第13話 毒



「あぶないっ!」


 船を降りようとしていたところで、後ろに並んでいたフードの男が、突然ジーンに斬りかかってきた。

 セレーナはとっさに、ジーンを突き飛ばす。


「……っ!」


 ジーンの心臓をめがけて突き出された剣は、セレーナの機転によって胸から逸れ、代わりにセレーナの腕を浅く切り裂いたのだった。


「セラっ!」

「ジーン……無事……、よかっ」

「セラ! おい、セラ!」


 ごく浅い傷だったのに、セレーナの体は力を失い、弛緩していく。ジーンの声かけもむなしく、セレーナは意識を失った。


「あぁん、やだぁん! 乗組員さーん、ここ、怖い人がいますよぉん!」


 曲者は、くずおれるセレーナをジーンが抱き留めている隙に、あっという間にリチャードによって制圧されていた。

 リチャードが声を上げると、船の乗組員が急いで衛兵に連絡し、船で使用している縄を持って走ってくる。


 床に転がっている剣――その刃の一部は、赤く染まっていた。血のついていない部分は、ぬらりと淡い紫色に濡れている。


「毒か……! おい、ダブ!」

「わかってる。急いでロイド先生に、薬お願いしてくる」


 ダブは、ワンピースの裾を切り裂くと、剣についていた毒をぬぐって、布を丸める。丸めた布を袋に入れ、首元に固く縛り付けると、船の甲板に出た。

 そして、ダブは、大空に向かって迷いなく跳躍する。

 次の瞬間、ダブの姿は消え、代わりに美しい赤い瞳の白鳩が、空を羽ばたいて行ったのだった。


「セラ……今、応急処置を……!」


 ジーンは、セレーナの傷口を指で押して、毒を絞りだそうとする。しかし、手が震えて、なかなかうまくいかない。


「くそっ!」


 ジーンはテーブルの上から水の入ったピッチャーを取り、傷口を洗う。そして、セレーナの腕の傷に、口を付けた。


「だめよん! 毒を吸い出すなんて、危険よぉ!」


 リチャードが制止しているが、ジーンはやめなかった。

 危険なのはわかっている。しかし、セレーナにもしものことがあったら……、彼女のいない世界で、自分は生きていく意味などない。


 ジーンは傷口から毒を吸い出し、口をゆすぐことを繰り返した。そうしているうちに、ジーン自身の意識も、朦朧としはじめ――ついに、セレーナに覆い被さるように、倒れてしまったのだった。



◇◆◇



 ジーンは、十年ほど前に、シュトロハイム王国からノルベルト王国へ逃れてきた難民だった。

 当時のシュトロハイム王国では、まだ王位争いも内紛も起きていなかったものの、愚王による悪政が続き、民は疲弊していた。ジーンは、母親や仲間たちに連れられ、アボット伯爵領までたどり着いたのだ。


 しかし当時、アボット伯爵領では、流行り病が猛威を振るっていた。栄養状態の悪い難民たちは、流行り病に罹ると、為す術もなくばたばたと倒れていく。

 そんな中、ジーンは病からいち早く回復した。難民たちの中でも大切にされ、栄養状態も衛生状態も良かったためだろう。

 ジーンは、苦しむ仲間たちを見て、なんとか薬を手に入れられないかと画策する。そうして取った行動が、アボット伯爵家を訪れ、難民の保護と薬の融通を依頼しようというものであった。


 だが。

 訪れたアボット伯爵家も、悲劇のただ中にあった。

 セレーナの実母である伯爵夫人が、数日前に、流行り病で命を落としたばかりだったのだ。

 夜の帳が下りようとしている中、ジーンは門番に追い返され、地べたに座り込み、自分の無力さを嘆いた。


 そんなとき。

 門番に追い返されたジーンに直接声をかけ、屋敷に招き入れてくれたのが、自分も悲しみの最中さなかにいたはずのセレーナだった。


 セレーナはジーンの話を親身になって聞き、共感し、励まし、「自分が父を説得する」と言ってくれた。

 そしてその間、ジーンを風呂に入れさせ、温かいスープを施し、夜が明けるまでベッドを貸してくれたのだ。何も持たない、ただの難民の、無力な少年に。


 結局その後、流行り病には特効薬がないということで、ジーンは一旦難民たちの元へと帰された。

 しかし、セレーナはアボット伯爵に難民の受け入れを進言してくれた。アボット伯爵は、みなの病が治り次第、伯爵家の農地を与え、住民として正式に迎えることを、ジーンに約束してくれたのだった。

 その結果、流行り病から回復した難民たちは、新たな安住の地を手に入れることとなる。


 ジーンの、セレーナに恩を返したいという気持ちは、日に日に強くなっていった。

 そしてジーンは、アボット伯爵家で使用人として雇ってもらうことを決意する。ジーンの母親も、他の難民たちも、みなジーンの背中を押してくれたのだった。


 ジーンは、後にセレーナに尋ねた。あのとき、なぜ自分と仲間たちに施しをしてくれたのか、と。

 セレーナは、優しい表情で、こう答えた。


「わたしのお母様も、何もしてあげられないまま、流行り病で亡くなったわ。だから、ジーンの境遇が他人事と思えなかった。あなたに、守りたい人を守れなくて、後悔してほしくなかったの」――と。


 ジーンは、セレーナ専属の使用人として志願した。

 彼女に主従関係を超えた友情を、そしてそれ以上の思慕を抱き始めるまで、時間はかからなかった。


 自分と、母親、そして仲間たちに生きる場所を与えてくれたセレーナには、一生を捧げても返しきれない恩がある。

 ジーンは、何があろうと、セレーナを必ず守り通すという誓いを、自身に立てた。


 そしてその誓いの炎は、人買いの商人によって隣国へ連れて行かれることになっても、決して消えることなく燃え続けていた。

 いつか自分が力を得たら、大切な人を必ず救いに行く――そのために、この争乱の世を、必ず生き延びるのだと。


 だからジーンは、歯を食いしばって、生き延びた。誓いがあったから、生き延びられた。

 ――守りたい人を守れなくて、後悔することのないように。



◇◆◇

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