【弐ノ陸】

『こっちだよ』


 ベルの声にゆうは本殿に向かって振り返る。血のように赤い扉が、いつの間にか開いている。

 ゆうは声に従って本殿に入ったが、同時に何かとてもいやな臭いがした。


(なんだこれ。くっさ……)


 ただ、分かったこともある。それは、本殿だと思っていた大きな建物はがらんどうで、お香をたく台以外何も無いということだ。すぐに洞窟に下りる階段への扉が開いている。

 がちゃん。ゆうが入ってすぐ外への扉は閉められた。

 洞窟の中は、外からは分からないほどに広かった。幅が二十メートル、奥行が五十メートル、高さも十メートルはありそうだ。左右に村人と子供たちが、片側だけでも七十人は並んで、敷かれたゴザと座布団の上に座っている。その前には何も乗っていないお皿が一枚置かれた、あし付きのお膳が置かれている。不思議なことに、おはしがない。背後には、鍾乳石が垂れ下がる洞窟の壁。壁にはガスランプが付いていて、洞窟内を明るく照らしている。

 一番奥は白い漆喰の壁で行き止まりだ。真っ赤な柱とたらされた緑の布、金色の神具が所せましと置かれた祭壇があって、祭壇の奥にはさらに扉がある。ゆうは、ここが本当の本殿なのだとわかった。

 がやがやと騒がしいので後ろをむくと、仮の本殿の脇の洞窟の内と外を隔てる赤の柵に、たくさんのあのなぞのヒトたちが群がっている。


「早く、早く食わせてくれ」


 みな、口々にそう言って柵にすがりついている。それはまるで昔見た映画のゾンビのようだった。

 ゆうはゆっくり、奥の祭壇に向かって歩きだす。左右に居るのは外と違って見知った顔ばかりだ。それもそうだ、座っているのは大祇小学校の子供たちとその親、村のみんなだけなのだから。列の中ほどに、翔が座っていた。何も知らないゆうは「翔、翔!」と友だちの名を呼んだが、ぼうっとしてうつろな目で座っているだけで、呼びかけには肩をゆすっても反応しなかった。翔以外にも茜や航をはじめ学校を休んでいたみんながいる。けれどみな、翔のようにぼんやりするだけだった。

 列の奥に目をくばると、いちばん奥の座布団が空いている。


『ゆうちゃんにはなるべく美味しそうなやつあげるからさ……だから。いちばん最初に並んでよ。おねがい』


 沙羅が空けてくれたのだろうか。ゆうはそこに座った。左となりに、オタク少女の美玲がいる。


「あ、ゆーくん! もうケガ、大丈夫なん?」

「……うん、大丈夫」

「そか! 良かったー……でも、なにの臭い。鼻がもげそう」


 確かにひどい臭いだけれど、信じられないことに、周りのみんなはうっとりとしている。……みんなの瞳が、赤く光っているように見えたのは、見まちがいなのだろうか。


「まあでも、ごちそうは、待ちきれないよね」


 美玲はそれでも、ほっぺたを赤くしてゆうに言った。


 しゃらん。しゃらん、しゃらん、しゃらん。

 しゃらんしゃらんしゃらんしゃらん。


 五分ほど待っただろうか。鈴の大きな音が響いた。


「かけまくもかしこき おおかみのみかみ。みそぎはらえたまいしときに なりませるはらへどのおおかみたち。もろもろのこらの そだついのちあらんをば。そだてたまい みちびきたまえと もうすことをきこしめせと。かしこみかしこみも もうす」


 沙羅のよく通る声が口上を述べる。洞窟の外にまでひびくような大きさだけど、心地よい、聞き入ってしまうほどのとても綺麗な声だった。

 がらっ。祭壇の奥の扉が開けられた。巫女装束姿の沙羅を先頭に、十人くらいのお姉さんが並んでいる。見たことのある、大祇中学校の生徒さんだ。みんな大皿を持っていて、片側に座っている一人一人のお膳の前で、を長いおはしで取り分け、乗せていく。


『きみ、愛しい、きみ』

「ベルっ?」


 また、ベルの声がした。


「どしたん?」


 美玲が聞いてくるが、ゆうは答えなかった。

 皿に乗せられた不思議な形をしている肉を見る。牛タン……のように見える。


『なるべく美味しそうなやつあげるからさ』


 あの日の沙羅の言葉が蘇る。

 五分ほどして全員の皿に肉は乗せられた。沙羅が、袴に差していた鈴を取り、しゃらんと鳴らす。


「もろもろのこら きこしめせ きこしめせ」


 しゃらんしゃらんしゃらんしゃらん。


「きこしめせ きこしめせ」


 しゃらーん。


 それまでたましいが抜けたように座っていた村の人たちは、最後の鈴の音を合図に目の前の肉にかじりついた。おはしも、手も使わずに、顔をつっこんで。一心不乱にむさぼりついているその様はまるで……おおかみだった。


「うえっ、ぺっ、ぺっ」


 となりの美玲が肉を口から出した。どうやら、おいしくないらしい。


「なにこれ、超まっず……って、ゆーくんっ?」


 ゆうは、目の前の肉を手に持って、耳に当てている。耳をこうして当てると、愛しい愛しい女の子の声が、聞こえるのだ。会いたかった、その子の声が。


『生きて。生きて』


「うん、わかった。生きるよ、ベル。僕は生きる」


 そう言って、ゆうはその肉をかんだ。甘い、何より甘かったあの、ベルベッチカ・リリヰの舌の味がした。

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