第23話 エモーショナルアーク

 感情には、正、中立、負と三つの状態があります。物語性の強い小説では、正の方向にせよ負の方向にせよ、読者の感情を揺さぶらなければなりません。

 しかし、正のエピソードばかりが続くと、読者の感情は摩滅し疲弊してしまいます。逆に負のエピソードばかりが続くと、読者は滅入り、同じく疲弊してしまいます。そのため、長編小説では多くの場合、正負を局所的に適時交互に提示してゆき、山場で大きく揺さぶるという手法を採ることになります。

 小説を読み始めた段階での読者の感情は中立の状態にあります。そこからどのように振っていくのが良いのか。読者は一般的にどのように感情を揺さぶられるのを好むのか。それはすでにエモーショナルアーク、感情曲線の研究で明らかになっています。

 読者が一般的に好む大局的エモーショナルアークは二種類です。初期の中立から正に振られ、中盤で負に落とされ、終盤で正に大きく持ち上げられる。もしくは、初期の中立から負に落とされ、終盤で正に大きく持ち上げられる。ある意味では常識的な結論ではありますが、要するに苦難の末のハッピーエンドが好まれるのです。

 すでに述べましたが、物語性の強い小説を好む読者が興味を持っているのは、物語内での事態の推移と、それに伴う登場人物の思考や言動です。ですから小説の冒頭では、まずは物語を駆動させなければなりません。ここで忘れてはいけないのは、物語を駆動させることと読者の感情を揺さぶることは別の事柄であるという点です。

 例えば、スプラッターと呼ばれるジャンルがあります。血と肉片が飛び散り、生首が転がるような残虐シーンを売りとする作品群です。それらの中には、冒頭からいきなり残虐シーンを描いているものがあります。そのような構成を好むのはマニアックな極めて少数の読者だけです。多くの読者は吐き気を催し、即座に本を閉じてしまうことでしょう。

 その種の構成の意図は理解できます。つまり、物語の駆動と感情の揺さぶりを冒頭から同時に行なおうとしているのです。しかし、読み始めの段階における読者の感情は中立です。そこからいきなり最大限に負に落とすことなど出来るはずがありません。

 これはスプラッターに限った話ではありません。逆に、ハッピー、ハッピー、みんなハッピー。そんな風に物語を始めたところで、読者の感情をいきなり最大限に正に持ち上げることなど出来る訳がありません。

 読者の感情を冒頭から大きく揺さぶることが可能になるのは、多くの読者が共通に抱いている感情を刺激した場合だけです。その種の感情に該当するのは例えば、現実の社会に遍在する不正や不義や理不尽に対する不満や怒りなどです。

 作者は読者を予定のエモーショナルアークに誘導しなければなりません。次の例を考えてみましょう。

 

 もうすぐ試合が始まる。僕たちが勝てる見込みは少ない。試合開始と同時に点を入れられ、引き離され始めた。苦しい。つらい。でも、こちらも点を入れた。また入れた。何とか追い付いた。でも、これでは最初に戻っただけ。こちらが追加点を挙げた。逆転した。このまま逃げ切れるだろうか。長く厳しい時間が過ぎ去り、ようやく試合が終わった。勝った。僕たちは勝った。

 

 この例の内容は次の通りです。圧倒的に不利との予想の中、逆転勝利を収めた。本来であれば、主人公たちも読者も歓喜しているはずの場面です。しかし、否定的な描写が続くばかりの文章を読んで、果たして読者は歓喜するでしょうか。

 つまり、内容と表現が乖離しているのです。正にせよ負にせよ、読者の感情を揺さぶるためには、内容と表現が一致していなければなりません。前記の例を書き直してみましょう。

 

 もうすぐ試合が始まる。僕たちが勝てる見込みは少ない。試合開始と同時に点を入れられ、引き離され始めた。苦しい。つらい。でも、こちらも点を入れた。また入れた。何とか追い付いた。チームメイトの声が弾み始めた。こちらが追加点を挙げた。逆転した。スタジアムが歓声で満たされた。長く厳しい時間が過ぎ去り、ついに試合が終わった。勝った。僕たちは勝った。

 

 前半には否定的な表現、後半には肯定的な表現。文章が短いので歓喜とまで行かないとは思いますが、雰囲気が変わったことは分かると思います。

 ちなみに、一つ目の例で文章に埋め込まれているのは心理描写、二つ目の例では情景描写です。ネガティブな要素は心理描写を通して入り込むことが多い。それは覚えておいた方が良いでしょう。

 読者の感情を正に振る場合、ネガティブ思考を自覚する作者は否定的な表現が過度に入り込まないよう気を付けなければなりません。さもなければ、盛り上がりに欠ける辛気臭い話と思われてしまいます。

 読者の感情を負に振る場合、ポジティブ思考を自覚する作者は肯定的な表現が過度に入り込まないよう気を付けなければなりません。さもなければ、なぜか妙に楽観的で緊張感に欠ける話と思われてしまいます。

 また、特に次のような人はこの問題を重く受け止めた方が良いでしょう。小説の冒頭から結末に至るまで、全てが穏やかな優しい言葉で埋め尽くされている。そういう作品を書きたいという美意識は理解できます。しかしそれでは、内容自体が非常に感動的なものでない限り、読者の感情を正負に大きく揺さぶれません。特に負に振る場合に大きな障害となります。つまり、その美意識が平板で淡泊な物語を生み出しているのです。

 極論を言えば、文章表現の美しさと感情の揺れの大きさは対立関係にあります。美しい言葉、汚い言葉、穏やかな言葉、激しい言葉。実際に使用するかどうかはともかく、全てを駆使できるようにしておかなければ、感動の大作を生み出すことなど到底叶いません。

 もちろん、美意識を捨てろと言っている訳ではありません。自身の美意識を拡大拡張すれば、もっと可能性が広がる。そう指摘しているだけです。

 最後に、内容と表現の乖離について二つだけ付け加えておきます。

 例えば笑いの表現。苦笑は、当人が内心で苦々しく思いながら仕方が無く漏らす笑いです。決して、他者を馬鹿にする笑いではありません。失笑は、笑うべきではない場面で抑えることに失敗して出てしまった笑いです。決して、他者を馬鹿にする笑いではありません。他者を馬鹿にする笑いは嘲笑や冷笑です。

 作者は言葉を正しく使わなければなりません。これは笑いに限った話ではありません。言葉の使い方を誤ると、読者の感情を上手く誘導できなくなってしまいます。

 例えば怒りの表現。苛立ち、腹立ち、立腹、憤り、怒り、憤激、憤怒、激怒、その他もろもろ。作者は言葉の水準を使い分けなければなりません。怒りの場面で用いる言葉は常に最上級の「激怒」。それでは、登場人物は皆病的な癇癪持ちになってしまいます。また、本物の突出した怒りを表現したい場面で使用できる言葉が無くなってしまいます。

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