第一話 暴君夫と従順な花嫁

「ルビア! ルビアはどこにいる!」

「はい、アルセニオさま。ルビアはここにいますよ」


 部屋の片付けをしていたルビアは、夫が自分を呼ぶ声に、急いで廊下へ出た。

 見れば夫のアルセニオが、不機嫌な顔で佇んでいる。

 彼はルビアを見るなり、眉間の皺をますます深くして睨み付けた。


「僕が呼んだら十秒以内に来いと言っているだろう! 夫の命令が聞けないのか」

「申し訳ございません。お部屋の片付けをしておりまして」

「そんなものはメイドに任せておけばいい。今度から、僕の声が聞こえたら何を差し置いても早く来るように。わかったな」

「はい、かしこまりました」


 威圧的な物言いにも、ルビアは素直に頷く。

 暴君の夫と従順な妻――そんな光景に、メイドたちが物陰からクスクスと笑い声を上げた。


「やだ見て、奥さまったら、また旦那さまに叱られてるわ」

「嫁いでらしてから、毎日あの調子よね」


 第三者から見れば、婚家で虐げられ、メイドにまで見下されている妻に見えることだろう。

 しかしルビアは腹を立てたり傷付いたりするどころか、むしろ思わず笑ってしまう。


「ふふっ」

「何を笑っている!」

「だって、アルセニオさまの怒り顔がお可愛らしくて」

「なっ……可愛くない! 僕のほうが少し年下だからって、子供扱いするな!」


 アルセニオが顔を赤くして怒り出す。

『少し』ではない、と突っ込むのはやめておいた。十六歳のルビアより、アルセニオは八歳も年下なのである。

 実家の弟と同じ年齢の子供が、拗ねてプンプンと怒るさまをルビアが微笑ましく思ったとしても、無理のない話だ。


「本当、うちの旦那さまと奥さまは微笑ましいわよね」

「見ていて癒やされるわー」


 クスクス、とまたメイドたちが声を上げて笑う。

 アルセニオの耳にもその声は届いていたようで、彼はますます顔を赤くし、メイドたちを睨み付けた。


「お前たち! 無駄話をしていないでさっさと仕事に戻れ!」


 メイドたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 その後ろ姿を見送りながら、アルセニオが呆れたように腕を組んだ。


「まったく……お前が来てからというもの、我が家が騒がしくなる一方だ」


 そう言いながらも、ルビアの目にアルセニオの表情は、その変化を満更でもないと感じているように映る。

 ルビアはそれを、喜ばしく思っていた。


(本当に、結婚した当初と比べて表情豊かになられたわ)



 ルビアとアルセニオは、いわゆる政略結婚で結ばれた夫婦だ。



 メルキウス帝国には代々、南部を支配してきたタルクという一族がいる。

 南部土着の民で、帝国より古くから独自の文化を築いてきた民族だ。


 帝国南部は巨大な森林と瘴気を発する沼を有する難しい土地であり、それゆえに国はタルク族に独立行政自治領主としての役割を与え、南部の大多数の地域を統治させてきた。――それが、現在の南領だ。

 国はタルク族に隣国との国境を防衛してもらう代わりに、族長一族の娘を名門魔術一家の夫人として迎えることで、協力関係を築いてきた。


 そして今代ではそれは、シルヴァ家の持ち回りだった。

 数多くの筆頭魔術師を排出してきた、七代魔術一家シルヴァ公爵家。アルセニオはその、若き当主だ。


 幼くして両親を亡くしたアルセニオは、歴代当主の中でも抜きん出て強い魔力の持ち主である。国は次代にその魔力を残すため、彼に早期の結婚を望んでいた。

 元より、魔術師は国のそうした意向によって早婚の傾向にある。


 とはいえ、いくらなんでも八歳という年齢は若すぎる。ままごとのような結婚だと、不満の声も多く上がったらしい。――とりわけ、シルヴァ家との縁談を望んでいた、多くの貴族からは。


 しかし結局、爵位も持たぬ一族の姫との結婚に手を挙げる者が他にいなかったことから、ふたりの婚姻は成立した。

 

 結婚と言っても、相手は八歳の子供。

 当然、異性として見られるはずもなく、ルビアは弟に接するような気持ちでアルセニオと交流していた。


 最初の頃は随分と威嚇されたものの、結婚して三ヶ月も経った今では、アルセニオもかなり懐いてくれたように思う。


「ところでアルセニオさま、わたしに何かご用ですか?」

「そうだ! 今日は一緒にお茶をするぞ! 美味しい菓子が手に入ったんだ。お前は菓子が好きだろう」

「はい。楽しみですね」

「べ、別に僕は楽しみじゃない! お前が甘い物好きだから、仕方なく付き合ってやってるだけだ」


 アルセニオが慌てたように、ぷいっとそっぽを向く。

 口ではそう言いながらも、彼がお菓子好きなことをルビアは知っている。己に厳しい彼は、ルビアを言い訳にしないと好きな物すら食べられないのだ。


 きっとアルセニオは、知らないだろう。ルビアが本当は、甘い物がそこまで得意ではないことを。彼の喜ぶ顔が見たくて、お茶の時間に付き合っていることを。

 でも、それでいい。


(わたしとお茶をすることで、ひとりきりだったアルセニオさまの寂しさが少しでも和らぐなら)


 ――母殺しの凶眼。

 アルセニオが陰でそう呼ばれていることを知ったのは、結婚が決まってすぐのことだった。

 なんでも彼は生まれてすぐ、その身に宿す魔力を暴走させ、実の母親を死なせてしまったらしい。


 表向きには彼女の死は産褥として処理されたそうだ。しかし、人の口に戸は立てられない。

 その上アルセニオが六歳の時、彼の父が急死したことによって、人々はますますアルセニオのことを悪し様に噂するようになった。


『父親のことも母親と同じように殺したんじゃないか』

『いくら魔力が強くても、穢れた呪い子に近づきたくはない』

『目を見るだけで、相手を石にしてしまうそうだ』

『ああ、恐ろしい』


 その噂は瞬く間に帝国中に広まり、当然南領にも漏れ聞こえていた。

 ゆえにアルセニオとの縁談が持ち込まれた際、ルビアの姉妹たちは誰ひとりとして彼の許に嫁ぎたがらなかった。

 

 結局、族長である父は嫡女のルビアを花嫁として送り出したわけだが、それで正解だったと言えよう。

 何せルビアときたら、楽観的かつ能天気な性格で、ちょっとしたことでは落ち込まないしたたかさも持ち合わせている。


 何よりルビアは、アルセニオの話を初めて聞いた時、彼のことを心底可哀想に思った。

 もし例の噂が本当だとしても、生まれてすぐに魔力を暴走させたのはアルセニオ自身の意思ではない。それなのに『母殺し』などと誹られ、彼はどんなに辛かっただろうか――と。


『年下の夫とはいえ、夫婦となったからには公爵閣下をお支えするのだぞ』

『お任せ下さい。このルビア、タルク族の誇りにかけて、必ずや閣下を幸せにしてみせます!』


 父とのそんなやりとりの末、ルビアは王都へ送り出された。


 当初、アルセニオは年上の花嫁を明らかに歓迎していない様子だった。

 結婚式を挙げることもなくひっそりと嫁いだ花嫁に、彼は一切の温度を感じさせない声で言い放った。


『ようこそ……と言いたいところだが、この結婚は僕が望んだことではない。王命の手前、お前のことは一応公爵夫人として遇するが、僕からの愛など期待するな』


 だが、ルビアの耳に彼の言葉はほとんど聞こえていなかった。

 ルビアの視線は、キラキラと光る黄金色の目に釘付けになっていたからだ。


『おい、聞いているのか!』

『申し訳ございません、閣下のお目がとっても綺麗で、見とれていました! まるで星みたいに綺麗ですね』

『はぁ!? お前……おかしいんじゃないのか!?』


 いつも冷静なアルセニオが、あの時ばかりは素っ頓狂な声を上げ、長いこと絶句していたことは、今でもメイドたちの間で語り草になっていた。

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