~先生~(『夢時代』より)
天川裕司
~先生~(『夢時代』より)
~先生~
「時間の奴隷」、「二〇一二年。現代は無益量産型の時代だ」、「在るべき姿とは、男尊女卑→男上女下だ。」、「結婚は形じゃないぜ。それで行ったら必ず苦労する事になる、特に、俗世の女とは」、「今の時代、結婚も糞もねぇよ。今の世の女は邪気にでも憑かれて居るんじゃないだろうか。縛って置く自信も無いし気も無い。面倒臭いだけだ。俺の結婚相手は無言で居るが、ずっと傍(そば)に居てくれる、裏切らない、白紙だ」、その様な事を呟き呟きしながらすっと入って来る涼風に体(からだ)と手を当て、すっすっと透き通る自己課題に目を添わせて行くに連れ、まだまだ春の訪れが遥か遠いものだと知る訳である。何を思い煩い、今ここで俺は突っ撥ねたくなるような春の陽気にその意識を駆り立てられるのか。分り兼ねる物事の荒ましがまるで船底から勇気が湧き上って来るようにして黒面を映す水面が上(のぼ)って来、又我の思想の情念を各々無駄に啄み始めて行くのだ。俺はきっと虚無に取り巻かれたのではなく、ずっと遠くに見えるあの幻想達に足元を掬われる様にして夢を捨てさせられたのだ、そんな妄想とも言えぬ綻びの矢の手が勇ましく我が元に闊歩して来て、この白紙に我が名を書き出すまいとしながらもつい又、あの尻切れ蜻蛉の体(てい)で終って居た思想文を書き連ねるのである。この文章全体が「我が名」と成る訳であり、春夏秋冬どの季節の訪れも又、〝文学眼(ぶんがくまなこ)〟に映った孤独の明かりを心に灯してくれる。ビニール袋に入ったその「我が名」を書き連ねた見果てぬ惨事が所々を眉間に皺寄せながら如何にも哲学チックに教鞭垂れようとして、何時(いつ)か見知った遍く傀儡達がその俊敏を謳歌し始める。敏腕とも成れぬ孤独の盲者が織り成す一端(いっぱし)の衒いにて、今更既に如何と言う事も無いのだが、又私は今此処で冬の寒気に包まれながら一つの〝春望〟を書き始めて行く。掴み処の無いその〝春望〟は瞬く間に彩り失せて、又硝子ケースの内にひっそり眠る思潮の幽玄にこの身を置き忘れ火照らせ、闊歩する思惑の荒波は終ぞ見果てぬ電子の鏡へと心を映して行く。言い尽せぬ心の余裕(ゆとり)とは開帳で見る様な座興の成果を程無く突き止め、又流れ出て来る思想のストリームを仄かに燃やして、私はこの零落と歩調を合わせて行くのだ。白日夢に見た蜃気楼の妖艶が成す処とは、この町で見る現実の闊歩・正義・威勢・調子・言葉・動静の契機よりも尚敏感で頼り無く、落魄(おちぶ)れた栄華を手に持つ都会の雑居ビル深くへ迄下りて行く罅割れた階段を思う時、一つ、クリアーにその戦慄を物語る瞬間を持つものであり、私は唯ひたすらにこの青空へ向かって言葉を発し、その思惑に依って両者を成敗して行くのだ。自然と共存する事がどれ程疎ましく頼り無く、珍しく、徒党を組むものか、私は生誕時に一瞬にして憶えさせられた様な気がして居る。川の流れは海の静けさよりも一層(いっそ)早く見えてその範囲は又小さなものであり、それよりも様々にその表情を変えて行く海の荒廃は「謳歌」とも似た共鳴を囀りながらきっと又、私の行く末を自然に按じてくれ得るものだ、私はそうした言葉の限りを以てこの心身に浸した信仰について、生前生まれ得た自己の開闢の敷地へ迄この身を投げて居るのだ。とてもじゃないが歯が立たない、結果見越して両親と自分との共存を構築したとしても又結果この現実に於いて多数の正義にやられて仕舞い、正しき解釈とした一個の肢体が、身動き取れなくなる迄徘徊し、自宅から最寄りのバス停へ迄行くのさえも疲れるのである。「結果」とはモノクロームなのか?街で見る「闊歩」とは衰弱の極みであるのか、一糸纏わぬ人の正義とは常に足元掬われ足る水呑百姓(みずのみびゃくしょう)の聖地へとその身を引き摺り廻して行き、身包み剥がされ、雪解けの新緑へと望みを託す裸体で在るのか?
終ぞ見果てぬ我が身は今この時を以て〝この世〟に始めから居た〝女〟という存在を欲しがりこれを自分の身内として、宇宙の果て迄へも一緒に飛んで行きたいと願った。事此処に至る迄に〝我が名〟は遂に彼女を欲しがって居た訳である。〝衰退の極み〟とは何時ぞや見知ったワン・マン主義のドイツの首相とも似て居り、白書に書き足る「闘争文化」は清廉潔白成るこの身を唯ひたすら謳歌させ得るものなのだ。最果てに誰が居るのだろう…。この世の最果てに、この意識の最果てに、宇宙の最果て、否々、そんな「果て」等在るもんか。…在るのかなぁ…。純情振りながら俺は階下で珈琲呑み干し又自分の二階の部屋へ上って来て、焦げ茶の昔から使い古し年季の入った机に一人端坐して、思う儘に物を書き続けて居た。ちちゅん、ちちゅん、と窓の向うで冬鳥の鳴き声がした。可笑しいな、こんなに朝早くからあんな鳴き声するなんて、とか思いながらも俺は最近、自然との調和を取り敢えず忘れ果てて居たようで、その自然の動向に付いて行けてなかった様だった。そう、以前からこの家の周りではあの小鳥の鳴き声がして居て、よくあの声で俺は早朝に叩き起こされたものだった、と連々(つらつら)思い返して行く内に薄暗い学校の校庭に据え付けられた囲いの内で一声挙げる鶏の事を思い出して居た。朝間詰めの仄暗い空気の内にひっそりと漂うその体の白を遠目にでもはっきりと浮彫にさせ、元気一杯に鳴いて居たあの鶏である。確か三羽、否四羽居た。誰かが後(あと)から持って来てその籠の中に入れたのだ。自分の家は昔自分が通って居た母校である小学校が間近に在る場所に位置している為、何時(いつ)でも又、当時の自分の小学生ながらの活気やエピソードといったものを総舐めにする位に目前に並べる事が出来、又その延長で、中学校に上がった頃の事や、果ては高校の頃のエピソード迄を追憶する事も出来る。その中学生時代に一人、俺を好きと言ってくれた女が居た。中学の頃はすっかり引っ込み思案で何時(いつ)も悶地悶地(もじもじ)して居て、勉強や決められた事には唯々ひたすら熱心に従って、日頃の生活の不満等一切喋らない、といった様な女生徒であって、俺はその頃、別の子に片想いして居たのであったが、その娘にその小学校の門の所で告白された時には流石に断わり切れずに理性が吹き飛び、今迄とは別の角度から覗いた様にその姿を可愛く見て居た。一緒に付き添いの女子が一人来て居たが、その娘は俺の旧くから付き合って居た友人の彼女であって、俺はその時不憫にも、その娘の方に気を取られて居り、恋の留置針とでも言った物を密かにその心の内へと置き遣って居た。黙々と真顔で可愛く、愛惜しく俺への告白をして居たその女は上川美春といい、付き添いのその娘は林田美伽といった。その日から俺と美春との付き合いは始まり、その頃は未(ま)だお互いに中学から高校へと上がる頃合いだった為、付き合いと言っても子供がする様な〝飯事〟に似て居て、何処へ行っても碌すっぽ会話も出来ぬ態(てい)に落ち着いて居た。俺は美春と会う時、何時(いつ)も内向的とでも言おうか主張を前面に出さず、静けさが辺りを取り巻くようにして、美春は良く寂しそうな表情をして居た。周りを取り囲むようにして当時中学生活で仲の好かった友人やらがのさばり、新しい「二人の門出」を祝う様に背中押し肩押しして、最初の内は何処へ行くのでも付いて来た。それでも俺は、そんな友人達が一緒に居る束の間は元気に振舞って居ても美春と又二人切りに成ると急に黙り込んでしまい、友人が来る前の雰囲気へと逆戻りさせて仕舞う。詰り、照れなのだ。思春期にも満て居なかったと思われるその頃の俺には、彼女を如何こうするという習慣も思惑も能力も無かった為、唯そこに二人して居る、という事に別段如何と言う遠慮も罪悪感も無く、彼女である美春の方もきっとその様に心得て居るのだろうと考え考えして居た。彼女の引っ込み思案な性格が彼をそうさせたのかも知れなかった。だから「寂しそうに遠くを見て居る彼女」を見ても時が経つと別に違和感も無く成り、段々より互いに何も言わなく成って、俺には唯、美春の良く着ていた空色のカーディガンだけがその淡い色を目前で光らせて、もっと近付いて触れたくさせられるような誘惑染みた破片に見られて来るのであり、本体である美春自身を暫くは見て居なかったのだ。これも照れが成す処であった。一度この男はデート時に、行く所が無いからと言って美春が何も言わなかったのを好い事にして、最寄りのK駅まで連れて行って、服屋の前のベンチに二人で暫く腰掛けるようにし、自分はひたすら隣に居る美春を無視した形で漫画を読んで居た事も在った。「バナナフィッシュ」という漫画で、その黄表紙は街中の雑踏の中でも憶する事無く好く映えて、きっと淡い空色の上着を着た美春にはその度合がはっきりと強かったものだろう、と後(あと)になって良く思い返される。この男、それにも当然気付かずに、唯黙々と静かに、ひっそり佇む彼女の横で自分の糧を探して居たのだ。漫画の主人公の出で立ち、その内実に当時この男はとても憧れて居り、どんな状況に陥っても丈夫に立ち振る舞えるイコンのような代物(もの)を探し出して身に付けたがって居た訳である。それだけせねばこの男、デート一つ出来なかった訳であり、実は彼女以上に引っ込み思案で、クラスの中では結構彼女よりも自分が骨太で、どんな場合にでも対処する事が出来、少なくとも周りの者から密かに注目されて人気もあって、思春期特有の個性に対する一群からのランク付けに於いても、自分は格上だ、と愛唱して居たのである。故に辛かった。いざ、身包み剥がされて放り出されれば、これ程に醜い体裁を醸す事と成るとは、…、彼女に対して何も言えず出来ず、自分の故郷はまるで彼女の胸の内には無く、別世界にでも在るのだと言う如くに何にも勇気が出ず、又、まるで学校で密かに虐められて居た事に依る弱気がふいと顔を覗かせたようでもあった。彼女はその〝蓋をしたい出来事〟に気付いて居ないと男は思って居た。しかし彼女は終ぞ何も言わない。か弱い空間がほんのり春の陽気に乗って流れて行くのを見送りながら遂に〝子供の時期〟の最期がやって来た。オレンジと葡萄味の酸っぱい酸味を仄かな甘い匂いを残して、振り返らせずに時は二人の背を押した訳である。二人は知らぬ間に別れて居た。彼女である美春は中学を卒業してから直ぐに私立へと移り、この男、俺はその儘その中学が在る敷地から間近の公立高校へと上がったのである。その期を境にして二人は会わなくなっていった。時間が合わず、心も外(ず)れて、距離が二人を隔てた。これが第一幕目の終りであり、何も動かなかった二人の時が沈んだのである。
第二幕目は二人が大学生に成ってから始まった。美春は、色んな環境により身を解(ほぐ)されたのか固く成って居た栓が緩む様にして中に詰って居た自我が絆され、周りの者に主張する形で前進する術を憶えた様だった。家具インテリアを扱う職種に就く為の資格を取るとかで、相応の短大へ行き、元彼である俺に再会したのはもうその短大を卒業する直前の頃だった。俺は大阪の四年制大学へ行き、経済学部に所属して居たが経済関連の勉強等まるでして居らず、専らゲームセンター通い、ギター、「思記」と題したノートへの日記付け、等に明け暮れて居た最中(さなか)であって、前途への展望も何も図らないで居る状態だった。俺は京都の実家から大学まで通って居た為、その道程で寒い冬の日等には特に人肌恋しく成る事が良く在り、密かな妄想に夢を見、遠に女の柔肌が欲しいと半ば中毒の様に成って居たので、その頃に美春と再会した俺は、譬え美春の身体が如何成って居ようと、どんな環境が二人を邪魔しようと、絶対に目的を掴み取ってやる、と躍起に成って駆けて行ったのだ。美春は女ながらに女友達に唆(そそのか)される様にして現代の流行と調和した様にその喋る言葉には流行語が好く飛び出し、俺は相変わらずの根明が講じた根暗の体裁をその臆病の為に何時(いつ)迄も採らされて居り、やや二人は対照的だったようだ。二人が再会したのは成人式の日だった。やんやと詰め込んだ嘗ての同級は皆、我先の様に自分のストーリーを語り始めて居り、その貞淑な体裁にさえ、論点の火の粉は降り掛かって居た。無言の主張が織り成す自己と現実との斡旋というものは時に、死太い論駁の体裁すら採る。そんな熱気がむんむんとした中で二人は二十歳という兆しを見せながら、多少の衒いを以て猫被りをし、出会った。
最初のデート迄の経過は早かった。その式場で俺は色んな友達と意気投合して二次会まで行き、世間話から王様ゲームなど迄、少々色気の漂うムードが皆を率先して行った。又式場で俺は、数々の女性の友人にも囲まれて、まるでその女性達は自分の寵児であるかの様に俺を可愛がったが、その内で恋心を抱いて居たのは美春唯一である。他は又、跡形も無く何処かへ消えて行き、街中で擦れ違う無数の女性の様に変貌したようだった。美春は、今自分がして居るインテリアの仕事に就いて、又、嘗て告白した時に連れ添って居た林田美伽をお供にして俺に話して来た。丁度式が終って座談会の様なムードが漂う中、俺は顔を真っ赤に硬直させた様にして必要以上の事は喋らず、悶々とした心境に身を浸しながら、唯何と無く喋り続けて居る美春の口元を見て居た。何度か聞き返したりして居ると、美春は白い名刺を俺に差し出して来て、又連絡して欲しい、とお願いして来て、式場を後(あと)にした。その成人式をもっと楽しみたかった俺は何時(いつ)も通りの自然が織り成す時間規制に縛られる形ですごすご立ち去る事を余儀無くされて、本当に好きだった鶴崎有美とは一言も口を利かない儘にて或る程度不発の二次会へ参加したあと帰宅した。遠くで茜色に照り輝いて居た夕日がまるで自分の煩悩を脈打たせる様に益々紅潮し始め、明日を見る覇気に気遣いながらも俺は又ゆっくりと、歩を進めて美春の胸元へ一度この身を託す事を決めて居た。
美春が俺に渡した名刺にはメールのアドレスが記されて居り、その事に俺は美春に電話で言われた後に気付いた。何か一寸した事が在って別に電話する迄も無い用事はそのアドレスに送って欲しい、と言うのである。当時、余りメール等の機能に疎かった俺は途中まで打つが断念して、結局また電話で話すか、そのまま何も言わずにやめるかの何方(どちら)かであって、専らアナログ型対応に邁進して居たのである。故に、電話でも携帯、自宅の電話、何方を使っても構わない心持で、主な二人の会話は専ら会った時に交されて居た。「付き合おう」と言ったのは俺からである。先に話された美春のインテリアの出来栄えを確認する為に、美春に言われる通りにして某主催場へと出掛けた。〝卒業制作に出す作品〟だというその美春のインテリアの出来栄えに、俺はちんぷんかんぷんで対応した儘、唯「ふむ、ふむ、」と腕組んで納得した様子を見せながら、段々出口の方へ歩を進めて行った。美春はそういった俺の内実に気付いたか否かは定かでないが、自然を装い、或る程度案内してから俺と一緒にスタジオを出た。その主催場は美春の通う短大が貸し切りで使用していた、芸術気取りを装ったアトリエ風に構築されていた節が在ったが、如何見ても流行を前衛に取り入れたデパートの家具売り場の様に見えてしまい、薄黄色の暖色がセピアを醸そうとしても一向にその奥義は見えて来ず、場末の一室は俺の背後を唯眺めて居るだけだった。俺は入場してから或る程度見廻った後、一刻も早くそこから出たいと焦燥に駆られたのは美春の黒い背中に桃色の暖色を被せ始めた時からだった。美春の、流行色に包まれた体の漆黒の様なものを一気に引き剥がした後、内に見える筈の桃色の肌を愛惜しく抱き寄せようとした思春の虜が又、心で首を擡げ始めたのである。
そのスタジオからの帰り道、段々暗く成り始めた春光の空下で、俺は美春に告白をした。
「あの頃は俺、ほんの子供やったから自分の気持ちの出し方とかムードの作り方とかよう分らへんかってん。だからこうして二人共、或る程度大人に成ってから出会って、又付き合えるような環境に在るという事は、これも一つの、何か、運命の様な気もする訳で、出来ればもう一度だけ、俺と付き合ってみて欲しい。付き合ってみてやっぱりあかんかったら上川の方から『やっぱり無理』とか言って俺を振ってくれたらいいから、肘鉄は慣れてる。まぁ『慣れてる』っていうのは心の中で、やけど。俺も上川ももうあの頃から随分時間も経って大人に成って、価値観とか、例えば恋愛の仕方とか、色々変わった処が在ると思う。そういう状態に居る二人が又付き合ったら、又違った展開が生れるような気がして、俺、そこに何か、上手く言えへんけど、賭けてみたいって言うか、…」
そんな事を言ったように記憶する。星が一つ、自分達のやや真上に輝くのが見えていた。もうすぐとっぷり日が暮れて、一寸先も見えなく成る頃、美春はOKした。何と無くその時の俺には、黒い恰好の好い洋服を着て居た美春なのに拘らず、成人式で着て居た赤がメインの白地の入った着物姿で自転車を押す美春が見えて居た。はち切れそうな着物は美春の顔を好く引き立て、段々中年に成り変わって行く女性のオーラを唯静かに沈黙に沈めた様(よう)だった。久し振りに会った美春は、中学生の頃に見た容姿に加えて更に肉が付いて肥えて居り、頬などは脂の照輝(てか)りが化粧を通り越して発散され、小母ちゃんを醸し出す強さが在った。両目はその肉付きが奏してか内窪(うちくぼ)んだ様に成って居り、これも又中学生の美春が持って居たくりっとした瞳は脂肪の内に紛れて仕舞って居てその効果を発揮させず、純情という言葉が似合わぬ程の出で立ちと成って居た。それでも俺はその美春に告白したのだ。酷く醜い打算が内心で煮えくり返った挙句の算段が為させた事であって、そのボランティア精神と引き換えに肥えた肉体を貰うとした、非道の成せる業に違い無かった。俺の一身は唯火照り続けて居た。素朴な優しさを見せながら俺は美春に近寄って行った。美春は唯純情に、一人で観るプラネタリウムに満開の桜が咲くのを願う様にして俺を疑わず、俺が行く所へは何処でも付いて来た。大阪の京橋から近い大きなビジネスホテルへも付いて来た。そこは恋人達が通う様な安ホテルではなく、歴とした格調高いホテルの様であって、初めて女をリードした俺にはその辺りの違いが分らなかったのだ。否、分らなかった、と言うよりは臆病が奏して、見るからに如何わしさが漂うような繁華街へ足を運ぶ事が出来ず、ほんの観光がてらついでに腰掛ける態(てい)で以て苗床を探して居た為に、そういうホテルへしか行けなかった訳である。一泊二万円、休憩だけでも一万一千円するそんなホテルに滞在する事はやめて、もう少し小さなホテルを二人で手分けするようにして探した。意外と早く見付ける事が出来、二人で入った。
美春は大抵俺と会う時には黒い服を着て居り、白が基調の服を着るのは夏の一瞬だけだった。自分達の部屋に入った二人は当然の様に緊張して、そわそわしながらも、俺が先にシャワーを浴び、次に彼女が浴びた。シャワールームから出て来た美春は文字通りの黒いセーターを着ながらにして、下半身はパンティ一枚だけを履いて居た。両太腿は剥き出しである。その好く肥えた太腿は初めて見たような抜ける様な白色で、予想以上の太さであり、男は歓喜した。もう彼女には心算(こころづもり)が出来て居た様子であり、「えっ…えっ…」ともじもじしながらでも、男が寝そべる大きなダブルベッドの方へすっと入って来た。美春はきっと本気だった。男も本気には違いなかったが男と女が持つ天性の才賦が成す隔壁の悪戯か、その二つは矢張り微妙に違って居た。男は彼女の身体(からだ)を、頬から首へ、首から胸へ、胸から腹へ、腹から下半身へ、爪先まで丹念に愛撫した後又、頬から…、と幾度かその行為を繰り返した後、緊張の余り美春の体を遠くへ置き遣って仕舞った。唯、でっぷりと布団の暗闇の内でも薄暗く光って此方を覗く太腿だけが、男の心の闇に光に似た希望を照らし続けて居た。
俺は治った筈だったが又包茎でも患って居たかの様に美春に対して何も出来ず、何時(いつ)も女の目前で見て来た自粛の風采を心中に打ち込まれた、まるで唯、時間が通り過ぎるのを見送る事しか出来ないで居たのである。仕方無く少々ほっとした様な美春は、「こうしてるだけで私は幸せ…」と言って男を自分の胸元へ引き寄せ、転寝でもする様にして、部屋が次第に暗く成るのを感じて居た。俺は自分の内の男に対して怒り、彼女に対して申し訳無く、目前に据えられた課題の様な物を難無く越えようとして見せるが、肝心のその傍観者が居らず、一日の内に沈むしか無かったのだ。否、実は俺もそれで幸せには違い無かったのではあるけれども…。
ホテルを出てから二人は色んな天気を見、洋服を着合わせ、気の衒い合いをして愉しんで、やがて自分達の巣へ還って行く生活を繰り返して居た。二人で初めて観た映画は『インディペンデンスデイ』であり、俺はこの映画を観ながら二人でポップコーンを食べつつも、所々では効果音にびっくりして尻が持ち上がり、美春の方は唯悠然と構えて居るようだった。二度目に観た『エビータ』は余り面白いとは思えず、うとうと寝て居た俺をちょいちょいと肩で突(つつ)いて起した美春であったが、矢張り『インディペンデンスデイ』の時と同様、唯悠然と構えて笑って居る。二度目の時の方が美春の背中から吹き出すオーラに何か、箔が付いた、というような一種の貫録さえも俺は感じて居たようで、やや憧れに似た感情をその時の俺は連続する時の内で、美春に対して持って居た様子がある。それは一瞥、母に対する愛情の様でもあった。映画を観た後は決って二人で何処かのレストランへ行き、昼食を食べるのである。外食するのに飽きた俺は、これも以前から憧れて居た、彼女の手作り弁当、という物が食べたくなり、その気持ちを俺は美春に打ち明け、美春は特製の〝美味しい愛妻弁当〟を拵えて二人で公園で食べた事もあった。快晴の日で人気(ひとけ)も盛んに在るその広い公園では一寸したパフォーマンスなんかもして居て、一寸したテーマパークの様にも成っていた。美春はその時、カレーライスを弁当箱に詰めて持って来てくれて居り、二人分用意した、と言って居た筈が箱が小さかったからか、量的には一人分程しか無いように俺には思われて、朝飯も抜いて居た俺はとにかく腹が減って居り、彼女よりも多く食べたい、と自己中心に振舞って居た。その思いにはもう一つ、「これ以上自分の彼女を太らせたくない」と言う体裁を気にした自分が居り、何とか彼女が一匙でも多く食べる前に平らげてやろう、と妙なボランティア精神を発揮して居たのだった。それでも、会話しながらでも、彼女のピンクの柄(え)の小さなフォークは弁当箱の上を良く飛び廻り、別に作って来て居た二、三のお握りやサンドイッチ、そしてカレーを、ぱくぱくと彼女に食べさせていた。その小憎らしいフォークの行方を追う事をもう何時しかやめた俺は、ふと別の彼女を欲しく思い始めて居た。自分の青春の謳歌を、灯を、この不可解な女の為に全て費やして仕舞うには余りにも惜しい気がし始め、自分の目前には必ずこの女が現れてくれた様に、又別の女が現れてくれる筈だ、と信じ始めた訳であり、後ろめたさは無かった。美春と付き合い始めて三カ月程した後の事であった。
美春に別れを告げたのは、あの〝愛妻弁当〟を二人で食べた公園であり、そこにはもう一つのエピソードも在る。二人で将来の事について話し合った事が在り、美春はその時「二人の老後の姿が見える」と言って居た。俺はその美春の空想にせっせと肉付けする様に具体を保たせ、二人の現実に於ける宝物にしようと試みて居た。美春はその事を喜び、二人顏を見合せて、それ以上無いくらい青空へ向けて笑い声を上げた。あんまり笑ったので、嬉しくて涙が出て来たと美春は言い、俺はその美春を抱いてその日の夜まで二人並んで座って居た。流星が不意に流れて、二人は別れようとし始めたのである。否、美春は実の所、男ともう少し一緒に居たかったのかも知れないが男にはそれが分らず、矢張り又、その時でも別人を気取って居た。二つのエピソードを奏でたその公園で俺は美春に向かって、「一緒に居る事が結構詰らない…」と切り出し、二人でこれ迄に撮った写真を小さな二人の手帳に一枚ずつ貼って居た美春は虚を突かれた様に俺の方を振り向き、目を見開いて次の俺の言動に配慮する様(よう)だった。その時彼女の片目が意外と大きい事に俺は気付いて居た。そして一通り俺が喋り終えた後、彼女は涙で濡れた両目を何度か擦りながら手帳を閉じ、又、真っ直ぐ前方を見て居た。俯きながらも視線を逸らさず彼女は仕方が無い、と言った様に俺に笑顔で別れる事を決めたようで、しゃりしゃりと鳴るウィンドブレーカーをぱんぱんと払った後、俺と美春は友達として別れ、二度に渡った波乱万丈劇は此処で幕を閉じる事と成った。二人は一度も性交する事が出来なかった。
それからずっと上川美春に会わなかった俺は彼女の夢を見た。俺は又美春と会って居た。夏風が心地よく吹いて来る、夕暮れの土手の上である。河川敷の様な広場がずっと俺から見て左前方に在ったが、どうも二人はそこへは降りて行かずに、買い物帰りの小母ちゃんが疎らに過ぎて行くその土手の上を二人の根城として居た様だった。俺の心には淋しさが半分、二人の展開への期待が半分在り、説明が付かない靄が掛っている。烏が茜色の空に向かって飛びながら何度か鳴いて居た。俺は美春に「二人で何か喜ばしい事を作ろう」と言って、自分のエンジンを掛けた。何か、美春もその時、一緒に何処までも走ってくれるような自分の分身の体を醸し出して居り、苦境から二人して発進するロマンス・カーにでもこれから一緒に乗れるような、そんな情景を醸して居た。俺のエンジンはスポーツカーに搭載された様なGTR仕様に似せたエンジンであり、その究極の外観と実力とを以て彼女を取り巻いて行った。美春は目を見張る様にして夕暮れの最中(さなか)、唯期待半分、嬉しそうに笑って居た。しかしそれ程の環境を織り成せても俺は又もや未だ欲求不満だった様で、様々な嘘を取り混ぜた言い訳を彼女にしながら彼女の相対(あいたい)に何らかの脈有りの反応の有無を確認し、「本当にあの時は二度に渡って悪い事をした…」とはっきり美春に伝えながらも俺はふとした時に急に明るく身が火照り出し、又彼女を食い物にしようと試み始めて居た。邪推の目をした小人がどうも先程から俺達の周りをうろちょろして居り、如何しようも無い恋の樞に身を投げ出す様にして俺は何れ又自分達の巣の内へ還って行くんだろう、と茂った心淵(しんえん)の内で、密かに考え出した。それでも肩を並べて一緒に居る二人はもう色の無い夕日に目を凝らしつつ色の強弱を追い求め、自分達の声が何処まで届くのか、と漆黒を見せ始めた空を眺めて居た。
その空から父親の呼ぶ声がする。〝もう夜だから起きなさい〟と言うのだ。どうも俺はその日一日中眠って居たらしく、父親は半ば呆れて居たらしい。眠りながら俺は彼女に相対(あいたい)して居たのか、と半ば哀しく成り始めたと同時に、もっと正直を曝け出して自分の本能を彼女に、美春に、見て貰い、納得して欲しい、その上で自分を愛して欲しい、と思う様に成った。彼女は俺と一緒に将来を眺めながら未(ま)だくすくすと笑って居り、何やら楽しそうだった。土手に差し込んで来る弱い夕日は二人の遥か前方へと続く道をも照らして居て、それを確認した後(あと)俺と美春は引き締まった笑顔を以て小さく「さよなら」と言った。景色が静かに飛んで行く循環の中で、二人がした三度目の「さよなら」だった。
しかし美春はその後も何度か要所で現れて居たようである。俺が以前通って居た大阪の京橋から幾つか駅を越えた所に、E教会が在り、そこの長男であり牧師でもある俺の三つ年上の男が俺の家に来て居た様子で、二階の俺の部屋へ続く階段の一段目辺りに居り、「あんまり、ああいう書き方はしなや」と俺に向かって言って来た。俺がこれ迄に書いた小説かエッセイを読んでくれて居た様子で、それ等を読んだ上での感想が含まれていた様子もあり、しかしその言葉は彼(か)の上川美春について記した内容一点に絞られて居た様だった。それを聞いた俺が「えっ?読んでくれたん?」とその長男に問い掛けると長男は「ああ読んだよ。○○(本のタイトル名)は全部読ませて貰ったけど、中身は未(ま)だ全部って訳には行かへんわ…」と言いながらも、後(あと)から後(あと)から文言を付け足して来る何時(いつ)もの癖をその時も踏襲して居た。この長男は一つの事について色々考え過ぎる所為か、はた又思考の回転が遅い為か、物を言うのが何時(いつ)も遅いのである。俺は自分の本が世に出た事と、その反響がどんな形にしても在った事を、その時無性に喜んで居た。
そのE教会には、この長男の下に妹が二人居て、その姉妹の妹の方との縁談が親を介して進んだ事が現実に於いて在り、その事を又思い出して、愈々俺も結婚するのかぁ、等と半ば呑気に捉えて居た俺はその妹の正体があの美春に成り変わるように思えて居た。否、俺は何方(どちら)共と結婚するんだ、と、結婚相手を個人としてではなく〝女〟として捉えて居た様子が在る。「結婚」について考え続けて居る内に何も考えられなく成ってしどろもどろして居た処へあの人がやって来て、その人の肩には鳩か烏が止まって居た事を記憶する。空想の内では、とにかく晴れた日で麦藁帽でも俺とその人の二人に似合いそうな、そんな夏の午後の情景が共に在り、綻んだ気分を引き締めてくれ得る俺の恩師とも恩人ともいった人である。その人は時おり梅雨時(つゆどき)の畦道にぴょこんと跳び出て来る蛙の様に顔を覗かせ、心の内に又消えて行く。俺がそんな妄想を携えてあの公園通りを歩いて居た時の事。前方から、出っ歯で肌は浅黒く、麦粒種(めばちこ)でも出来たのか片目に眼帯をした中年の男がのっそのっそと、しかし頑丈な体躯をひけらかして歩いて来る。殆ど黒に近い茶色したハーフコートとズボンに、誂えたのか、同色の帽子まで深く被って居た。まるで「あしたのジョー」の丹下段平の様だった。そのキャラクターが歩きながら分身し始め、一人は紳士の様な熱血の人に、もう一人は見るからに蓄音機の様にぼろぼろの様子で、口数だけが矢鱈に多く、相対せずともその気配を感じるだけで嫌気が差す程だったが不思議とそうさせない存在である。彼が俺に近付かず、自分同士で争って居たからかも知れない。その段平氏の心境に於いてこの両者は、軽く意見が対立していた様だった。段平氏は道端で自分にとって大事な通行人を捕まえては、道路上の泥濘や、雨水の溜まった滑らかな水桶からスポイトの様な物を使って水を吸い取り、そのスポイトで以て今度は水を一滴ずつ程ぴょんと飛ばして、その通行人の帽子の後頭部辺りにぴちょ、又別の大事な人に向かって背中にぴちょ、肩にぴちょ、と付け始めた。その内に気付いた通行人は「今何をした」と問うが段平氏は通行人の為にした事である為、と胸を張り、「今のは〝げねい〟と言う」と又丈夫な笑顔で相対し、その内ボクシングでも始まるのじゃないか、等と想わす不快な空気も無い訳では無かった。もしかするとそうした乱闘騒ぎは、所狭しと動き廻って聖水の様な〝水〟を飛ばして居た段平氏だった為に、俺の知らない処で起って居た可能性も在ったが、場面が茶を濁した為か、はっきりとは分らなかった。
俺は色々な場所へ旅廻りをしながらその光景を眺めて居たようだ。そうして居る内に自然に脚色されて他人の心というものが在るのか無いのかさえ全く分らなく成って、これ迄に観た場面とは、その不可解に嫌気が差して彼等から離れようとした矢先に見たものだった。何時(いつ)もこういう、心の所々に深い穴を開け、地盤沈下して自分が心の闇へと埋没する窮地に俺が立った時にあの人が現れるのだ。面白いものだ、と俺は笑った。俺は矢張り訳が分らず、虚空を未だずっと眺めて居る。あの森の中が、気持ち良かった。
~先生~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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