盗まれたのは、望まぬ結婚を強いられた花嫁でした〜怪盗の溺愛からはもう逃げられない〜

矢口愛留

プロローグ



 ゴーン、ゴーン、ゴーン……


 低く重たく、鈍色の空に響き渡る、教会の鐘の音。

 伝統を重んじた荘厳な礼拝堂で、一組の男女の結婚式がとり行われていた。


 樫の大扉が開き、輝かんばかりの真っ白なウェディングドレスを纏った花嫁が、父親の肘に指を添え、ゆっくりとヴァージンロードを歩み始める。

 ヴェールに隠されたそのかんばせがうつむきがちなのは、寂しさゆえか、不安ゆえか……その心のうちは、誰も知ることはない――否、知ろうともしない。


 ヴァージンロードの中程で、花嫁と父親は歩みを止める。この先、花嫁は道の終点に立つ新郎のもとまで、一人で歩みを進めるのだ。

 花嫁は、父親の肘から指を離し、一呼吸置く。


 そして。

 祭壇の前で待つ新郎の元へ向かって、花嫁が数歩踏み出した、そのとき――。


 ガシャアアン!


 大きな音を立てて、ステンドグラスが割れる。

 それと同時に、式場の照明が全て落ち――それどころか、昼間のはずなのに、あたりが一瞬で暗闇に包まれた。

 幸い分厚いガラス片が降り注いだ場所には人がいなかったものの、突然視界を奪われてしまった会場は、阿鼻叫喚のパニックになっている。


 ようやく辺りに日の光が戻ってきたとき――、不自然に輝くヴァージンロードの中央へと、視線が集まる。


 入り口から奥まで続いていた、人生を表す一枚の絨毯の中ほど。

 そこにいたはずの花嫁の姿はなく、代わりに、金属で出来たカードが刺さっていた。


「こ、これは……?」


 父親は慌ててその場に駆け寄り、キラキラと眩しく輝いているカードを、床から引き抜く。


”花嫁はいただいた。怪盗シリル”


「そ、そんな……まさか……」


 カードには、ここ最近、世間を賑わせている怪盗の名が記されていた。


「怪盗シリル……!」

「怪盗シリルだ! 怪盗シリルが現れたぞ!」

「怪盗シリルですって!?」


 教会内に、ざわめきが満ちていく。先ほどまでとは違った混乱と狂熱が、礼拝堂の空気を呑み込んでいった。


 ――怪盗シリル。

 神出鬼没で、怪しく不可思議な術を使う。その正体も、容姿も、年齢も、性別も、何もかも不明。

 狙うのはあくどい商人や貴族、権力者ばかりという義賊だ。


「なんてことだ……」


 父親は、がっくりと膝をつく。


「花嫁が……娘が、怪盗シリルに、盗まれた……!」


 大穴のあいたステンドグラスから、雲を割り、まぶしい陽光が差し込んでくる。

 人の持ち得ぬ白い翼を広げ、腕に花嫁を抱きかかえたまま、怪盗は、低く垂れ込める暗雲の向こう側――真っ青な大空へと、飛び去っていった。



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