9 幕間・偽りのケモノたちは囁く(前編)
とある「スターライトセレナーデ」のファンコミュニティがあるVR空間。
タヌキのアバターが、口にタバコをくわえながら、宙に浮かべたウインドウで、SNS上にポツポツ出始めた「チーム・スピカ」の単独公演の感想コメントを追いかけていた。現実世界でも、アバターの中身はオフィスの喫煙室で電子タバコをくわえている。
――あーあ。やっぱ、仕事休んで参加すりゃよかったな。
好評ばかりのコメントに、何度目かの後悔の感情が心に浮かぶ。
ウインドウを消して、火の点いたタバコの先端から出る煙のエフェクトにその感情を乗せる。そして、煙が宙に消えていく様をボーッと見つめた。今日のライブの様子は1週間後には動画サイトで有料配信されるが、配信と生では臨場感が違う。もちろん、ファンとしては配信も見逃すつもりはない。
――あれはあれで、アイドルの様子が間近で見られるから良いものだ。
――でも……。
子ダヌキのアバターがログインしてきた。アバターを手掛けたデザイナーが違うから、その外見のテイストは全く違うが、同じタヌキのアバター仲間として、この空間でログインが重なるとつるむことが多かった。
――しけた顔してんな。
子ダヌキの顔を見て、タヌキは思った。朝は、
「『チーム・スピカ』の単独公演に行ってきます!」
と浮かれていたのに、今の表情には色んな感情がグチャグチャに同居しているように見えた。
「おう! しけた顔してるな。どうした、チビ」
子ダヌキの顔がゆるゆるとタヌキの方を向く。
「『チーム・スピカ』の単独公演、失敗したのか?」
わざと偽悪的に振舞って、会話の誘い水にする。
「……公演は良かったですよ。本当に。……でも、だから」
「おうおう。なにがあったのか知らんが、話してみろや」
タヌキの誘いに子ダヌキは迷いを見せる。話すか、話さないか。でも、誰かに聞いてもらいたい感情の方が勝った。
「……実は、公演前の入口近くで別のファンの人に絡まれている人がいたんです。イヤホンを付けているのが『チーム・スピカ』の人たちに失礼だとか言って」
予想外の子ダヌキの話に、思わずタヌキは口をポカンと開けてしまう。
「……はあ? なんだ、それ?」
「僕もそう思いました。でも、しつこく絡んでいて、結局、絡まれていた人は会場の外に出て行ってしまったんです」
「バカだろ、その絡んだヤツは。もしも、付けているのがライブの大音響から耳を守るためのイヤープラグだったら、大バカだ。あるいは、逆に、難聴をカバーする補聴器の可能性だってあるだろ。そうじゃなくたって、別にイヤホンぐらい付けていたって自由だろう」
呆れの色を隠さない。
「大体、誰も止めに入らなかったのか?」
「……すみません」
タヌキの言葉に子ダヌキは体を小さくする。間に入って止められなかったこと、何もできなかったことが一番後悔しているから。
「……チッ」
その様子を見て、タヌキは思わず小さな舌打ちをしてしまう。子ダヌキへの苛立ちではなく、身体を小さくさせる間違った言葉をチョイスした自分への苛立ちで。
「チビは悪くねーよ。むしろ、一般客はそういうトラブルには首を挟むな。下手すると、もっと
「……でも」
「あん? なんだよ?」
タヌキの不機嫌さが表に出てしまい、子ダヌキは委縮してしまう。と、
「ほらほら、タヌキチ。顔が怖くなってるよ」
いつの間にかログインしていたキツネのアバターが割って入ってきた。「タヌキとキツネ、良いコンビじゃん」と言って頻繁に絡んでくるそのアバターに、タヌキは少し苦手意識を持っている。
「顔が怖いことへの文句は、このアバターを作ったヤツに言え」
「じゃあ、声がきつくなっているよ」
この指摘には反論できない。でも、そんなタヌキを見てケラケラ笑うキツネに、タヌキのストレスゲージが上昇する。ただし、ストレスゲージが限界に達する直前に、
「だって、チビが何もできなかったのは仕方ないよ。すぐそばでスタッフがいて、そのスタッフも見て見ぬふりしてたんだもん」
タヌキの心の内を察したように、話題をそらしてくる。こういうところが、タヌキがキツネに苦手意識を持つ理由。そして、そらされた先にある新しい情報に食いついてしまうことも。
「はあぁ? ちっ! 運営も劣化したな!」
盛大な舌打ちから吐き捨てるように言って、「スターライトセレナーデ」の運営会社への不満を示す。同時に、その不満は2年前の忘れられない記憶を呼び覚ます。
『黙れっ!』
あの時のことは今でも鮮明に思い出すことができる。
「チーム・スピカ」のデビューライブにはタヌキも参加していた。自分からヤジに加わることはしなかったが、悪意に包まれた空間に、
――ざまあみろ。ファンを
「2期生」参加発表からのずさんな対応続きで「スターライトセレナーデ」の評判をズタボロにした運営への憂さ晴らし、と暗い笑みを浮かべていた。が、
『黙れぇっっ!!』
会場に重く響いた声には、首にナイフを突き付けられたような恐怖すら覚えた。
『彼女たちが何をした?』
その言葉に冷たい氷水を浴びせられた気がした。
――自分たちは、今、何をしていた?
「スターライトセレナーデ」のファンとして、やってはいけないことをしてしまった自責の思いが浮かぶ。
その後の拍手では、両手が赤く腫れあがるまで力を込めて叩いた。痛みは、
――自分への罰だ。
とさえ思っ……。
「ほらほら、タヌキチ。また顔が怖くなってるよ」
キツネの言葉がタヌキを現在に引き戻す。
「だから、顔が怖いことへの文句は……はあ、もういい」
ニヤニヤしたキツネと少し怯えを見せる子ダヌキの様子を目にして、台詞を最後まで口にするのは止める。
「ま、その場にいたスタッフは運営のじゃなくて会場のスタッフだったから、少しは安心して。若いニュービーのスタッフみたいだから、では見逃せないけど。自分1人で飛び込むのが怖いなら、応援を呼ぶなり、先輩に助けを求めるなりすればいいのに、見て見ぬふりは本当にいただけないよねえ」
キツネの言葉をタヌキは「もう関係ない」と聞き流す。視線も逸らす。
キツネもタヌキの様子を気にすることなく、新しいウィンドウを空中に展開して、
「ちな、これ、証拠動画ね」
10秒ほどの短い動画が繰り返し再生される。そこには、2人組の男に絡まれるサングラスをした男の様子と、その様子を見て視線を逸らすスタッフの姿がはっきりと映し出されていた。
タヌキはその動画をチラッと横目で確認しようとして、釘付けになった。忘れるわけがなかった。見間違えることもなかった。
「……おい! この絡まれている人!」
キツネを睨みつける。
「『「チーム・スピカ」の最初の人』だよね~」
ヘラヘラと言うキツネの様子は、タヌキに怒りを湧き上がらせる。キョトンとして事情を理解できていない子ダヌキは最近ファンになったから仕方ないとして、キツネはタヌキと同じ古参のファン。彼のことを知らないわけがない。
「キツネ! お前もこの人を見捨てたのか!」
「そんなことするわけないじゃん。ちゃんと他のスタッフを探しに行ったよ~」
言葉こそ、それまで通りのヘラヘラと軽いものだったが、目つきと声のトーンは全く違う重いものに変わっていた。
「……なら、いいが」
「でも、顔がわかる運営のスタッフさんを連れてきたら、もう『最初の人』は外に出てうずくまっていたんだよね」
「……今日のあの人の格好、黒じゃねえか」
「うんうん。そうなんだよ。で、戻ってきたら、ケバイ化粧の女の人が声を掛けていたんよ」
「おい。ケバイ化粧の人って」
「そう。運営の社長さん。その後は、社長さんとアタシが連れてきたスタッフさんに連れられて救護室に行ったみたい」
「……大丈夫そうだったか」
「ぶっちゃけ、
「……まあ、救急車がサイレン鳴らしてライブ会場に来たら、ライブどころじゃないからな」
ファンの心理としては理解できるものの、彼の体調への心配は
「ま、安心して。帰り際にスタッフさんを捕まえて聞いたら、回復して帰宅した、って言っていたから」
「……そっか」
タヌキはそれを聞いてとりあえずは一安心する。そこに、2人のやりとりをうかがっていた子ダヌキが、
「あ、あの、すみません。その『最初の人』って誰なのか教えてもらえませんか」
「? ああ、チビちゃんはまだファン歴短いんだっけ」
「すみません」
また身体を小さくして謝る子ダヌキにキツネはフォローする。
「いいの、いいの、あやまらなくて。最近は、『スターライトセレナーデ』の新規ファンも増えてきたから、知らない人の方が多いんじゃないかな。それに呼び方も色々あるからね。『守護者』とか『最強盾』とかね。チビちゃんは『チーム・スピカ』が加わった時の騒動は聞いたことがある?」
「……えと、すこしだけですが。本当なら6人加わるはずだったのが、3人にまで減ってしまった、って」
「そのゴダゴダでファンの間に不満が溜まっちゃってね。『チーム・スピカ』のデビューライブで大ブーイングが起きちゃったの」
「ブーイングなんて生易しいもんじゃねえぞ」
キツネと、続くタヌキの言葉に、子ダヌキは信じられないという表情を浮かべる。今の様子からは想像もつかないからだ。
「で、その騒動を収めたのが彼。あたしたちは『最初の人』って呼んでるね」
「……その時はスタッフの方だったんですか」
子ダヌキの疑問にキツネは首を横に振る。
「普通に1ファン。もしかしたら、まだファンにもなっていなかった初めてのお客さんだったかもしれない」
「初めて見る顔だったからな」
「その人が最初に『黙れ!』って叫んでブーイングを収めて」
「『俺は彼女たちを歓迎する。応援する。ようこそ、アイドルのステージへ』」
タヌキが口にしたセリフに、キツネはニヤリと人を食ったような笑みを浮かべる。目にしてしまったタヌキはイラっとしたからそっぽを向いて、今度こそ口を閉ざした。その様子を見て、キツネはニヤニヤの笑みをさらに深くさせるが、子ダヌキへのレクチャーは止めない。
「そう言って、『チーム・スピカ』のデビューライブを大成功に導いたの」
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