4 その土竜、心配される

 最近、「ダンジョンジビエ」「モンスター肉」などと言って、ダンジョンで仕留められたモンスターの肉を扱った飲食店が増えている。扱っていることを売りにしている店もあり、グルメ界隈ではブームになりつつある。


 この「居酒屋までま」も、オープン直ぐは店主の実家の鮮魚店の伝手と経験を生かした魚料理が売りだったのが、最近はモンスターの肉をいかに美味く調理するのかにハマったせいで、店の性格すら変わりつつあったりする。


 外音取り込みモードにしていたイヤホンをタップして、伸忠は外音の多くを遮断するキャンセリングモードに切り替える。


 それから、暖簾のれんをくぐって、入口の引き戸を開けた。


 ガラッ。


 元は寿司屋だった店をそのまま使った店内は、カウンター席と小上がりの畳敷きのテーブル席で構成されている。座席は半分がた埋まっている。2つあるテーブル席の空いている方にも、「予約席」と書かれたプレートが置かれていた。多くは、伸忠と同じ常連客で見慣れた顔触ればかり。気兼ねなく酒と料理、会話を楽しんでいる。そんな様子が彼の目にはサングラス越しに伝わってくるが、音は聞こえない。


「おう! いらっしゃい!」


 店の大将の声がかすかに聞こえた。その方向に顔を向けると、店の大将、馬込直章が伸忠の方に笑顔を送っていたから、伸忠も右手を上げて応える。そして、定席であるカウンターの端の席に座る。横と、さらにもう1つ横の席は空いている。


 横合いから手が出て来て、水が入ったグラスと割りばし、おしぼりがテキパキと置かれて行って、最後に席に置かれていた「予約席」のプレートが除かれる。その間に、伸忠はイヤホンを再びタップして、人の声が限定的に聞こえる会話モードに切り替えた。


「こんばんわ、夕香理さん」


「いらっしゃい、伸忠君。今日はフェリちゃんは一緒じゃないの?」


「家で留守番です。魔石をカリカリ齧りながらまったりモードに入っていると思いますよ」


「あら、残念。だけど仕方ないわね。代わりに、伸忠君はゆっくりして行ってね」


「はい」


 こんな会話を交わすと、店員である彼女、出町夕香里はカウンターの中に入っていく。伸忠が座る席から見えるカウンターの奥の厨房スペースからは、もう1人の店員で夕香里の妹である万理華が伸忠に向かって手を振ってきていたため、こちらも手を振って応える。


 夕香里が初めから伸忠に声を掛けなかったのは、彼が抱えている事情を知っているから。つまり、ノイズキャンセリンイヤホンを使って耳に入ってくる音をコントロールしないと体調が悪くなる、ある種の聴覚過敏の傾向を持っていることを。同時に、視覚もサングラスを使って目に入ってくる光をコントロールしなければならない。


 この症状が出始めたのはスキル「観察」を得てから。


 ――ダンジョンの中とは違って、地上では脳が情報を処理しきれていない。


 と、伸忠は自己診断している。「ダンジョン内のスキルは外では使えない。影響も及ぼさない」とされているが、実際には一部で影響を及ぼすことがあることが、公表されていないが、経験則で多くの探索者は知っている。その実例が伸忠の目の前にいる直章。元探索者の彼のスキルは「包丁術」。探索者になる前より、包丁の扱いが格段に上手くなった。そして、探索者を止めて月日が経った今でも、衰えていない。店に立って毎日扱っているからなのかどうかも、直章自身わかっていない。


 夕香里がフェリのことを知っているのは、この店に連れてきたことがあるからだけではない。直章だけでなく、夕香里、万理華の2人も元探索者で、引退する前から伸忠とフェリのコンビを知っていたから。直章の右膝の怪我が原因でパーティを組んでいた3人が共に引退した後、この「居酒屋までま」を開いてからは、たまにフェリの気が向いた時に連れてきていた。そして、フェリが目当てである刺身の盛り合わせ、人間に出されるのより豪華、をパクついて満足した後、夕香里と万理華はフェリの毛並みを堪能する。なお、フェリを連れてくるときは、来る前に予約で2階にある座敷席を指定するから、フェリが来ないのは彼女たちもあらかじめ知っている。だから、先程の会話はある種予定調和的なもの。


「注文はどうする?」


 直章が右足を少し引きずりながら近寄ってきて声を掛けてきた。


「おすすめは……あれ、ですか?」


 伸忠が指さした先には、達筆な筆文字で書かれた「本日のおすすめ 超特選 ゴブリン肉の山賊焼」の品書き。


 それに応えて、直章の顔にニヤリとした笑みが浮かぶ、


「おう! もちろん! ビールが進むぜ!」


「なら、あの山賊焼とビールを中瓶で」


 普段は日本酒を頼むのだが、直章の言葉を受けて一時的に宗旨替えをする。


「おう! 山賊焼1つ、ビール中瓶1本!」


「「はーい」」


 夕香里と万理華が応える。生ビールもあるし、この店でもそちらが主流なのだが、伸忠はたまにビールを頼むときは瓶の方を好んでいる。グラスに注いで、自分のペースでゆっくり飲む。


「じゃ、これ、お通し。キャベツの酢漬けだ」


 盛られた小皿が伸忠の前に置かれる。


「それと、だ」


 直章がカウンター越しに身を乗り出し、声をボリュームダウンする。


「今日の分、確認した。いつも通り、倍の金額で払う」


 直章が声を潜めるのに合わせて、伸忠も無言で首を縦に振る。


 別にヤバイ話、犯罪行為や違法な話をしているわけではない。直章が探索者に出していた依頼を伸忠がクリアしたことを確認した、というだけ。探索者の間ではありふれたやりとり。もっとも、「倍の金額」は相場の倍を意味しているから、決してありふれたものではない。でも、声を潜めた理由はこの後にある。


「だがな、もう少しセーフティに仕事が出来んか。アルファロークの6頭目の所なんか、肝が冷えたぞ」


 その身を心配しているからこその苦言なのだが、伸忠の感情はざわつく。


「馬込先輩なら想定できました? 6頭目」


「……まあ、できんな」


 伸忠の反論に、元探索者として直章は再反論はできない。あの状況、通常5頭までで常に行動を共にしているアルファロークの群れに、単独行動をしている6頭目がいるケースは、現役の時に出会ったことも、これまで他の探索者から聞いた話の中でもなかった。


「無事対応できました。ポーションも使っていませんよ」


「……そうだが。パーティを組もうとは思わないか? 1人でもいたら、あの6頭目は難なく対処できただろう」


 それでもなお食い下がる直章に、伸忠は苛立ち、言葉も固くなる。


 自由な「ソロ探索」を手放すつもりはない。誰かとつるむ気は欠片も無い。それに「底辺ダンジョン配信者」と組もうと考える探索者もいない。ここでの「底辺」は2つの意味がある。1つは配信者としてのファンである視聴者がいないこと。もう1つは探索のスタイルが一般的ではない、特にモンスターを薬で眠らせて倒すスタイルが邪道であること。配信映像として見栄えがしない。視聴者からすると、卑怯とも取れるやり方だから。相手からすると組むメリットは1つも無い。逆に、自分のファンを減らしかねない。


「私と組もうという探索者はいませんよ。相手にするメリットがない。大体、『パーティーを組む時は、気を付けろ』と言ったのは先輩ではないですか」


 伸忠の「ソロ探索」は異端でもある。他の探索者が、伸忠のやり方を真似しようとしても真似できない。配信を含めて公にしている情報もあるが、スキルを始め秘密にしていることが多い。そのノウハウは伸忠が実際に血を流しながら築き上げてきた唯一無二のモノ。探索のノウハウは、他の探索者も同じように血を流しながら築くものだが、伸忠の場合は輪をかけて特殊。その手の内を他の探索者にさらすと寄生されかねない。注意するように言ったのは過去の直章だった。


 そのことを指摘した伸忠は「話は終わり」と言わんばかりに、合わせていた視線を外し、箸を持ち上げ、お通しのキャベツを口に運ぶ。


 シャキシャキ。


 苛立ちが美味しさを半減させる。しかも、イヤホンで耳が塞がれているため、咀嚼音そしゃくおんが頭に響いて、不快感が加わる。


 そんな伸忠の様子を見て、直章も肩をすくめて、仕事に戻る。


「はい。ビール」


 代わって、夕香里が注文した瓶ビールとグラスを持ってきて、その場で瓶の栓を抜く。そして、グラスにビールを注ぐ。


 とくとくとく。


 グラスが金色の液体で満たされて、最後は白いきめの細かい泡によって蓋がされる。


 注がれている間に、伸忠はイヤホンをタップして食事モードに切り替える。ベントが開いて、耳道内の空気が通じるため、咀嚼音が頭に響くことは無くなる。代わりに、バッテリー持ちが悪くなり、ノイズキャンセリング機能も落ちる。そこは美味しい食事のために我慢。聞こえてくる店の喧騒も我慢できる範囲。


 だから、グラスを一気にあおる。


 ゴクゴクゴク。プハー。


 苦みと炭酸が、鼻に抜けるホップの爽やかな香りとともに、喉を通っていく。


 空いたグラスに再びビールを注ぎながら、夕香里が言葉を紡ぐ。


「ごめんなさいね。ウチの人が余計なことを言って」


 「ウチの人」と言う通り、直章と夕香里は結婚している。ただし、法律婚ではなく、事実婚の形で。理由は夕香里の妹、万理華もその中に加わっているから。ゆえに、事情を知っている常連客の中には「美女を2人もカミさんにして。許すまじ!」と怨嗟の念を送る者もいる。


「……いえ。先輩が言いたいことも理解しているので」


「そう? でも、命は大事にしてね」


「……はい」


「それと、気分が悪くなったりしたら、遠慮なく言ってね」


「はい、ありがとうございます」


 最後のは、過敏のことへの配慮。


 「心配してくれる人がいることを知る」。そのことは伸忠の心を温かくさせる。だから、


 ゴクリ。


 ビールを一口だけ喉に流し込む。抱いていた苛立ちと一緒に。



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