ズビビビ!」
モーションだと分かっていながらも、その盛大な鼻かみに顔を引きつらせてしまう。引きつらせながら、さっきよりは優しめの声音で訊く。
「……それで、タヌキチ、どうしたん?」
「……晴菜ちゃんたちが無事でよかった~。ぅ、ぅうわ~~ん!」
――泣きたいのはこっちだよ。
再び盛大に泣き始めたタヌキの様子に、内心で愚痴を零しながらも、「仕方がない」とあきらめ、泣き止むようにあやす。
しばらくして、少し落ち着いてきたのだが、
「……何度、トイレに行って首を吊ろう、死んでお詫びしよう、と思ったか分からない」
うつむいて唐突にポツリと零された言葉に思わずドン引く。
でも、そう考えてしまう心当たりがキツネにはあった。
「もしかして、あの人の配信、リアルタイムで見ていた?」
無言で首が縦に動いた。
あの時、「レッドフラッグ」の配信はシステムによる自動停止がされた。「サイバーヴァイカルズ」のは「レッドフラッグ」が殺された後のシーンは映らないようにされていた。
伸忠の配信には全部映し出されていた。丘の上にたどり着いてから、彼が目にした光景が全て。「サイバーヴァイカルズ」が合流した後は配信が停止されて、アーカイブも公開されていないから、目にすることはない。残っているのは、リアルタイムで見ていた人の記憶のみ。
あの瞬間、心臓を締め上げられる辛さを感じた。
――なぜ、彼女たちがこんな目に遭わないといけないのか。
――ダンジョンなんか無くなってしまえ!
理不尽な現実に強い怒りを感じた。
凄惨なシーンを目にすることなく「助かった」と安堵し喜ぶコミュニティ仲間には、八つ当たりしたくなる感情が浮かんだ。「能天気野郎ども!」と。
だから、今、横にいる相手には共感と同情を抱いた。組織の失態を「自分のせいだ」と己を責めている様子が手に取るように分かった。
「アタシも見ていたよ。あの配信、リアルタイムで。晴菜ちゃんたちが倒れている所も、全部」
「……本当?」
「本当」
「ここのメンバーは?」
「見ていない。チビなんかには刺激が強すぎるだろ。だから、アタシだけ」
「……そっか」
「タヌキチのせいではないだろう」
「……」
「そして、あの人が、『最初の人』がまた助けてくれた。彼女たちは生きている。だから、タヌキチが背負う必要なんてない」
「……そうかな?」
「そうだ」
「……ごめん。無様なところを見せた」
「……気にすんな。もう忘れた」
タヌキの目にようやく力が戻ってくるのを見て、少し安心する。
「でも、よく気が付いたね。
「気付いたのはチビさ。で、アタシが顔認証掛けたらピッタリ一致。いやー、この間のライブであの人がからまれていた動画を残しておいてよかった」
「あの人の正体、遂にバレちゃったんだ」
「タヌキチは知っていたんだ?」
「仕事でね。ほいほい個人情報を晒すわけにはいかないでしょ」
肩をすくめるタヌキに、キツネは本題に入ることにした。いつまでも特別対応はしない。
「で、タヌキの職場は、今回のこと、どうするつもり?」
――アタシの推しを、あんなひどい目に遭わせたんだ。
そんなキツネの内心を推し量るように、その目を覗き込むようにタヌキは顔を近づけると、
「キツネが余計なことをする必要はない。明日には謝罪会見が開かれて、全部オープンにされる」
ビデオ会議で今回の件を報告を受けた協会のトップ2人の同じような顔を思い返しながら言う。事態の深刻さに顔を青くし、引き起こした不手際には怒りで顔を赤くしていた。そして、取るべき責任に向かって表情を引き締めていた。
「関わった人間は全員懲戒。続投が既定路線だったトップ2人は、責任を取って、役員報酬を返上したうえで今期限りで退任。再発防止のための第三者委員会も設置される。協会が主催するダンジョン配信のチャンネルもこれで終わりになると思う」
今回の配信を企画した益田正人は処分の上、経済産業省に戻されるが、それで終わりのわけがない。前事務次官の顔に泥を塗った責任は取らされる。出世レースからの離脱&冷飯食いは確定済み。正人の上司の広報課長も出向元の内閣府に戻される。他の関わった人間もそれぞれ懲戒処分。さらに、第三者委員会の調査の結果、違反行為が新たに見つかれば、相応の追加処分が下される。外部企業からの金品授受は一切禁止されているから……。
「ふーん」
「不満があるだろうけど、ここで我慢しておけ」
「……分かってるよ。その位の分別はある」
言いながらも不満を隠さないキツネの様子をタヌキは観る。陰でコッソリ暴走しないかどうか。
分別は残していそう、と判断したので、1つのデータを送る。護衛予算をケチらせた広告代理店とコンサルティング会社の。
「なら、これ」
「なに?」
「今回の配信を
「……へ~。つまり、こいつらが彼女たちを危険にさらした張本人ってわけ」
キツネの顔に浮かんだ獰猛さに、渡したことを少しだけ後悔する。でも、遅かれ早かれ、情報公開されたら行きつく話。それに、
――私も怒りが無くなっているわけじゃないからな。
一応、釘を少しだけ刺しておく。
「鵜吞みしないでちゃんと裏取りするんだぞ。あと、動き出すのは明日の記者会見の後、情報公開がされてからにしてくれ」
「へいへい。分かっているよ。タヌキチには迷惑はかけないから。それに、もっと楽しいことがあるから」
「……楽しいこと?」
意外なキツネの反応に、タヌキは首を傾げる。それを見て、キツネがある方向を指さした。そちらには、何か作業に没頭している子ダヌキの姿。
「出来ました!」
展開していたウィンドウを閉じた子ダヌキが辺りを見回して、あるアバターの姿を見つけると一目散に駆け寄っていった。
「スカンクさん! 出来ました! チェック、お願いします!」
スカンクのアバターの中身の本業はビデオグラファー。
「ありがとうございます!」
OKを貰うと、次のアバターに駆け寄っていく。それを繰り返して、キツネたちの下にやってきた。
「キツネさん! チェック、お願いします!」
「はいはい。待ってました~」
今までとは打って変わって緩い口調で話すキツネが子ダヌキからデータを受け取る。そこでようやくタヌキの存在に気が付き、
「あ! タヌキさん! お仕事お疲れ様です!」
これまでに見たことがない子ダヌキの高いテンションが、疲弊したタヌキには眩しい。
「……何をやっているんだ?」
「タヌキさんもチェックをお願いします! それで、もし、ご賛同いただけるなら是非とも署名に協力してください!」
子ダヌキから3つのデータが送られてくる。確認すると、3つのうち1つは署名活動を行っているHPのアドレス。残り2つはそれぞれ30秒と2分程度の動画。短いのは、「セレナーデ通信」で晴菜が伸忠への恋心を真っ赤になって告白しているシーンと、ダンジョンで意識を取り戻した際、横にいた伸忠に「伸おにいちゃん」と口にして手を伸ばし、伸忠もそれに応えているシーンが上手くつなぎ合わされている。長い動画にはこの2人の関係の詳しい経緯がコンパクトにまとめられている。これらの動画は先程のHPにリンクされている。
「……賛同? 署名?」
「何それ? おいしいの?」と首を傾げるタヌキに、子ダヌキはまくし立てる。
「そうです! もう、私たちはそうするべきです! これは運命なのです!」
これまで秘密に包まれていた晴菜の初恋の人が明らかになった。しかも、それが「『チーム・スピカ』の最初の人」。彼女たちのデビューライブを救ったうえで、さらに今回の命の危機にも駆けつけた。
誰かに仕組まれた演出なんかではない。
偶然という名の奇跡。
その事実が子ダヌキの感情を強烈にかき立てる。あの瞬間、晴菜が「伸おにいちゃん」と手を伸ばし繋がれた瞬間のこのVR空間での静寂と続いた大歓声を思い返すたびに、血が沸騰する。
「だって、『「チーム・スピカ」の最初の人』のあのお兄さんが晴菜さんたちのピンチを救って、そして、そして、『伸おにいちゃん』だったんですよ! もう、これは運命以外ありません!!」
「……お、おう」
目を見開いて身を乗り出してくる子ダヌキに、タヌキは背中を後ろにそらせてしまう。そのことに子ダヌキは気が付かない。
近くにいた。つまり、隠れて付き合っていた? 晴菜がそんなことができる性格ではないのは、日々更新されるSNSの内容、「セレナーデ通信」でのやりとり、ライブでのMCなどで誰もが知っている。だからこそ、彼女の恋心を耐える健気さが、子ダヌキの感情をさらにヒートアップさせる。
「ですが、以前、晴菜さんはこうも仰ってました。自分はアイドルで、ファンからの期待を裏切るわけにはいかない、と。つまり、私たちファンのためにご自分の恋をあきらめている、そう仰っているのです。ならば! 私たちファンは晴菜さんの背中を押さなければいけません!!」
「……つまり、なんだ。晴菜ちゃんの初恋を叶えよう、そういうことだな?」
「そうです! これは私たちファンの責務です!」
子ダヌキの背中にメラメラと燃える炎を幻視してしまい、
――暑苦しいなあ。
と思ってしまうが、それを口にすることはなく、代わりに、別に思い浮かんだことを口走ってしまう。
「……あの人が結婚し……は、無いな。結婚指輪はおろか、指輪1つしていなかったし。そもそも、周りに女がいる気配も無かったな。だとしたら、晴菜ちゃんだけでなく、あの人の背中も押す必要があるんじゃないかな。歳の差が結構あるし」
「女の気配が無い」はタヌキの勘だが、耳をそばだてていたキツネも首を縦に振っている。
「あと、寛乃さんと彩寧ちゃんはどうする? 『一緒がいい』って言っていたけど、彼女たち、本気かな? 多分、本気? だとすると晴菜ちゃんはどう? 受け入れる? 押し切られそう。……お兄さんはどうかな? 首を横に振りそうだけど、無理やりでも押し付けちゃう?」
「いいですね! いいですね! それらの点は見落としていました! これから、再編集に取り掛かります! ありがとうございます!」
呟きを耳にすると、子ダヌキはタヌキに向かって最敬礼をしたのち、再び猛然と編集作業を再開した。
「おーい。チビ、聞こえているかー? ……聞こえてないな、これは」
声を掛けるも反応ひとつ返さない様子に、タヌキは子ダヌキの集中力の深さに呆れてしまう。横を向くと、
「まあ、いいんじゃない。チビは楽しそうだし。ここにいるアタシたち全員も賛同済みよ。なにより面白いし」
ケタケタと笑うキツネがいた。
「……面白いって」
タヌキは言葉を失ってしまう。
周りを見回せば、様子を見ていた全員イイ笑顔。中にはサムズアップを送る者も。
呆れてしまう。でも、
――「面白い」か。
自分の心の中の鬱々とした気持ちが少しずつ晴れてきているのを感じた。
起きたことを悔いて後悔するより、これからのことに向き合おうとする前向きな気持ちが生まれ始めているのも感じた。
しかも、それが自分の推しの幸せに繋がる。
――最高じゃない?
――最高だ!
――ちょっとおまけがつきそうだけど、……その方が面白そう!!
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