第2話 セレーナの過去
宿に着いたセレーナは、久々にあたたかな布団に包まれ、あっという間に眠りに落ちていった。
夢か
◇◆◇
セレーナは、アボット伯爵家の一人娘として生を受けた。
両親に愛され、領民に愛され、セレーナは何不自由なく暮らしていた――十年前に、母親が流行り病で亡くなるまでは。
アボット伯爵とセレーナ、屋敷の使用人、そして領民たちが悲しみに暮れた葬儀の日から、三年後。
セレーナの父は、新しい妻を迎えた。
セレーナの継母となったアマラには、二人の連れ子がいた。セレーナの一歳下の女児、ドリス。そして三歳下の男児、ライリーだ。
アマラもドリスもライリーも、つやつやとした黒髪と紫色の瞳をもつ、気の強そうな顔立ちをしていた。
アマラは由緒正しい侯爵家出身だったのだが、最初の嫁ぎ先でもやはり流行り病が猛威を振るった。
アマラの夫だった当主が、病に冒され亡くなってしまった――彼女たちの転落はそこから始まる。
十歳のドリスは婿を取るには早く、八歳のライリーが当主としての責務を負うにも未熟すぎる。
かと言って、当主一家と血のつながりを持たないアマラが再婚相手を迎えたとしても、領主にはなれない。
結局、爵位を継ぐのは、当主の弟ということになった。そうして、アマラは同じく流行病で妻を亡くしたアボット伯爵を紹介され、伯爵家へ嫁いできたのである。
アボット伯爵とアマラの間に、愛情は生まれなかった。
しかし、侯爵家出身のアマラはプライドが高い。彼女は、爵位が下である伯爵家を、自らのルールに則って取り仕切ろうとした。
伯爵はそれを、アマラが早くアボット伯爵家の女主人になろうと努力しているのだと捉えた。少々金遣いが荒くとも、使用人への態度が厳しかろうとも、目をつぶることにしたのだ。
それが、まずかった。
アマラは早々に屋敷内に不和を生んだ。古くからの使用人はやめていき、アマラの言うことを従順に聞く者だけが屋敷に残っていく。
アボット伯爵は、優しい男だ。逆に言うと、彼は、離縁をほのめかしたり、厳しく根気強く言い聞かせたりするような気概を持たない日和見主義者――それがセレーナの、父に対する評価だった。
アボット伯爵に止められないのであれば、もはや誰もアマラを止めることはできない。
アマラは生家であるゴーント侯爵家にいた頃のように、ドレスやアクセサリ-を購入し着飾り、二人の実子にも同じようにたくさんの物を与え、金のかかるパーティーも頻繁に主催した。
そうしているうちに伯爵家の資金が尽きてしまったのは、当然の結果だったといえる。
そんな中、セレーナはというと――当然、継母であるアマラに疎まれていた。
セレーナは、「おまえには良すぎる部屋だからドリスに譲れ」と言われ、自室を追い出された。セレーナにあてがわれたのは、客室どころか物置小屋になっていた離れの部屋だ。
あちこちから隙間風が入ってきたし、扉の立て付けも悪くなっていたが、直してくれる気配もない。体が成長しても新しいドレスは買い与えてもらえず、部屋で待っていても食事は一向に届けられなかった。
使用人がいる時間帯はセレーナが厨房に入ると怒られるので、皆が寝静まった後に、残り物を探して食べることも。
ベッドはやめていった使用人が使っていた固いベッドで、古びて薄っぺらくなった布団をかけて眠る。
衣服は、ドリスが着なくなり捨てられたものを拾ってきて、小さくなっても破れそうになっても、大切に繕いながらしのいだ。
それでもセレーナは、物置小屋での暮らしをちゃんと受け入れていた。不便ではあるが、母屋で不機嫌な継母や義弟妹の顔を見ながら過ごすより、精神的にずっと快適だったからだ。
セレーナの日々の楽しみは、物置小屋のある庭の一角で、食べられる野菜を育て、遊びに来る動物たちや移り変わる季節を愛でること。
そして、『セレーナが金払いの良い家に嫁げるように』と時折届けられる教材や、母屋から持ってきた本を読むことだった。
父親に相談できていたら少しは変わったのかもしれないが、妻に――正確にはゴーント侯爵家に――全く頭が上がらない姿を見て、セレーナの父への信頼はすっかり消えてなくなっていた。
実際、伯爵はセレーナの待遇を知っていても見て見ぬふりをしていたのだから、娘に愛想をつかされてしまっても仕方なかっただろう。
セレーナの味方をしてくれたのは、たったの二人。
メイドの少女ダブと、
二人ともセレーナと年齢が近く、主従というよりは友達のような関係だった。
ダブは肩までの白い髪と赤い瞳をもつ、色白な少女だった。
彼女は植物や動物に詳しく、セレーナのために、近くの森で保存のきく木の実や果実をよく取ってきてくれた。庭に植わっている野菜の種を持ってきてくれたのも彼女だ。
セレーナはよく、他の使用人を警戒しながら、ダブと一緒に井戸まで行った。飲み水を用意したり、洗濯物を洗って干したり、畑の世話をしたり、お風呂の用意をしたり。
大変な日々の暮らしも、友達と一緒なら、それなりに楽しめた。
ダブはとても不器用で、繕い物などはてんで駄目だったが、色々なことによく気がつく優しい少女だった。
歌うことが好きで、動物――特に鳥たちに好かれやすい体質だったらしく、ダブと一緒に小鳥がさえずり遊んでいるところを、よく見かけた。
ジーンは、青い短髪と金色の瞳の、やんちゃな少年だった。
彼はどこからか工具を拝借してきて、立て付けの悪かった扉を直してくれた。隙間風も、彼の修繕でかなり緩和したものだ。
手先の器用な彼は、不器用なダブに代わって、セレーナの髪を結うこともあった。セレーナは、ジーンに髪を結ってもらいながら話をする時間が、好きだった。
また、セレーナのために書庫に忍び込んで娯楽本を持ってきたり、屋敷の状況を調べて逐一教えてくれたのもジーンだった。
彼が一番得意だったのは、厨房で食べ物をくすねること。固くなっていないちゃんとしたパンや、残り物ではない新鮮な食料を時々口にすることができたのは、彼のおかげである。
ダブとは真逆で、口は悪いがよく喋る少年だった。
しかし、結局その二人も、最終的には姿を消してしまった。
最初にいなくなったのはジーン。
彼がセレーナの目の前で、人買いの商人に連れて行かれてしまったのは、五年ほど前のことだ。
ジーンは「きっとまた会える」と言っていたが、セレーナが彼と再び会うことはなかった。ただ、彼はどこからか伝書鳩を飛ばしてくれて、時々短い手紙のやりとりをするようになった。
しかし、その手紙も頻度が減っていき、最終的に止まってしまったのだった。
もう一人の友人、ダブがいなくなったのは、つい最近――セレーナの縁談が決まった頃のことだ。
それまでも、彼女は時々姿を消しては、大怪我をして帰ってくることもあり、セレーナは心配していた。だが、ダブは行き先も、怪我の理由も、何ひとつ話してくれなかった。
そしてついに、ひと月前。彼女は、誰にも気づかれることなく、ひっそりと姿をくらました。
ダブの歌と鳥のさえずりが聞こえない日々は、セレーナの心を静かに蝕んだ。
だから、伯爵家には、セレーナの未練となるものはもう何も残されていなかった。
継母アマラの決めた縁談に、粛々と従うだけ……そうしてセレーナは、伯爵家から
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