第24話 最悪なショータイムの始まり
鷺乃宮学園の敷地内においてある意味、禁忌的な雰囲気を醸し出しているのは間違いなく旧校舎である。
3階建て木造建築式の古めかしい外観。
真上から見ればコの字に見える形容。
鬱蒼とした木々と金網フェンスに周囲を仕切られているため、初めて訪れる人間には人里から離れた怪しい洋館にも見えなくもない。
だが、外見と違って中身は意外としっかりとした造りになっている。
板張りの床は歩く度にギシギシと悲鳴を上げるものの、床下に突き抜ける感じはまったくしない。
窓ガラスも埃と塵で半分以上が曇っているが、かすかに届く太陽光は曇った窓ガラスを貫通して床を薄ぼんやりと照らしていた。
午後5時5分。
魂を奮い立たせるほどの輝きを放つ夕日が眩しい時間帯である。
「よう、聞いたか? 昼間の一件」
立ち入り禁止であるはずの旧校舎の一室に数人の話し声が響く。
鷺乃宮学園で一般生徒のみならず、教職員たちからも恐れられている〈ギャング〉たちであった。以前は普通の教室として使われていたのだろう部屋の中央に机を並べ、それぞれ勝手気ままに座っている。
「聞いた聞いた。生徒会長の真壁がラリって暴れた話だろ? 俺は午後から登校したからまったく知らなかったぜ」
「でも変じゃねえ? 俺が聞いた限りだと真壁は間違いなく〈L・M〉を吸った症状に似ていたぞ。だが俺たちは真壁に〈L・M〉を売った覚えはねえ」
悪戯書きが酷い机に腰を下していた茶髪男がうなずく。
「確かに。学園内で売り捌いた〈L・M〉は誰がいつ購入したか逐一ノートに纏めているからすぐに確認できる。にもかかわらず真壁は人が変わったようにラリったって話だ。こりゃあ、どう考えても〈L・M〉を過剰に吸ったに違いないだろう」
他の〈ギャング〉たちも茶髪男の意見に同意したようだ。
いつもは〈L・M〉の他にも普通の煙草を吸って時間を潰して談笑していた〈ギャング〉たちだったが、今日はまるで通夜のように神妙な面持ちを浮かべていた。
それは今日の昼に起こった事件が原因だった。
三年生と特別教室がある左棟・2階の廊下で生徒会長である真壁六郎がカッターナイフを片手に暴れ回った。
またその際に防火ブザーが作動したため、事件直後に最寄りの消防署から消防車が駆けつけてくるという大々的な事件にまで発展したのだ。
〈ギャング〉たちもこの騒動には一様に動揺を隠せなかった。
それは真壁六郎が〈L・M〉を過剰使用した疑いがあるということと、消防車が駆けつけてきたせいで再び警察が鷺乃宮学園に目を光らせてしまったことだ。
〈L・M〉――リサイクル・マリファナ。
誰が最初にそう呼んだかは忘れたが、市販製の煙草を再利用することからそういった名前で広まったのだろう。
無理もない。
外見は市販製の煙草と何ら遜色はない〈L・M〉は、吸ってから初めて煙草とは違うことに気づく。
だからこそ仮に親や警察に〈L・M〉を吸っている現場を目撃されたとしても、ただの煙草を吸っていると誤解されて見逃される確率が高い。
これが例えば注射器などを使った覚醒剤やLSDだったならば話は違うだろう。
一見すると市販製の煙草にしか見えない。
これが強みとなって〈L・M〉は、主に10代の少年少女に飛ぶように売れているのだ。
「でもよ、やっぱりおかしくないか。真壁の野郎はどうやって〈L・M〉を手に入れたんだ?」
「そりゃあ俺たちが売り捌いた奴の誰かが流したんじゃねえ? っていうか、それしか考えられねえよ」
「だな」
などと意見を飛び交わしていると、立てつけが悪くなっていた教室の扉が開かれた。
〈ギャング〉たちは身体を硬直させて身構えたが、警戒心を露にしたのは一瞬だけ。
すぐに安堵の息を吐いて警戒心を緩やかに解く。
教室に入ってきたのは秋山剛樹だった。
今日はトレードマークのドレッドを後頭部の位置で纏めてはいなかった。
リーダーのご登場に〈ギャング〉たちは右手を上げて挨拶した。
傍目からは無法者の集団に見えるものの、内部は意外と統率が取れている。
リーダーの秋山を絶対的な君主に添える一方、取り巻きたちも己の才覚で〈L・M〉を売り捌いているからだ。
「おう、目ぼしい奴らは全員集まってるな」
現在、教室の中には5人の生徒たちが集まっていた。
〈ギャング〉の構成員15人のうち幹部に相当する連中である。
剛毅はズボンのポケットに両手を差し入れつつ、全員の注目を浴びながら壇上まで移動した。
壇上の前に置かれていた教壇の上にどっと腰を下す。
「お前らも今日の一件はすでに知っているだろう? 生徒会長の真壁がラリって暴れ回った件だ」
5人の生徒たちは一様に頷く。
「だったら話は早い。もう分かっているだろうが真壁は〈L・M〉を密かに使用していた節がある。今日の野郎のパニくり方は〈L・M〉のバッドトリップの症状によく似てた。大方、俺たちが学園内で売り捌いた〈L・M〉を何らかの形で入手したんだろう」
剛毅は足を組み替えながら激しく舌打ちした。
「本来なら転売した野郎は即刻見つけてぶち殺すところなんだが、まずいことにそんなことをしている猶予はねえ」
「どういうことっスか? 顧客名簿は俺たちが厳重に管理しているんですよ。1人1人追い込みかければ転売した野郎なんて一発じゃないっスか」
剛毅に意見したのは幼さが残る顔立ちの短髪男だ。
厳つい顔をした幹部たちの中ではやや異色を誇る。
「そんなことは分かっている。だが、今も言ったようにもう時間がねえんだ」
頭の上に疑問符を浮かべた5人に、剛毅は諭すような口調で淡々と言葉を紡いでいく。
「まず一つが今日の真壁の一件で再び警察が動き出したこと。これは理事長のババアが個人的に警察上層部に頼んだという噂がある。お前らも知っての通り、この学園の校長や教頭は自分から厄介事に首を突っ込むような人間じゃねえ。だからこそ今までは俺たちが好き勝手にできた部分が多い……ただ、ここに理事長のババアが絡んでくると話は別だ」
話を聞いていた五人も剛毅の言いたいことが分かってきた。
数日前、図書室から飛び降りた女子生徒の一件である。
当初こそ警察は背後関係や交友関係を調べ回ったが、結局は受験勉強のストレスに耐え切れず女子生徒は錯乱状態に陥ってしまったと決着がついた。
この話を聞いた〈ギャング〉たちは、やはり警察は馬鹿だなと侮蔑したものだ。
本当は見舞いと称して病室まで足を運んだ〈ギャング〉の1人と、飛び降りた女子生徒と取引が成立していたことを警察は知らない。
覚醒剤やLSDよりも中毒症状が少なく、簡単で気軽に楽しめる〈L・M〉を今後も欲しければ、取調べを始めた警察に「あれは受験のストレスのから逃れたくて飛び降りた」と言えと取引を持ちかけたのだ。
女子生徒は簡単に取引に応じた。
それほど〈L・M〉の虜になっていたのだろう。
警察に対して虚偽の報告をする代わりに〈L・M〉の値切り交渉を持ちかけてきたほどだ。
ともかく警察の目を誤魔化すことには成功した。
後は飛び降りた女子生徒の教訓を生かし、今後はより効率よくトリップできるよう売人と配合や値段について交渉するだけだったはず。
「待ってください、剛樹さん。理事長のババアが絡んできたことがそんなに恐れることなんですか? そんなもん今までと同じく適当に話をはぐらかせばいいじゃないっスか」
「ああ、俺も最初はそう思った。だがな、あろうことか理事長のババアは俺を――いや、俺たち〈ギャング〉を名指ししてきたんだ。それもついさっきだ」
これには5人も驚愕した。
「まさか……〈L・M〉のことがバレたんっスか?」
剛毅は小さく頭を振る。
「まだ分からねえ。ただババアは俺を理事長室に呼ぶとムカつくほどやんわりと言いやがった。私はお前たちが一連の事件に関与していることは知っている。その証拠ももうすぐ手に入る。だからこれが最後通告だよ。すぐに学園内での横暴行為を止め、今後は卒業まで大人なしくしていることを約束してくれ。約束してくれるならば今回は目を瞑る。だが拒否した場合は退学を命じられるより悲惨な目に遭うだろう……ってな!」
事の顛末を説明し終えた剛樹は、腰を下していた教壇に岩のような拳を振り下ろした。
スチールではなく木製の教壇であったため、剛毅の拳を受けた部分は細かな破片を飛散させながら陥没する。
「最後通告っスか。また微妙な物言いっスね」
「その証拠と言うのも〈L・M〉のことじゃねえのか?」
「だったら表向き理事長に従う姿勢でいいんじゃないっスか。要は学園内で〈L・M〉を売らなけりゃいいんでしょう?」
幹部の5人は苦笑を浮かべつつ、剛樹の話を軽く流そうとした。だが話を持ち出した剛樹は苦笑など浮かべられなかったらしい。
やがて剛樹はぽつりと呟く。
「問題は理事長の件だけじゃねえ。〈L・M〉を俺たちに卸していた売人が急に取引を止めると持ち出してきやがった」
笑いが満ちていた教室が静寂に包まれた。
5人とも唖然として剛樹を見つめる。
「メールがきたのはこれもさっきのことだ。理事長のババアの小言を無視している間に届いたらしい」
「待ってくださいよ。本当に売人がそうメールしてきたんスか?」
「ああ。何でも時期が満ちたとかわけ分からねえことを書いてやがったな。とにかく売人の野郎は俺たちとの取引を今月で中止したいらしい」
幹部たちの顔に焦燥の色が浮かんできた。
皆、何を言えばいいのか分からないといった顔をしている。
当然だった。
剛樹は苛立ちを少しでも抑えるため親指の爪を激しく噛む。
もしも今、売人との取引が終了したら〈ギャング〉の崩壊以上の危機が訪れる。
なぜなら〈ギャング〉たちは〈L・M〉で得た稼ぎの大半を、バックについて貰っている指定暴力団――磯島組に納めていたからだ。
それだけではない。
磯島組は売人が仕入れたマリファナを一般の煙草に偽装するという手間を一手に引き受けてくれていたのだ。
なので一般の煙草と瓜二つな〈L・M〉は十代の少年少女に飛ぶように売れている。
また綾園市でも広く名が知れた磯島組にバックについて貰っていたからこそ、〈ギャング〉たちは学園外でも好き勝手ができていたことも〈ギャング〉にとっては好都合な理由の1つだった。
しかし、磯島組との関係も所詮は金で繋がっているに過ぎない。
そしてもうこれ以上〈L・M〉で得た稼ぎを納められないと磯島組が知れば、同情の余地なく簡単に切り捨てられることだろう。
そうなれば一巻の終わりだ。
磯島組に恐れをなして〈ギャング〉に歯向かえなかった連中は、好機とばかりに今までの仕返しを企むに違いない。
いや、下手をすれば相手側の暴力団も出てきて命を取られる危険性もある。
「ど、どうするよ……やべえんじゃねえの」
「やべえな。マジでやべえ」
「〈L・M〉がなかったら磯島組に上納金なんて納められねえぞ」
「くそっ! 売人の野郎、何でこんなときに取引を中止するなんて言いやがったんだ!」
再び教室内が騒がしくなる。
驚愕、動揺、狼狽、憤怒を露にする幹部たちの悲痛な声がほとんどだった。
「どいつもこいつも少しは黙りやがれ!」
あまりの幹部たちの落ち着きのなさに見るに見かねたのだろう。
剛樹は教壇から颯爽と下りると、腰を下ろしていた教壇に対して強力な後ろ蹴りを見舞った。
重量級の蹴りを食らった教壇は黒板にぶち当たって粉々になる。
「俺たちが取り乱したところで現状は変わらねえ。理事長のババアには脅され、俺たちの資金源である〈L・M〉も入手不可能になりつつある。これがどういうことか馬鹿なお前らの脳味噌でも分かるだろ。そうだ。俺たち〈ギャング〉は生き残って勢力を今以上に拡大させるか、それとも都落ちして無残な屍を晒すかの瀬戸際に立たされている」
剛樹は唾が飛ぶのを構わずに話を続ける。
「だから俺は必死になって考えた。理事長のババアを黙らせ、なおかつ〈L・M〉も今まで通り俺たちが売り捌く秘策をな。そうすれば俺たちの地位は変わらねえ……いや、もしも上手く行けば今まで以上に俺たちが手に入る金はでかくなるだろう」
自信に満ち溢れた剛樹の態度に幹部たちは驚嘆の声を上げた。
絶体絶命の窮地に陥っているというのに、剛樹はその現状を覆す秘策を考え出したという。
「それで、その秘策というのは具体的に何をすれば」
堪らず幹部の1人が剛樹に尋ねる。
剛樹は口元を半月形に歪めて笑った。
「その前に……お前たちは内海と岡田の件を知っているか?」
突然の質問だったにもかかわらず、幹部の1人があごひげを擦りながら答えた。
「それって数日前に副生徒会長を拉致ろうとして失敗した件っスか? それなら知ってますよ。何でも変な野郎に阻止されたそうですね。そればかりか内海と岡田はその野郎にやられて重体。一緒にいた内海の女も鼓膜を破られたとか」
「そうだ。邪魔だった副生徒会長を黙らせようとしたんだが、妙な言葉遣いの野郎に返り討ちに遭ったらしい」
そこまで言うと、剛樹は開いた左手の掌に固めた右拳を打ち込んだ。
「俺の予想が正しければ闇討ち野郎の正体は間違いなくあいつだろう。そうなると理事長の脅迫じみた言葉の意味も納得がいく。それに、あいつが闇討ち野郎ならばこれ以上ないほど好都合だ」
何のことか要領を得ない幹部たち。
それほど剛樹の言葉は意味不明だった。
なぜ〈ギャング〉の存続を決める件に、正体不明の闇討ち野郎が関わってくるのだろう。
幹部たち全員が同様の疑問を浮かべたとき、剛樹は全員の顔を見渡して言った。
「いいか、お前らも覚悟を決めておけよ。数日後には準備を整えて実行に移す」
剛樹の声が緋色に染まる教室内に浸透する。
「ショータイムの幕開けだ」
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