第三話 年下夫の嫉妬

「そりゃ……アルも怒んだろ」


 翌日、シルヴァ家を訪ねてきた客人に事の次第を話すと、彼は心底呆れた顔をしていた。


「わたしって、そんなに頼りないですか……? 姉なんてありえないって思えるほど……?」

「いや、頼りないっていうか……。姉とは思いたくないよなぁ」

「ジェレミーさままで、ひどい……!」


 ジェレミー・ロサリオ。

 メルキウス帝国の現三席魔術師で、アルセニオの魔術の師匠だ。


 アルセニオはまだ幼く、自身の魔力を上手く制御することができない。

 しかし、膨大な魔力を持つアルセニオに魔術を教えられる人間など、この国には片手で数えられるほどしかいなかった。


 そのうちのひとりがジェレミーだ。

 おかげで彼は忙しい仕事の合間を縫って、こうしてシルヴァ家まで授業をしに来てくれているというわけだ。


 ただ、肝心のアルセニオが今朝から外出中のため、今はこうしてルビアの愚痴に付き合ってくれている次第である。


「わたしだって頑張ってるんですよ! そりゃ、アルセニオさまに比べたら魔力量なんて雀の涙ですし、大した魔法だって使えませんけど……」

「そういう問題じゃないと思うんだが」

「じゃあどういう問題なんですか!」

「部外者の俺がそれを言うわけにもなぁ」


 困ったように笑うジェレミーは、エリート魔術師というよりは『気の良いお兄さん』という印象だ。

 彼の祖母がタルク族出身であることや、大らかで気さくな性格から、ルビアは初対面の時から勝手に親近感を覚えていた。


 そしてジェレミーはジェレミーで、遠縁であり五つ年下のルビアのことを、何かと気に掛けてくれている。

 初対面の時「何か困ったことがあれば相談に乗るよ」と言われて以降、ルビアはこうして遠慮なく彼を頼ることにしていた。


「しっかし、まさか痴話喧嘩の相談とはな。ルビアちゃん、俺が三席魔術師さまだってこと分かってる?」


 長い三つ編みをいじりながら、ジェレミーが言う。

 途中「あ、枝毛みっけ」などと言っているが、もっと真面目に聞いてほしいものだ。


「それはわかってますけど、初対面の時に〝俺のことは親戚の兄ちゃんだと思って、なんでも相談してね〟って言ってくださったじゃないですか。――というか、痴話喧嘩じゃありませんから!」


 じとりと睨み付けると、ジェレミーは「すまんすまん」と軽い口調で言いながら、ティーカップを口に運ぶ。

 そして中に入っていたお茶を一口飲むなり、嬉しそうに口元を綻ばせた。


「おお、これこれ、この味。これを飲みたくて授業しにきてるまであるわ」

「美味しいですよね、ミゼ茶」

「この苦みが堪んねぇんだよな。こっちじゃ中々手に入んねぇけど」


 ミゼ茶は、帝国南部で採れるミゼという葉を使った発酵茶だ。

 独特の苦みと渋みがあるため、南部以外ではあまり出回っていないものの、お茶好きの間では密かな人気を誇る品である。


「この前、実家から茶葉がたくさん送られてきたんです。よかったらお持ち帰りされますか?」

「いいのか? そいつは助かる」

「アルセニオさまは苦いのがお嫌いですし、いくらでも持っていってください。あ、あと、お庭で採れた南部の超激辛唐辛子もどうぞ」


 辛い食べ物が大好きなルビアは、庭で数種類の唐辛子を栽培している。どれも南部産の種から育てたもので、辛さは保証済みだ。

 アルセニオが以前、ジェレミーは辛いもの好きだと言っていたため、密かに南部の唐辛子を普及する機会を窺っていたのである。


「嬉しいな。こっちのはどいつもこいつも、辛味が弱くて物足りなかったんだ」

「刻んでお肉のソースに入れてもいいですし、パスタに入れても美味しいですよ」

「自分で作るの面倒くさいなぁ」


 庶民的な発想に、ルビアは思わず笑ってしまった。

 ロサリオ家はシルヴァ家と同じ公爵位を戴く名門で、ジェレミーはそこの当主なのだ。


「料理人さんに頼めばいいじゃないですか」

「違うんだよなぁ。俺が求めてるのは、ばあちゃんが作ってくれてた本場南部の家庭料理なの」


 はぁ、と深いため息をついて項垂れたジェレミーが、ぱっと顔を上げて悪戯っぽく笑う。

 紫の瞳が特徴的な切れ長の目には、無邪気な子供のような色が浮かんでいた。

 


「そうだルビアちゃん、今からでもうちにお嫁に来てくんない?」

「ふふ、お断りします。ジェレミーさまのお嫁さんになったら、皇都中の女性たちから嫉妬されちゃいますから」

「残念。ルビアちゃんがお嫁に来てくれたら、俺、今以上に仕事頑張るのに」


 それはいつも飄々としたジェレミーらしい、ほんの軽い冗談だった。

 ルビアもそれを分かっていて、笑って受け流したのだ。

 けれど、幼く生真面目なアルセニオは、きっとジェレミーの言葉をまっすぐに受け止めてしまったのだろう。


「――消し飛べ!」


 幼くも、魔力を込めた威圧的な声が聞こえてきたのと、背筋に悪寒が走ったのはどちらが先だっただろうか。

 気づけば黒い稲妻が、一直線にジェレミーへ向かって飛んできた。


 ――パンッ。


 破裂音が響き、稲妻が空中で霧散する。

 ジェレミーが咄嗟に結界を張ったのだ。恐らくは、魔術による攻撃の波動を感じ取った瞬間に。

 そうでなければ彼は今頃、稲妻の直撃を浴びて黒焦げになっていたに違いない。

 首席魔術師でなければ、到底できなかった芸当だ。


「あっ、……ぶねぇな。ルビアちゃん、大丈夫?」

「わたしは大丈夫、です……けど……」


 気づけばルビアは、庇われるようにしてジェレミーの腕の中にいた。

 そしていつからそこにいたのか、そんなふたりを底冷えのするような目つきでアルセニオが睨み付けている。


「――そいつから離れろ、ジェレミー」

「おいおい、落ち着けって……。お前さん、ルビアちゃんまで巻き込む気だったのか?」

「この僕がそんなヘマをするわけがないだろう。狙ったのはジェレミー、お前だけだ」


 愕然としながら、ルビアはアルセニオを見た。

 ではアルセニオは今、本気でジェレミーを殺そうとしたというのか。不可抗力の魔力の暴走などではない、自分の意思で。 

 

 気づけばルビアはジェレミーの腕の中から抜け出して、アルセニオのほうへ向かっていた。


「ルビアちゃん、危ない――」


 ジェレミーが呼び止めるのも無視し、歩みを進める。

 そして、


「なんだ――」


 アルセニオが何か言おうとしたが、それを遮るようにパチリと両手で彼の頬を挟み込んだ。

 叩いた、というにはあまりに優しく、しかしアルセニオに衝撃を与えるには十分な力で。

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