誠二が和食を食べない理由

なぎ

外では食べない

 麻里と同じ大学に通っているルームメイトの水原誠二は、自分でイタリアン好きというのを広言していることもあってか、パスタ料理を作るのがとてもうまい。

それまではあまりイタリアンというものを食べてこなかった麻里だったが、とある休日、誠二がたまたま何かの気まぐれで作ってくれたトマトスープのスパゲッティを食べた時、革命が起きた。この世に、これほどおいしい料理があったのか。そんなことまで思ったのである。


 それ以来、麻里はパスタというものに興味を抱いた。だが、あまり食べなれない、作り慣れない分野の料理のため、最初から自分で作る気は起きなかった。おいしい料理を作るには、まず、様々な情報が必要なのである。

 そう考えた麻里は、時々、誠二と外出して食事をする機会があると、あえて誠二のおすすめのイタリアンに行くようにした。

麻里はもともと和食が好きで、家で作る時も和食が中心だったのだが、外で和食屋さんに行こうとすると、たいてい誠二から、「待った!」がかかる。

誠二は、家で麻里が出した和食には、文句も言わずに箸をつけるくせに、外食となると途端に、和食の店を敬遠するのだ。

それで以前はよく、外食のたびに、今日はどこそこで和食が食べたい、いや、和食ではなくあれが食べたいと、誠二と口論をしていたものだが、パスタというものに興味を持ち始めた麻里にとって、誠二のおすすめの店というのは天国であった。何しろ、色々なスパゲッティが選び放題なのである。


 だが、何度か誠二とイタリアンの店に行くにつれて、麻里はなんとなく物足りない気持ちになってきた。

どうも、最初に食べた誠二の手作りスパゲッティの感触が忘れられないのだ。あの絶妙な固さ、あの味付け。あの味付けと食感をまた味わいたい。その思いでスープパスタを注文したこともあるが、どうしても誠二の作ったパスタの味が、頭と舌と記憶の中に残っていて、“これじゃない…”と思ってしまうのだ。

 何度か誠二と外食して、ついに理想の味に巡り合えないことを悟った麻里は、(どの店もとてもおいしかったが)、誠二に相談することにした。


「誠二、折り入っての相談があるんだけど……」


 フローリングの床の上に正座をして、誠二にそう切り出した麻里の横には、きちんとアイロンのかけられた二人分のシャツが何枚か積んであった。さらにしっかりとボタンをつけ直したパジャマ。(このパジャマは、麻里が以前、本の気まぐれで誠二に作ってみたものなのだが、どういうわけか誠二はそのパジャマを大変気に入り、ボタンが外れそうになるほどに、ずっと愛用してくれていた)。すぐ横のテーブルの上には、麻里が心をこめて入れた日本茶とおいしい和菓子が用意してある。

 帰って来るなりその光景を目の当たりにした誠二は、なぜか身構えた。


「な、なに、麻里……。無理な相談だったら嫌だよ。別れるとかだったら、ちょっと、また日を改めてほしいんだけど、うん、三年後くらいにまた、……」


 そんなよくわからない動揺をする誠二に、「はて、別れるとは?」と首をかしげながら、麻里は誠二に座布団をすすめた。


「まあ、ここに座ってちょうだい、誠二」

「別れ話とかじゃないなら別にいいけど……」


 誠二が変に視線を泳がせながら、警戒心もあらわに麻里の前の座布団に座る。麻里はおもむろに棚の上に置かれた陶器製の時計を指差し


「もうすぐお昼でしょう。実は今日のお昼ご飯に、パスタを食べたいんだけど」

と言ってみた。誠二が、拍子抜けしたような顔をして、目を丸くした。

「え?パスタ?そんなことでいいの?………別にいいけど、どこか行きたいお店でもあるの?もうだいぶ、良い時間だと思うけど」

「お店じゃなくて、部屋で作ったパスタが食べたいの」

「部屋で……?」


 誠二が驚いたように、瞬きをして眉を寄せた。それから不思議そうな顔で、


「それって、パスタをここで作りたいってこと?」

「正確には、誠二が作ったパスタを食べたい」

「え!」


 誠二は驚いたように目を丸くした。どうやら誠二は、自分のパスタがどれほど麻里に感銘を与えたのかが、まるでわかっていないらしかった。困ったように頬をかいて台所の方を見やり、


「いや、でも、あんな適当な料理をわざわざここで作らなくても……」

と告げてくる。麻里は腰を浮かすようにして、誠二に力説した。

「適当なんかじゃないわ!私はあれ以来、色々な店で色々なパスタを食べてきたけど、あの時、誠二が作ってくれたパスタに敵うパスタを出す店はどこにもなかったわよ!」

「………っ」


 誠二がさっと視線をそらし、手と髪でうまく表情を隠した。よくわからない反応だ。そして、そのまま、明後日の方向を見つめ、なぜか動かなくなってしまう。麻里は困ってしまい、眉を寄せた。やはり、いきなりパスタを作れと言うのは失礼だったのだろうか。

だが誠二だって、しょっちゅう、麻里がご飯を作る直前になってから、「あれが食べたい」「これが食べたい」と言って、麻里のメニューにいろいろと変更を強いるのだ。だからてっきり、自分と誠二の間はこれでいいのかと思っていたのだが………。


 しばらく動かなかった誠二が、なぜか赤い顔をして、手でパタパタと顔のあたりを仰ぎながら麻里を見やった。それから


「ぱ、パスタがそんなに食べたいの……」

「食べたい」

「でも材料が……」

「材料なら、すでに用意してあるの」


 麻里はそこで、待ってましたと言わんばかりに立ち上がり、いそいそと台所のほうに向かった。誠二もよろよろと立ち上がり、なぜかふらついた足取りで麻里のあとを付いてくる。そして、麻里が冷蔵庫から取り出したものを見て、目を丸くした。


 そこには、あの時、誠二が作ったパスタを作るのに必要な物が、ほとんど用意されていた。

 塩を入れた大量の水(一度沸騰済み)。解凍されつつある、一口サイズの魚介類。カットされた野菜。トマト缶。塩。胡椒。ニンニク。オリーブオイル。バジルなどのちょっと特殊な調味料など、など、など。

 先に台所に入った麻里がたったいま冷蔵庫から取り出して並べた食材たちを手でさししめして、


「記憶を頼りにそろえてみたの。スパゲッティ―の麺は、そこ。後はもう一度鍋を火にかけて、スープを作って、麺をゆでて、絡めるだけだと思うんだけど……」

「ここまでしてあるんだったら、多分、お前が作った方が早くておいしいのが出来ると思うんだけどな……」

 誠二が、困ったように頬のあたりをかきながら苦笑した。麻里は眉を寄せ、ちらっと明後日の方向を見た後で、少し居心地悪そうにしながら誠二のことをちらりと見やる。

「実は、誠二が居ない間に何度か挑戦してみたことがあるんだけど、どれもこれもピンとこなくてね」

「え!?」

「いや、失敗というわけではないんだけど。現に、加奈子も華もおいしいとは言ってくれたんだけど」

「あ、この前さりげなくあの二人に自慢されたパスタ大会って、もしかしてそれ!?うそだろ。オレも食べたかったんだけど、お前の手料理。いったいいつの間に、そんな」

「誠二がフィールドワークに行っていた時よ。その時に加奈子と華を呼んで、パスタパーティーを開いたんだけど、……、どうしても、私が食べたい味にならなくてね。これはもう、個性というか、才能、センスの問題だと思ったの。どうやら私、誠二が作るパスタじゃなければ満足できない味覚になってしまったみたいで……」

「………お願いだから、そうやってハードル上げるのやめて……。これで“違う。この味じゃない”とか言われたら、オレ、マジで立ち直れないんだけど。ええ~…?なんだっけ、この前の味付け。もはや記憶が、……」

「お願い!なんとしても思いだして!あなたならできる、誠二!もう一度、あのパスタを作って!!お願い!」

「………レシピ、メモしておけばよかった。まさかこんなことになるなんて……。麻里には悪いけど、ホントに適当なんだよ、あの味付け。なんだったっけなぁ…」


 誠二がなんだかとても途方に暮れたような顔をして、麻里の差し出したエプロンをつけた。そして鍋に火をかけ、並べられた食材を確認しながら、さっそくスープを作る準備に入る。

 麻里はわくわくと誠二の後ろでそれを見ていた。

だがすぐに誠二から、「緊張するから向こうに行ってて」と言われてしまい、台所から追い出された。

麻里がご飯を作る時はしょっちゅうのぞきに来るくせに、そして、背中から麻里を抱き込むようにして味見までしていくくせに、なんということだろう。

だが、ここでせっかくやる気になった誠二がパスタを作らなくなってしまうのも困るので、麻里は諦めて部屋に戻った。そうしてそわそわと誠二の夏用のパジャマを縫ったり、(実は少し前から縫い始めていたので、そろそろ完成間近だ)、台所の様子を伺ったりしながら待っていると、やがてトマトソースの美味しそうな香りとともに、


「出来たよー、たぶんだけど」


という声がかかった。

麻里は縫いかけのパジャマを片付け、台所に走って行った。台の上に、おいしそうなスープスパゲティーが、二皿おいてあった。白い湯気をたてている。イカや貝などの魚介が浮いたトマトスープの赤とバジルの緑という、色のコントラストがまぶしい。

ただよってくる香りも、記憶の中の、おそらくは美化されていたであろうものよりも、断然おいしそうで、麻里は思わず息を飲んだ。

 麻里が顔を輝かせると、困ったような顔でエプロンをはずした誠二が、両手に皿を一枚ずつ持ち、


「あまり期待しないでほしいんだけど」


と苦笑した。麻里は残りの食器や飲み物やカップを持って、誠二の後ろをおいかけた。


その時の誠二の作ったパスタの、おいしかったこと!

 麻里は、誠二と向かい合って誠二お手製のアツアツスープパスタを食べながら、多分、自分はもう二度と、外のレストランで食べるパスタでは満足できないんだろうなぁと考えて、ちらりと誠二の方を見た。

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