【肆ノ参】

「みて、ベルベッチカ。僕らの家だよ」

「白にしてくれたんだ」


 少女の顔がぱあっと明るくなる。

 この村に来てふた月が経った。大好きな、愛しいアレクが誇らしげに新築の家を見せる。木で出来ているのは、ほかの家と同じ。でも、真っ白なペンキで塗ってある。せっかく新調したばかりの色鮮やかなダウンの胸元に、白いペンキが付いてしまっている。逃亡生活の中で奪ったSUVがいつもペンキの臭いがしていたのも、この為なんだろうとベルベッチカは思った。


「白、好きだろ? ぜーんぶ、塗ってみた!」

「ぷっ……あはははは……」

「え、ダメ? 変かなあ」

「ははははは、あはは……ううん、ちがうちがう。背の高いきみが、一生懸命しゃがんで、小さくなって下まで塗ってたのかと思うとね……あっははは」


 七百歳の吸血鬼はお腹を抱えて笑った。久しぶりだった、こんなに大きな声で笑ったのは。久しぶりだった、こんなにきれいな家に住むのは。あんまり笑うから。……笑うから。

 気持ちが悪くなった。急に、吐き気に襲われた。その場でうずくまって、吐きもどした。でも最近は何も食べて──血を吸って──いないから、胃液がでるだけ。

 苦しそうにえずく彼女に、愛しい彼が背中をさすりながら心配そうに覗き込んでくれる。


「ベルベッチカ! 大丈夫?」

「うん……大丈夫……たぶん」


 彼女には、思い当たるコトがあった。


 ……


 令和六年九月五日、木曜日。日本、岩手県、大祇村。


「相原ちゃんさ、ちょっと時間くれない?」


 女子唯一のメガネ少女でロングヘアに白のカチューシャ、みかが放課後声を掛けてきた。


「なに? みか」

「見てほしいものがあるんだよね」


 今日は九月なのに朝から猛烈に暑い。そしてみかの家は下町だから、行ったらそれだけで十五分、帰るのにも三十分は歩く。……なるべく、避けたい。恐る恐る聞いてみた。


「ううん、神社まで」


 神社なら近い。良かった。そう安心して彼女を見ると、何やら顔色が悪い。いつものおとぼけ天然の、忘れ物クイーンじゃない。


「みか?」

「あ、うん、大丈夫」

「おー、ゆう、帰るべ」


 翔が相変わらずのテンションで話しかけてきた。


「悪い、先に帰ってて」

「はー? なんでよ」

「ちょっと、今日はダメなんだ。……ごめん」

「ちぇっ、なんだよそれ。つまんね」


 翔は唇をとがらせて、帰っていった。


「ありがとう」


 みかは下を向いて少し、はにかんだ。


「内緒にしてくれて」

「……なんとなく、言って欲しくなさそうだったから」

「……うん、みんなには内緒にして欲しくて」

「いいよ。……じゃあ、いこっか」


 ……


 みーんみんみんみん、セミが大合唱。今日は本当に暑い。東北でも山間の盆地に位置するこの村は、暑くなるときは容赦しない。田んぼに面する道路では、ミミズが干からびていた。大人より背の低い子供には、アスファルトが鉄板みたいで、より一層暑かった。

 ゆうはこんな日にももちろん、キャップは欠かせない。目深に被って、決して人には髪を見せない。


「あぶないよ、クルマ来るよ」

「いいのいいの。真ん中歩きたくて」


 あれ以来、田んぼが怖い。


『それと、水を恐れる。水に近づきたがらない』


 おじいちゃんの言う通りだ。ここ数日は、手も顔も洗ってない。


 ……


 坂を登りきって、神社の下り階段が遠くに見えてきた頃。


「相原ちゃん」


 みかが下を向いたまま、つぶやくように口を開いた。


「大祇祭。どうだった?」


 ぎくり。ゆうは心臓を針でちくりと刺されたようだった。


「どうって……どういう意味……?」

「……本殿着いたら、話すね」


 長い階段を下りて、境内に着いた。川の音が聞こえる以外とても静かで、洞窟が近くにあるからか少しだけひんやりしている。仮の本殿も何事もなかったかのように洞窟の入り口に立っている。相変わらず嫌な雰囲気だと思って見ていると、みかが覗き込んで、何か見せてきた。


「相原ちゃん。これ」


 小さなジップロックに、黒い何かの毛みたいなのが束になって入っている。


「……これって。まさか……」


 こくり、とメガネの少女は頷いた。


「こっちが、私たちがお屋敷で最初に遭ったおおかみ。で、これが、祭りの日に現れたおおかみのもの。比べてみて」


 そう言って、もうひとつ、ジップロックを出した。……同じに、見える。


「だよね?」


 ここでゆうはハッとする。

 あの日、神社にいたヒトはみな噛まれおおかみになったか、食い殺されてしまっている。祭りのことを覚えているヒトは、ゆうとお父さんとお母さん、沙羅とおじいちゃんだけのはずだ。


「私、お祭りが始まるほんとすぐ前に、おなか痛くなっちゃってトイレに行ってたの。そしたら、本殿はもう閉まってるし、変なヒトたちがいっぱいいるしで入れなくて。仕方ないから外で待ってたら……」

「おおかみが本殿からあふれた……」

「うん。だから私、またトイレに駆け込んで、必死にドアを押さえたんだよ」


 みかは真っ青だ……あの日のことを思い出しているようだ。


「ばきばき、くちゃくちゃ。おおかみがヒトを食べる音がずっと、ずうっとして、怖くて怖くて。何時間かして、ドアを開けると、おおかみは居なくなっていたの。でも……」


 涙を浮かべて、ゆうの目を見た。


「パパもママも居なくて……たくさんの血があちこちに飛び散ってて。それでこの毛を、見つけたの」


 ゆうはお父さんとお母さんのことを、おそるおそる泣きそうな少女に聞いた。


「それが……怖くなって家に帰ると普通に居たんだ、おかえりって。……おかしいよね、一緒に行ってたんだよ、でも祭りのことを何も覚えてなくて……私、忘れ物クイーンだから、忘れっぽいよ? でも、こんなの変だよ、私でも覚えてるのに……それとも私が、変になっちゃったのかな……」


 そう言うと、ゆうの前で泣き始めた。


「言ってくれてありがとう。みかは……ヒトなんだね。この村で数少ない……」


 こくり、とみかはうなずいた。いつもの天然おとぼけキャラからは想像もつかない、この村の呪いを恐れるふつうの女の子、だった。ゆうはみかの肩を抱いてあげた。とても柔らかだった。


『きみ。愛しいきみ』


 ベルが唐突に告げる。


『気をつけて……奴の……オリジンの気配がする』

「えっ?」

『近い』


 ……


 気付くと、夕方遅い時間になっていた。一人で境内の仮本殿前で倒れている。ずきん、おなかが痛い。……みかがいない。


「みか? みかっ?」


 手にはおおかみの毛が入ったふたつのジップロック。それだけを残して、みかは消えた。

 ベルにも頭の中で呼びかけるが、彼女の気配もしない。


 夕焼けの田んぼ道を走った。下町のみかの家まで。なぜか今、新月の力が落ちていると感じる。いつものどんくさいゆうのスピードしかでないからだ。


(始祖が来て、ベルが戦って……負けたんだ。それでみかを連れていかれた。くそっ……くそっ! 僕はなんて……なんて無力なんだっ!)


 全力で走った。泣きそうになりながら走った。二十分ほど走って、みかの家に着いた。辺りは日が落ちてもう暗い。

 みかの家はお父さんが電気屋だ。木造の古い家屋に、白い看板。でも、シャッターが降りてる。


「あっ 電気に困ったら 岩崎電気」


 シャッターに古臭いキャッチコピーが書いてある。その脇の家に続く門を入って、玄関の呼び鈴を鳴らした。きーんこーん。

 はい、と木の古いドアを開けてみかが出てきた。


「みか……? さっきの神社の事だけど……」

「神社ぁ? なんのこと? 私なんだかすんごくさ」


 みかはそう言うとあくびをした。あの時の、美玲のように。

 ……ゆうは笑顔を作って、そして告げた。


「ううん。なんでもない。おやすみ、みか」


 ……


『すまない、愛しいきみ。きみを守るので、精一杯だった』


 帰り道。ゆうは帽子の下で泣きながら走った。

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