第11話 『またね』



 セレーナがジーンとの約束の再会を喜んだ翌朝。

 カナールの街には、雲一つない、爽やかな晴天が広がっている。


 旅支度を済ませた二人は、宿の受付に座っていたエマに挨拶をした。


 エマはセレーナたちの仲が険悪になっていないかと心配していたが、ジーンがセレーナをからかって髪にキスしたのを見て、「ひぇぇぇぇ」と大興奮した。

 セレーナは当然顔を真っ赤にして激怒し、それを見てジーンは楽しそうに笑う。エマは、興奮しすぎて鼻血を出してしまった。


「セラさん、旦那さん、またカナールの街に寄るときは、ぜひこの宿に泊まって下さいね!」

「うん、もちろん! またね、エマさん」

「はい! またお会いできる日を、楽しみにお待ちしてます」


 『またね』は別れではなく、再会を約束する言葉。『さよなら』よりも、ずっと好きな言葉だった。

 それを知ってか知らずか、ジーンは宿を出るなり、こう言った。


「今回はランタン流しを見られなかったからな。次また来るときは、一緒に祭りを見よう」

「うん! また来ようね」


 セレーナの嬉しそうな笑顔を見て、ジーンもまた微笑む。優しく、慈しみ深く。





 セレーナとジーンは、街を眺めながら、船着き場までのんびりと歩く。

 祭りの前は露店が立ち並び、そこかしこから良い匂いが漂ってきていた。祭りを終えた今は、人こそそれなりに歩いているが、のどかな街へと変貌している。


「昨日はあまり見る余裕がなかったけど、色んなお店があって、高い建物もあって、楽しい街ね」

「ああ、そうだな」


 建物は黄色やオレンジや水色、赤色、緑色、様々な色で塗られている。狭い土地に競うように建物が建てられていて、いずれも細長い。後から上部に住居を付け足していったのだろう、変な形に張り出して、建物と建物が絡み合うようになっている不思議な場所もある。


「水の近くには人が集まる。人が集まるから、多様な文化が生まれる。そして多様な文化は、多様な人間を呼ぶんだ」

「そっか。なんだか素敵ね」


 異なる物を受け入れ、手を取り合って暮らしていく。皆が皆、そうできたら良かったのに。

 継母や義弟妹がセレーナを拒んだように、結局は、セレーナ自身も家族を拒んで暮らしてきたのだ。


「あっ、船着き場が見えてきたわ」


 船着き場には、荷物の他に、数十人の人を運べる小型船が停まっている。まだ乗客を入れる前で、今は荷物の積み込みをしているようだ。


「定期船に乗れば、国境まであっという間だ。ここまで追っ手も来なかったな」

「うん。今頃南の方を一生懸命捜しているのかしら?」

「そうかもな。だが、まだ油断はできねえ。気ぃ抜くなよ」

「わかってる」


 その時、一瞬だけ頭上に影が差し、ジーンは空を見上げた。セレーナもつられて、天を仰ぐ。

 どうやら、一羽の白い鳩がセレーナたちの上空を旋回しているようだ。森の時と違って、降りてくる気配はない。


「あの鳩ちゃん、森で会った子よね? 降りてこないのかしら?」

「……はあ。噂をすればってやつか」

「え? なに?」

「どうやら追っ手が来ているようだぞ。反時計回りに二周……馬で半刻の位置だな」

「追っ手……!?」


 ちなみに、一刻は一日を十二等分した時間を表す。半刻は、その半分だ。

 ジーンは鳩になにやらハンドサインを出す。それを確認した鳩は、そのままどこかへ飛んでいった。

 それから彼は、船着き場で荷物を運んでいる男性を呼び止めた。


「忙しいところすまない。この船はいつ出航するんだ?」

「あい、あと一刻ほど後でさぁ」

「そうか、わかった。ありがとう」


 それだけ聞くと、ジーンはセレーナの手を取り、足早にその場から立ち去る。

 昨晩リチャードと話をしていた住宅街の方へ向かっているようだ。


「追っ手って、どうするの? このまま船に乗れば、逃げ切れるかしら?」

「どうかな……船上には逃げ場がない。船内に紛れ込まれちまえば、俺たちの方が袋の鼠になる」

「確かに、そうね……。あ、あの空を飛ぶ機械は?」

「言ったろ? もう燃料がほとんど残ってねえって。それに、船の上であれを使えば、怪盗シリルの顔が大勢にバレるじゃねえか。仮面をつけて乗るわけにもいかねえし」

「そうよね」


 怪しい仮面をつけていたら、乗船拒否間違いなしだ。

 小型船だから、二人きりになれるスペースもない。乗船後に仮面を装着したり、着替えたりするのは不可能だろう。

 だがセレーナは、怪盗シリルがもう一つ不思議な道具を使っていたことを思い出した。


「礼拝堂で使った、まわりを暗くする道具は?」

「屋外じゃあ、空気中に散らばっちまって、効果がほとんど見込めねえんだ」

「なら、船上で襲われたら詰むじゃない!」

「まあ、そうなるな」


 ジーンはあっけなく頷いた。セレーナは額を押さえ、自棄やけになって別の提案をする。


「もういっそ、ここから国境まで歩く?」

「いや、この街に来たということは、俺たちの滞在とは関係なく、追っ手が国境を目指している可能性も出てきた。この船に乗らないと先回りされる可能性が高い」

「じゃあ、どうするのよ」

「助っ人を二人呼んである。そいつらが合流したら、俺たちは変装して船に乗るぞ。……と、その前に、変装の準備だな」


 ジーンは早足で歩いていたが、とある民家の前で足を止め、ノックもせずに扉を開いた。彼は訝しむセレーナを置いて、ずかずかと中に入っていく。


「おい、時間がねえんだ。ボヤボヤしてねえで、行くぞ」

「う、うん」


 ジーンが入った家は、外装こそただの民家だったが、その実、埃っぽい古着屋だった。品数が少なく、ハンガーの間はガラガラに開いている。天井のランプが消えかかっていて、店内は薄暗く、値段の表示もよく見えない。

 ジーンは、強面の店主と、「よう、久しぶり」などと言葉をかわしている。

 セレーナは、自分をギロリと見る店主の視線にたじろぐ。だが、ジーンが何やら説明をすると、態度を軟化させ、店舗の奥へと案内してくれた。


 店舗の奥は、入り口とは異なり、明るく清潔に保たれていた。男性もの、女性もの。貴族用に平民用、職人用、祭事用――様々な衣装が取り揃えられている。

 さらに奥には、衣服だけではなく、靴やカバン、小物類、アクセサリーなども豊富に用意されていた。もしかしたら、ここは『怪盗シリル』が懇意にしている店舗なのかもしれない。


 ジーンはウィッグを二つと、サングラスを二つ、つば広の帽子を一つ、白いジャケットとパンツを一組、白いロングワンピースを一着、用意した。


 セレーナたちは着替えを持って、店の入り口へ戻る。

 そこにはすでに、頼もしい助っ人が一人と、セレーナにとっては意外な人物が一人、待っていたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る