第26話   獅子身中の虫

 数分後、羽美と千鶴は旧校舎の敷地内に足を踏み入れた。


 舗装されたグラウンドを大きく迂回し、雑草が伸び放題である荒地の奥へと進む。


 やがて景色が緑一面になってきたら頑丈な金網フェンスが見えてくる。


 しばらくして羽美と千鶴は正門扉前に到着した。


 やはり正門扉には南京錠が掛けられている。


 鍵を持ち合わせていない羽美には当然の如く開くのは不可能だった。


「こっちです先輩。こっちに人間が通り抜けられるほどの穴が開いているんですよ」


 いつの間にか千鶴は正門扉から離れた場所に移動していた。


 羽美はもう一度だけ南京錠を見つめると、すぐに視線を外して大きく手招きしている千鶴の元へと向かう。


「ここです。ほら、ここにぽっかりと穴が開いているでしょう? ここから旧校舎へ行けるんですよ」


 それは以前から知っていた。


 何日か前に停学中の馬鹿な居候と潜り抜けたからだ。


 千鶴を先頭に羽美は金網フェンスに開けられた穴を潜り抜け、周囲を警戒しつつ外観が見えている旧校舎へと向かった。


「ねえ、千鶴ちゃん。本当にあなたの友人は〈ギャング〉の一人に旧校舎へ連れて行かれたの?」


「信じられないかもしれませんが本当なんです。その友人は周りに内緒で〈ギャング〉の一人と付き合っていたんですが、ここ最近になって付き合っていた彼氏がおかしくなったそうなんです。まるで私たちが調べていた奇行を起こした生徒たちのように」


 なるほど、と羽美は心中で得心した。


 おそらく千鶴が自分をここに連れてきた理由は、友人の安否を気遣う一方で奇行の原因を突き止められる可能性があることを示唆しているのだろう。


 その友人とやらには悪いが生徒会の信用を取り戻すキッカケになるかもしれない。


「つまり千鶴ちゃんはその友人が危険に晒される前に助け出したいのね?」


「さすが先輩は物分りがよくて助かります。そうなんです。もしもの場合には先輩の力を借りようと思ってこうしてついてきて貰いました」


 千鶴は申しわけなさそうにこめかみを掻く。


「でもでも、そんなに危険なことはないと思います。私が前もって調べた限りでは今の旧校舎には他の〈ギャング〉たちはいません。いるのは友人とその彼氏だけで」


「ふ~ん、だったら意外と簡単に済むかもね」


 いくら凶悪な〈ギャング〉とはいえ、相手が大勢ではなく一人だけならば十分に羽美1人でも対処できる。


 実戦空手を謳っている、有聖塾二段の腕前は決して伊達ではない。


「だったら早いところ千鶴ちゃんの友人を探しましょう」


 すぐに羽美と千鶴は異様な雰囲気を醸し出している旧校舎へと辿り着いた。


 旧校舎は一見すると荘厳な洋館にも見える。


 長年、風雨に晒され続けて外壁が黒ずんでいたため、ミステリー小説に登場する連続殺人事件の現場のようにも感じてしまう。


「じゃあ、まず私が先に中の様子を見てくるね」


 そう言うと羽美は、旧校舎の正面玄関から旧校舎の中へと侵入した。


 当たり前だが旧校舎の中には電気が引かれていないので薄暗い。


 それでも羽美は昇降口の様子をざっと見渡す。


 静寂に包まれた昇降口には人の姿はなかった。


 ただ朽ち欠けた上履き入れの棚が死体を保管する棺桶のように見えたのには少々肝を冷した。


 昼間ならばいいが宵闇迫る時間帯にくるような場所ではない。


「さて、その友人とやらは一体どこに」


 と、羽美が目眉を細めながら一歩踏み出したときである。


「こんな場所で誰を探してるんだ? ええ? 副生徒会長さんよ」


 声をかけられた瞬間、羽美は氷解に包まれたように硬直した。


 無理もない。


 前方にあった上履き入れの棚の奥からのそりと現れた人物がいたのだ。


 秋山剛樹である。


「何であんたがここに――」


 何とか声を振り絞ってみるものの、身体が上手く言うことを聞かない。


 人間は思いもよらぬことを目の当たりにすると身体の自由が利かなくなると聞いていたが、まさにその経験をした瞬間であった。


「ここは俺たち〈ギャング〉の縄張りだ。だったら別に〈ギャング〉である俺たちがいても変じゃねえだろ? まあ学園側に許可なんて申請してないがな」


 くくく、と薄ら笑いを発した剛樹の声が合図だったのだろう。


 息を殺して潜んでいた他の〈ギャング〉たちも次々と姿を現し始めた。


 二の句を継げないとはまさにこのことである。


 羽美は気が動転してしまってその場から逃げ出すこともできなかった。


 それでも脳からは必死に逃走しろとの信号が発せられていた。


 無意識のうちに羽美は、泥沼の中を歩くように一歩ずつ後退していく。


 しかし、結局はどう足掻いたところで逃走は不可能だった。


 5歩も後退しないうちに羽美の背中に何かが当たった。


 いや、押し当てられた。


 服の上からでも分かるほど固い感触だ。


 ペンチのように先端が分れている……


 そう思ったとき、羽美の身体は落雷を受けたかのように身震いした。


 体内の血液に電流を流し込まれたような痺れと痛みを感じ、本人の意識とは無関係に羽美の膝ががくりと折れる。


(あれ――?)


 次に羽美が感じたのは左頬から伝わってくる冷たい感触だ。


 続いてむせ返るほどの埃臭さが鼻腔の奥を刺激する。


「やけにあっさりと成功したな。やっぱり相手が信用されている人間だと違う」


 剛樹の声がやけに遠くから聞こえる。


 実際は数メートルほどの距離しかなかったはず。


 それが今では数メートル以上の場所から聞こえてくるのは一体なぜだろう。


 指一本まともに動かせない不可解な状況の中、剛樹の声に返事をする聞き慣れた少女の声がやはり遠くから聞こえてくる。


「当然。その信用を得るためにずっと面倒臭い生徒会の仕事をしていたんだから」


 羽美は声の持ち主に驚く反面、「なぜ?」という疑問に脳内が満たされていた。


 やがて声の持ち主は床に倒れている羽美につかつかと近寄っていく。


「ど……う……し……て」


 痺れる口で何とかそれだけの声を出す羽美。


 一方、声をかけられた相手は落胆の溜息を漏らして言う。


「先輩、ずーと黙っていてすいません。実は私の大好きな彼氏は〈ギャング〉のリーダーである秋山剛樹君だったのでした。そして私は剛樹君に言われて生徒会に潜り込んだスパイってやつ?」


 まったく悪びれた様子もなく淡々と言葉を吐く相手に羽美は絶句した。


「本当はもう少しだけ生徒会に残るつもりだったんですよ。でも急遽予定が変更になったんですって。詳しい事情は話しても無駄ですから省きますけど、まあ要するに後々厄介になりそうな羽美先輩をここで懐柔しておこうという運びになったんです」


 バチッと青白い火花を散らすスタンガンを手に持ち、自らを〈ギャング〉のスパイであることを明かした人間――愛羽千鶴は両膝を曲げて羽美にスタンガンを近づかせる。


「というわけで先輩は少し眠っていてくださいね。大丈夫、すぐに先輩の大事な人もきてくれるはずですから」

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