10
「別に何もされてへんよ」
まず弁解っちゅうか空気和らげようと声掛けた。
「公園でちょっと話しただけっちゅうか……まあなんでか俺のことは知られとったけど、殴られたりとかそういうのはなかったから心配せんでええ」
胸倉は掴まれたしだいぶ怖い話はされたけどもとりあえず黙っといた。永崎は表情緩めてくれるかと思いきや眉間にめちゃくちゃ皺寄せた。
こんなに露骨に感情出とるとこ初めて見るかもしれんて気付いた瞬間背筋が伸びて、永崎は俺から視線外しながら口開いた。
「先輩、なんで俺に言わんかったんですか」
「……それは、すまん、心配させるようなことは言わんでええかなて……」
「あの親父なんか変な話とかしませんでしたか」
「いや、お前の高校の学費出す、っちゅう話やった」
ちゃんと嘘やない。あの親父は永崎を腹いせやら憂さ晴らしで虐めとるわけちゃうかった。ほんまの理由は怖いっちゅうか一ミリもわからへんねんけど、そこは一旦置いといて、とにかく俺はなぜか待ち伏せされてなぜか公園に連れてかれてもうて永崎について会話した。そんだけや。ここまでを慎重に伝えると永崎は一分くらいじっと黙った。卒業おめでとう! の声がまた聞こえてくる。俺らのいる階段の前を女子グループが通り掛かって、ちらっとこっち見るけどあかんもん見たて顔ですぐ逸らしてどっかいく。俺はほんまに卒業したかどうかあんまわからんようになってくる。現実味があらへん。この段階に来て混迷しとるてじわじわ気付く。
永崎を怒らせたっぽいのがわりとショックでみぞおちの辺りに効いてくる。
これでもう転校しておらんようになってもうたら失望どころちゃうやろて不意に思って、卒業式でいいムードなはずやのに受験落ちたとかインフルエンザになったみたいな気分になってめちゃくちゃしんどくなってくる。
「な、永崎……」
なんとかしとうて呼び掛けるけどそれ以上声にならん。せやけど永崎はこっち向いて、こわごわ合わせた視線の怒りはちょっと減ってた。露骨にほっとした。黙っててほんまにすまんかったてもう一回謝ったら永崎は軽く頷いた。
「変なことされてへんなら、ええです」
そう言うてから溜め息挟んで、
「あの親父、鷹島くんて腹立つしかわええなあとか、言うて来たんですよ」
貶しとんのか褒めとんのかわからんけどもナメてはおる情報を口にした。
「まあ……おっさんからしたら中学生なんて、うざいとかかわええとかそんなもんなんやろ……」
「言い方にほんまに腹立って、殴りかかったんですけど返り討ちにされました」
「怪我、痛いか?」
「いつものことなんで。殺せんかったんは、残念やけど」
永崎は不機嫌そうに眉寄せる。痣になっとるとこがめっちゃ痛そうに見えてきて、消毒とかなんかしたほうがええんちゃうかと提案してから立ち上がる。保健室、多分開いてるやろ。わからんけど。とりあえず行ってみよ。
提案したら永崎は案外素直に頷いて、俺らは卒業ムードもなんもないまま一階にある保健室に向かっていった。
鍵は空いてた。せやけど養護の先生は不在やった。生徒も誰もおらんくて、不用心やなと思たけどもせっかく来たし中に入った。消毒液やらガーゼやらなんやかんやが棚の中に見えるように置かれとって、俺は永崎座らせて勝手に消毒液取り出した。
無言やった。いつもは俺、もっとどうでもええこと色々話しとるような気がした。ラブコメとか少女漫画とかって主人公とヒロインが保健室でいいムードになるとかテッパンやんなあと思いながら、漫画って俺にとってはやっと手に入れた現実逃避の材料みたいなもんやろなあて改めて納得する。転勤族で深い仲の相手なんかおらんくて、もし仲良くなりそうな子がおってもそれとなく距離取って漫画やったらここで打ち切りやなあとか考えて誤魔化した。小学校の頃にはもう漫画に仮託しとった。今も一緒や。主人公の手当てするんはヒロインやとはわかっとるけど、消毒液でびたびたにしたコットン? みたいなやつで永崎の痣をゆるゆる撫でた。その後にガーゼ持ってきて貼り付けた。見様見真似やからテープの位置がおかしなったけども永崎はありがとうございますて頭下げながら言うた。
「いやいや、適当になってもた」
「おれ一人やったら、怪我の処理とかしませんよ」
「まあほっとけば治るとは思うんやけど、めちゃくちゃ変色しとるからちょっと心配でな……」
「自分やと見えへん」
「そらそやろ。……ちゅうか先生どこ行ってん」
「いつも先生おるんですか」
「そらおるて、俺あんま来んからよう知らんけど……どんな先生やったかいな、若めの女の養護教諭さんやったような気ぃするな。まあどんな人でも別にええか、うん」
会話が途切れてもうた。また無言になんのがなんとなく嫌で、もう帰ろか、って声掛けて消毒液とか片付けた。永崎は特になんも答えへん。俺は棚の方向いたまま、ガラス越しに自分を睨んだ。ほんまこいつ、鷹島実とか言う根性なし。はよ転勤の話しろや永崎にこれ以上心配かけんなや、引っ越してもうて会われへんようになっても連絡するとかなんとか頑張って会いに来るとか、俺は高校生になるんやしバイトも出来るから金作ってここまで来るから待っててくれとかなんでもええから言わんかい!
「永崎」
「鷹島先輩」
発声はほぼ一緒やった。俺は振り向いてて、永崎は立ち上がってた。二人してちょっとまごついた。先にどうぞて促すと、永崎は一歩、二歩、三歩近付いて来てから手ぇ伸ばした。
ぶら下がっとる俺の手を両手で掴んで、
「親父に、二度と何もさせへんように頑張るから、これからも一緒におってください」
初めて見るくらい真剣な目で言うてきた。正直詰んだ。あーこれ引っ越すかもしれんて話でけへん流れになったと思うた。握られとる手がじりじりと熱なってきて、反射で指先がビクついたけど動いた直後に握り返して誤魔化した。
「もちろん、一緒におるよ。俺が高校に行き始めてもちょいちょい会おうや、な?」
俺の返事に永崎は心底ほっとしたて顔してから目ぇ細めて嬉しそうに笑った。やってもうた。せやけど逆に俺は決めた。
帰宅してから父親に俺だけはこっちに絶対残りたいって話しようて、多分初めて親の転勤に逆らう意思が固まった。
永崎と並んで帰った。その道中はもうほぼいつも通りで、永崎は途中で一回だけヤンキーっぽいのに絡まれたけどふつうに殴って散らしてた。お前ほんま強いよなあとか俺は呑気に言うて、はよ成長期来てほしいですて永崎は答えて、そこそこ暮れとる田舎の道をのんびり歩いた。
俺の家についてから、永崎は自分の家に向かって行った。俺には送らせてくれへんけども俺のことはちょいちょい送る。送りたいっちゅうより話したいんかもしれへん。かわいい後輩やと思う。特になんの取り柄もあらへん俺なんかと一緒におりたいて言うてくれてほんまに嬉しい。
永崎の帰る姿見送ってから家に入った。父親はまだ仕事やろうけど、おかんは夕飯の支度しかけとるとこやった。味方につけとこうと思て、俺だけでも絶対こっちに残るて話を台所にいるおかんに話した。おかんは絶妙な相槌打ちながら聞いてくれて、私からもお父さんに言うわて約束してくれた。永崎くんには話せたん? て聞かれた時はあーまあ……て濁してもうたから話されへんかったてすぐばれた。
「あんた、永崎くんのことほんまに好きなんやな」
とか何気ない雰囲気で言われて止まってもうた。そら好きやでとかなんとか返せば良かったんやけど、なんか、言われへんかった。こんな大事な存在になるなんて思てへんかったし、好きは好きでもこの言葉は範囲が広すぎて使いにくい。まだ気軽に言うてええんかどうかわからへん。
俺は黙ってもうたけどおかんは別に気にしてへんかった。父親が帰ってきたら三人で話そなて言うてもろて、俺は漫画とかの妄想に逃げんとしっかり意見話すためにめっちゃ気合い入れた。部屋に行って色々シュミレーションした。難色示されたらこう答えようとか、ギリギリ滑り込みの私立受験出来るからそれやったら一人暮らしいけるとか、なんなら寮つきのとこでもええとか、もしおかんとおとんの知り合いが居候させてくれるんやったらやぶさかやないとか色々諸々提案するつもりで時間忘れて考えた。
せやけどこれ、結果的に意味あらへんかった。
夜になって帰ってきた父親が、
「実、転勤せんでええことになったみたいやわ」
とか軽い調子で言うてきたからずっこけた。全然意味なかったやんけなんのコントやねんて思うたし、漫画で言うところの間のかさ増し回でなくても良かったやつやんて思いっ切り肩透かし食らってもうた。
まあでも、ズッコケオチなわけでもあらへんかった。
「お前の友達の永崎くんておるやろ、あの子のお父さんが上司に話しに来てなあ。転勤は俺やのうて別の奴が行くことになったんや」
こう言い添えられて一気に寒なった。あのおっさんほんまになんやねんて思うたし、これ貸し作ったみたいになってへんか? て気付いてゾッとした。良かったなあて笑ってる両親に一言もまともに返せへんかった。
永崎にとってのラスボスがだいぶ恐怖の存在やってことが、この段階でやっと現実味帯びて俺にもわかるようなった。
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