第6話 鳩と疑惑



 セレーナとシリルは、アボット伯爵領の北東にある国境の街を目指し、旅をしていた。

 シリルにさらわれた日から、五日目。最初の街からは、もうずいぶん離れている。南に向かっているように見せかけたのが功を奏したのか、追っ手の気配も全くなかった。

 森を抜けてからは、シリルももう変装用のウィッグを取り、本来のダークブルーの髪で過ごしている。


「この街で一泊したら、川へ向かうぞ。船に乗りゃあ国境の近くまであっという間だ」

「川下りね! 船に乗るのは初めてだわ、楽しみ!」


 ここ、カナールの街には内陸運河があり、物流と交通の拠点となっている。ここから船に乗れば、国境まで徒歩で一日程度の街へと、一気に下ることができるのだ。


「おいおい、目を輝かせてるとこ悪りぃが、そんなにいいもんじゃねえぞ。大きい川だから安全ではあるが、揺れがキツいから慣れてねえとすぐ酔う」

「そうなの? でも、やっぱり楽しみだわ」

「はは、そうかよ。……さて、じゃあ、今日もいい子で留守番してるんだぞ? いいな、間違っても一人で外に出るなよ?」

「わかってるわよ」


 宿をとり、部屋にセレーナと荷物を残すと、シリルは街へ出かけていった。

 本人は情報収集と金策だと言っていたが、街で一体何をしているのか、セレーナは知らない。

 だが、一昨日宿をとった街で、夜になって戻ってきたシリルからは女物の香水の匂いがして、セレーナの中で上がりつつあった彼の株は急落したのだった。


「……はぁ。さすがに毎日宿にいるだけっていうのは、飽きてくるわね。ご飯も食べられるし、現状に全く不満はないのだけれど」


 旅にもようやく慣れてきたセレーナは、宿で体を休めているだけでは退屈に感じ始めていた。特に今日は、日没よりもだいぶ早く街に到着してしまったので、時間がたくさんある。


「まあ、二日目の野宿は最悪だったけど……あれはあれで良い経験だったわ」


 虫は寄ってくるし、地べたに葉っぱと布を敷いて寝るのは痛いし、動物の鳴き声がして不気味だったし、もう二度としたくない。結局全然寝付けず、シリルと一緒に火の番をしながら、たくさん話をして過ごした。

 シリルは聞き上手の話し上手で、気づいたらセレーナは自身の境遇をすっかり打ち明けてしまっていた。

 一方、シリルは、自身のことを聞かれても、うまくはぐらかしてしまう。そのためセレーナは、彼のことについて、まだほとんど何も知ることができていない。


 シリルは特に、五年前から現在に至るまで――伯爵家からジーンがいなくなってしまってから婚約が決まるまでの話を、たくさん聞きたがった。

 最後まで話し終わると、シリルは「頑張ったな。もっと早くあんたを盗み出せてれば良かった」と言って、セレーナの頭を自身の胸にあずけさせ、ぽんぽんと優しく撫でてくれた。

 シリルの手は大きくてあたたかくて、その胸はなんだか懐かしいような香りがして、セレーナは無性に胸が苦しくなったのを覚えている。

 そして、セレーナは、シリルの胸を借りて、少しだけ泣いたのだった。


 泣いているうちにセレーナは眠くなってきて、シリルの腕の中で眠った。朝目覚めると、セレーナは相変わらずシリルの腕に抱かれたまま、横になっていた。

 眼鏡をつけていないシリルの瞳は、やはり金色に輝いて見える。いくら目をこすってみても、そこには変わらず美しい金色が柔らかな笑みをたたえていた。優しい声色で「セラ」と呼ばれて、セレーナは僅かに目を見開く。


 シリルは、甘く幸せそうに微笑んでいる。

 セレーナは、目の前の男が自分をさらった人間だと忘れて、本当は、約束通りに・・・・・自身を迎えに来た、救世主ヒーローなのではないかと信じてしまいたくなった。


 シリルは横になったまま、セレーナの顔に柔らかく落ちるストロベリーブロンドの髪を、耳にかけた。甘く熱を帯びた、起き抜けの美男子の色っぽい微笑みが、目の前にある。

 急激に心臓が早鐘を打ち始めたセレーナの顎に、シリルの指がかかる。彼はセレーナの顔を引き寄せるように、優しく力を込めた。

 あと数センチで触れてしまうのに、セレーナの心も身体も、彼の優しい力に抗えなかった。熱を宿した彼の瞳から、どうしても目が離せない。


 ――そんな時。

 空から突然、白い鳩が急降下してきた。


 セレーナは驚いて起き上がり、シリルと距離をあける。真っ白な鳩はセレーナの周りをぐるりと飛んで、シリルのおでこをくちばしで突き刺した。

 シリルは悪態をつきながら、鳩の足についていた手紙を取り外す。その間、真っ白な鳩の赤い目は、セレーナをじっと見つめていた。

 手紙をシリルが外すと、鳩は再びセレーナの周りを一周し、嘴を指に優しく擦り付けてから、空へと舞い上がっていった。


 おそらくシリルの飼っている伝書鳩なのだろう。赤くなったおでこをさすっているシリルを見て、セレーナは笑う。シリルは、「じろじろ見んな、バーカ」と言って顔を背け、眼鏡をかけた。

 再び見たシリルの瞳はいつもの琥珀色で、セレーナは首を捻る。


 ダークブルーの髪に、金色の瞳……いなくなってしまった友達、ジーンと同じ色。

 いなくなってしまったジーンのところから手紙を届けてくれた、真っ白な伝書鳩。

 そして、幼い頃の愛称である「セラ」と呼んだシリル――。


 瞳の色の謎はよくわからないけれど、セレーナの頭の中には、その前から一つの仮説が浮かんでいた。そしてそれは、この朝に確信へと変わった。


 ただ――あの頃のジーンはただのやんちゃ少年で、こんなに色っぽい男性ではなかった。それだけはまったくの想定外だ。

 どきどきと高鳴るセレーナの胸は、しばらく落ち着くことはなかった。


「あの夜にたくさん話をして、それから朝のことがあって……それで、シリルの正体はジーンじゃないかって思ったのよね。でも、どうやって確かめようか、どう切り出そうかって悩んでた」


 セレーナは、自分の中で生まれた疑惑を、その日の宿で確かめるつもりだったのだ。しかし、結局聞けずじまいで、ここまで来てしまった。

 もうこうなれば、向こうから明かしてくれるまで、しらばっくれよう。セレーナはもはや意地になっていた。

 なんせ、聞きそびれた理由を思い返すたびに、セレーナは無性に腹が立っていたのだ。


「まさか、その日の夜に、女の香水の匂いをべったりつけて戻って来るなんてね……結局聞けなくなっちゃったわ。わたしの純情を返しなさいっての」


 だからこれは、いたずらに乙女の心を弄んだシリルへの意趣返しなのである。

 依頼主も目的も明かそうとしないシリルと、どちらが先に折れるのか、セレーナの中での密かな勝負なのだ。



 ざわざわという喧騒が聞こえてきて、セレーナの意識は現実へと引き戻された。窓へ近寄り、カーテンをつまんで外を覗く。


「……それにしても、この街はやたら人が多いわね。なんだか、さっきより外が賑やかになってきたし」


 外からはずっと、わあわあ、とさざ波のように人の声が聞こえている。この部屋からは見えないが、なにか催し物でもあるのだろうか。

 セレーナは気になって、宿屋の一階に降りていき、店番をしていた女性に聞いてみることにした。

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