【参ノ弐】

「ゆーくん。どったの?」


 美玲が眠たそうに玄関のドアを開けている。ピンクのクマのパジャマに短めのウルフカット、くりくりした目。いつもの、美玲だ。

 あの時の光景が浮かぶ。茜だったおおかみに喉を食い破られる、美玲が。


「……首、大丈夫なの?」

「くびぃ? ……首って?」


 右手でさする彼女の首元には、傷跡どころか蚊に刺された跡すらない。ゆうは、ほっとしたのと強烈な違和感とがぐちゃぐちゃに混ざって、よくわからない。


「なんとも、ないの?」

「なんともないって、なによう」


 美玲は眠たそうに目をこすった。


「ふああ。……なんにもないなら閉めるよ?」

「チェーンソー・ヤイバ」

「は?」


 なんでもいいから、試したくなった。


「チェーンソー・ヤイバって、知ってる?」

「バカにしないでよ! 知ってるも何も超推しの神作品だよ、知ってるに決まってるでしょ! ……あ!」


 あー、はいはい。そういうと、手をぱちんと叩いて納得した。


「ゆーくんも、ようやく読んでくれる気になったんだね! なつやすみだもんね、まとめ読みしたいもんね!」

「え、あ、ちが」

「待ってて!」


 がちゃんとお洒落な黒いドアが閉まった。一、二分位してドアが開いた。そして満面の笑みで紙袋を差し出した。十五冊くらい入っている。


「あい! 第一部、全十六巻!」

「あ、ああ……」

「ほんとはねえ、第三部から読むとぐっとくるんだけどねえ、初心者はやっぱ第一部から読むべきだと、ボクは思うんだよねえ!」

「……ありがとう」


 美玲だ、いつもの美玲だ。ゆうは十六冊の少年マンガの入った紙袋を受け取った。


「推しが決まったら教えてね!」


 そう言って、ドアは閉まった。

 なんだか……ものすごくホッとした。


「てか、重っ」


 これを持って沙羅の家に行くと思うと、気が滅入った。……けれど、その心配は、無用だった。


 ゆうの家と同じような茶色い壁に引き戸、朱色の瓦屋根。この村のほとんどの家と同じ見た目の、山に溶け込んだ、沙羅の家。ぴんぽーん。……返事はない。

 ぴんぽーん、もう一度鳴らす。けれどこの時は、沙羅が出てくることはなかった。


 一旦家に帰って、マンガを玄関に置くなりすぐに家を出た。


「あ、ちょっと」


 お母さんの呼びかけには答えずに。


 ……


 ゆうは、大祇神社を目指した。翔を誘おうかと思ったけど、やめた。今日もカンカン照りで、昼前でもとても暑い。キャップの下に汗をかきながら、山を下って村をつらぬく道路にでた。

 そういえば、あれから角田屋に行ってない。おばあちゃんがおおかみになった、あの店。

 ……そしてその、角田屋の前まで来た。お店は、普通に開いている。


「いらっしゃい」


 角田のおばあちゃんは、いつもの優しい声で出迎えた。

 声をかけると、開いてるんだか開いてないんだかわからない目で、ゆうを見た。


「体、なんともないの?」

「なーにをいっとるんじゃが。元気いっぺえだよ」


 ……なにも、変わらないように見える。……本当なのだろうか。だって目の前であんなに体をひしゃげて変わったのに。でも、店の様子も、おばあちゃんも、なにかが変わっているようには見えなかった。

 このまま出ていくのも申し訳ないので、アイスを一本買った。いつもの、ソーダ味。お礼を一つ言ってぺりぺりとフィルムをはがしていると。


「うーまかったべなあ、あの肉はよぉ」


 ぞくり、おばあちゃんを振り返る。おばあちゃんはにこにこして、舌なめずりをした。


「うーまかったべなぁ。ゆうくんは、食っだかい」


 急に恐ろしくなって後ずさった。そのまま逃げるように店を後にした。なにも、言えなかった。

 ……数歩走って、止まった。視線を背中に感じる。舌なめずりするような、あの視線を。

 振り返る。座布団に居たはずのおばあちゃんが立っている。


「うーまかったべなぁ」


 開いてるんだか開いてないんだかわからない目で。


 ゆうを見ていた。

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