第2話 ロードリア共和国

共和暦111年3月3日 ロードリア共和国首都サント・ペテリア


 大国ギルティアは、多くの国々を属国として従えていた国である。パンドラ大陸の東部に広がる島々も同様に、いわゆるニューアスラニアという名前で植民地として管理されていた。


 だがある時を境に、ニューアスラニアの支配者は変わってしまった。ニューアスラニアの東部沖合に一つの陸地が転移し、ニューアスラニアを僅か1年で制圧。今やパンドラより東の地域は、ロードリア共和国の勢力圏と化していた。


 ロードリア共和国は一神教『ルキスト教』の聖地を抱える国であり、そして110年ほど前まではギルティアのいち属国であった。ルキスト教会とロードリア諸島の名士が主導した独立運動を経て自立し、最初の世界大戦でギルティアが没落を迎え始めた頃になって、ロードリアは自国近海に出現した『門』で接触を開始。そしてギルティアの有していた『門』が消失したタイミングで、惑星モザイクに転移したのである。


 そしてこの日、ルキスト教会の聖人ペテリウスを名に冠する首都サント・ペテリアの独立記念会館では、国防陸軍士官候補生学校の第100期卒業生の門出を祝う記念演説が行われていた。


「我が国は、確固たる正義と純真な信仰、そして民族への献身によって成り立つ国である。諸君ら士官候補生はその中の一つである正義を担う、国防軍の若き新星であり、将来の国防軍の中核となるべき存在である」


 元老院議員を務めるアンジェリカ・ディ・アベルッティ・ローグは、数百人の卒業生の前で弁を振う。彼女は共和国建国以来の名士ローグ家の令嬢であり、多くの要職と名誉を背負う才女でもあった。その演説を数人の男達が見つめる。


「彼女はいつにも増して雄弁であるな」


「ええ。何せ此度は初めて、事務職とはいえ女性士官候補生が誕生するのですから。軍も人手不足を気にし始めたとはいえ、ここまで来ると議員に対するリップサービスの様に思えてきますね」


 赤色の軍服が映える者達を見つめつつ、将校達はそう言葉を交わす。20年前にギルティアとの間で繰り広げられた戦争で成年男子の数を減らした結果、共和国政府は様々な改革で当面の問題を乗り切る事とした。


 その一つに女子の公務員としての採用があった。これまで女子とは、高貴な貴族パトリキ騎士エクィテスが家柄と血縁関係で優位に立つための材料であり、政治や軍事の場面で活躍させる事はなかった。だが業務において物理的に人手が足りない状況を放置している訳にもいかず、貴族や騎士階級の子女限定で門戸を開く事としたのだ。


 その先鞭をつける事となったアンジェリカは、まさに『模範的な女性政治家』であった。彼女は祖父で、病に伏せて元老院に登壇する事の出来ないアベルッティ侯爵ローグ家当主の代役以上に、アベルッティ侯爵派閥の議員の旗頭として活躍している。『たかが女』と侮って、議論の場にて醜態を曝け出した老害議員の何と多い事か。


「…して、私は最後に、諸君らにこの言葉を送ろうと思う。諸君ら共和国の守り人に、神の恩寵と覚者ルキストの加護が在らん事を」


 万雷の拍手喝采が、会館の大ホールに響き渡った。


・・・


サント・ペテリア市内


 独立記念会館から元老院議事堂まで、交通法規に縛られる事の無い議員専用公用車でも30分近くの時間を要した。ペテリア市街内に張り巡らされている主要幹線道路の一部の区域は、時間によっては何十台もの高級車で埋め尽くされることがある。昼下がりの元老院の周辺は、まさにそういう場所だった。各地からやってくる元老院議員の支持者の車列が、渋滞の主な原因だった。


 当然、その目的の大部分は己の利権に関わる陳情と献金にある。来る方も来る方だが、こうした有象無象の輩を神聖なる元老院に呼び込む俗物どもに、アンジェリカは良い感情を持っていなかった。家が富裕な貴族であり、金銭面で苦労した経験には乏しい彼女には、こうした醜態は社交界に出て10年以上が過ぎた現在でも理解しがたいものがあった。


 渋滞にはまった公用車の中で、膨大な資料に目を通すのも毎度のことだ。この日は、共和国対外対策委員会の定例会議が、元老院議事堂の一室で開かれる。会議が終わる頃には、市内の高級ホテルで行われるパーティーはすでに始まっているだろう。だが普段より多忙の身であり、さらには委員会においてこれより重要な議案を提出する立場である事を知っていれば、多少の遅参ぐらい、皆も笑って許してくれる筈だ。


 そして公用車は市街地の北部、大理石の白亜一色に輝く元老院議事堂に到着。降りて玄関に向かうと直ぐに、外務省の役目を担う機関である外交委員会より出向して来た官僚が、アンジェリカを待っていた。


「ローグ議員、委員の皆様はすでにお揃いでございます」


「分かった」


 返事を返しつつ、堂内を歩む。そして用意された会議室で待っていたのは、同じく委員会に名を連ねる元老院議員と官僚達、そして国防軍総司令部付の士官も二人、末席に連なって彼女を待っていた。


 アンジェリカはその内の一人と、視線を一瞬だけ合わせ、早足で上座に歩を進める。そして持ち込んだ書類をテーブルに下ろすと、席に付かずに言葉を発した。


 「お集まりの諸君には、多忙なる中貴重な時間をお割き頂き、感謝を表す言葉もない。だが事は急を要するものである。諸君には、今日は是非とも我が国を取り巻く様々な脅威について、積極的に持論を交わして頂くことを期待してやまない。そこで先ずは、現在配布中の各種資料にお目をお通し願いたい」


 資料の草稿は、列席者に技術的な助言を行う立場として同席を願った国防軍の高級士官にはすでに渡してある。うち上級のバリオ大佐は国防軍総司令部の気鋭の若手参謀であり、アンジェリカとは貴族として知己の関係にあった。


 会議が始まってしばらくは、沈黙がその場の主であった。用意された資料の1ページごとに目を凝らす列席者の表情を楽しむように眺めながら、アンジェリカは現在首都郊外の私邸で療養中の祖父のことを考えていた。


 この国において、政治を担うのは貴族と騎士である。元老院議員の議席というものは高貴な身分の担うものであり、平民プレプスの身分にあるものはいくら山の様な大金を抱えていたとしても、血筋と出身地が適さない以上は議席を金で買う事など出来なかった。


 その中でもアベルッティ侯爵の爵位と領地を受け継ぐ貴族の一つであるローグ家は、建国当初より元老院で影響力を持つ議員一族である。その当主の孫娘たるアンジェリカは、領地や資産の運営に忙しい父親の代わりに元老院で弁論で戦う事を求められた。


 ローグ家の男子は、それなりにいる。だが当主の望む政治家としての才覚を見せたのは彼女だけだった。そして彼女は満足していた。自身の価値を見せつける事に成功しているのだから。


 と、物思いに耽るのも一瞬。レポートの題字に目を通しつつ呟いた。


「…『新たなる脅威・バルカシア』」


 ギルティアが没落の道を辿る原因となった国、バルカシア。その情報は断片的ながらニューアスラニアを占領した時に得られている。そして政体としてはギルティアに近しい事も把握していた。


「彼の国は共和制の天敵である王政を敷いているという。そして現在はパンドラなる国を属国として多くの民を支配下に置き、邪教を広めている。故に我らは悪辣非道なる専制者から人民を解放しなければならない。それこそが我が国がこの世界に呼ばれた理由だ」


 外交委員会の委員が声高らかに言い、多くが頷く。次いで士官が口を開く。


「現在、軍は偵察機を多数派遣して敵軍の情報収集に努めている。パンドラの兵力は数はともかく技術水準では我が国の20年は遅れている。よってアスラニアのギルティア人と現地人を徴兵した上で差し向ければ、陸戦では勝利は間違いないだろう。海戦及び空戦でも同様に、だ」


 そうして多くの意見を耳にし、アンジェリカは口を開く。その際黄色の双眸がトパーズの様に輝きを帯びた。


「我が国にはギルティアを凌駕する技術力と、ルキストのもたらした高い団結力がある。よって我が国は彼の地を悪しき王政より解放し、偉大なるロードリア民族の下で真の理想郷へと導く義務を果たすのだ。それが、これより我らがやるべき事だ」

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