【壱ノ弐】

「たんけんいくひとー!」


 令和六年六月四日、火曜日。五年一組の教室、放課後。

 黒板消しがかりの美玲が黒板をごしごしと消している。教室にひとつしかない黒板消しはぼろぼろで、ぜんぜん消えない。何文字か消しては、窓に手を出して校舎のかべでぱんぱんとはたく。教室に、チョークのけむりと臭いが入ってくる。

 そんな放課後、翔が手をあげて大祇神社の森へのたんけん隊員を募集する。


「いくいくー!」


 クラスで一番遠い下町のはしっこから来てる、金髪の──もちろん地毛じゃない──蒼太がいちばん最初に名乗り出た。


「あたしも!」


 赤いリボンのツインテールの、小さいくせに気が勝っている、沙羅が次に手をあげる。


「おれも!」


 男子でいちばん背の低い、でもいちばん頭の冴える、わたるも行きたがった。


「ボク、パスー」


 なぜか一人称がボクのオタク少女、美玲が黒板消しをはたきながら叫ぶ。


「……ほかはー? おい、ゆう、来いよー」

「ああ、いくいく」


 ランドセルに教科書を入れるのに夢中になっていて、まったく聞いていなかったゆうも、あいまいに返事をした。いや、ちがう、考えごとをしていたのだった。


『とても……甘い……いい匂い。美味しそう』


 美味しそうって、なんだろう。お菓子の匂いでもするのだろうか。と、わきのあたりをくんくんしてみる……汗の匂いしかしない。


「ベルって呼んでいいよ」

「わっ!」


 すごくびっくりした。気を向けていなかったら、いつの間に目の前に逸瑠辺へるべさんが立っていた。マスクしててわからないけど……にい、と笑ってる……ように見えた。


「やっぱり、きみ。その匂い好き」

「に、匂い? ……するかなあ?」

「おーい、ゆう、女子集めろよー」


 ろうか側に集まる翔が、いちばん前の真ん中の席のゆうに声をかける。ゆうは、いいことを思いついた。


「ね、君も一緒に来ない? たんけん」

「たんけん?」

「うん、今日はいつもんとこ。……たんけん。楽しいよ?」

「あー、だめだめ」


 けれど翔がおもむろに歩み寄る。


「そいつ、だめ」

「は?」


 昨日はベルちゃんとか言ってでれでれしてたくせに、今日になって手の平を反してイライラした顔してる。なんで?


「とうちゃんに言われたぞ、あのお屋敷の子はだめだって」


『その子とはもう、遊ぶんじゃない』


 夕べの言葉がよみがえる。たしか、翔のお父さんは森で木を切ってるヒトだ。


(なんで翔も? ってか、あそこに住んでるの?)


 そこはゆうれい屋敷だの悲鳴が聞こえるだのと、こどもたちの間で有名なお屋敷だ。


「いや、そんなこと言っちゃだめだろ」

「と、とにかく、お前はだめだし。入れてやんねえし」


 翔はなぜか、かたくなだ。空のように澄んだ瞳のその女の子はゆうを見たまま、口を開いた。


「ねえ、ゆうくん……だっけ? 今日は、私のとこにおいでよ」


 予想外の言葉に、頭の中が止まる。またマスクの下で笑った。


「私のうちに、来て欲しいな」


 本当に綺麗な瞳をしている。こんな間然する所のない女の子に、誘われたことなんてないゆうは顔を赤くした……けど、見つめるその目をそらせない。


「ねえ、ゆうくん」

「だめだったら!」


 翔が間に割って入る。


「ゆうはおれらと行くの。お前はだめ」


 昨日と明らかに違って頭を振るばかりの態度にゆうは戸惑った。いつものバカみたいに明るい彼らしくなかった。


「別にいいよ。きみ、犬臭いし」

「おれ飼ってねえし!」

「ねえ、ゆうくん。いこ?」

「無視すんなし!」


 翔がいらだつ。それでも白い肌のその子は、構わずゆうの手を引いた。とても……冷たくて。なぜだか思わず手を振り払ってしまった。


「ぼ、僕、翔と行くから。また今度ね!」

「おっしゃあ、ゆう、いくぞー」


 いつの間に増えた、女子唯一のメガネで忘れ物クイーンのみかもあわせて六人で、教室を後にした。

 背中がちりちりして気が差した。ゆうの席の前で立っている逸瑠辺へるべさんが、ずっと、見ている気がして。

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