第20話 前方参照

 誰それが何々をした。そしてこうなった。誰それが何々をした。そしてこうなった。誰それが何々をした。そしてこうなった。

 そんな単純な構成が延々と繰り返される小説には問題があります。読者は物語内の過去を振り返ることもなく、未来を予測することもなく、ただひたすら目の前の文章を読み続けるだけとなってしまうのです。そして最後に読者はこう考えます。情報の単純な羅列に過ぎなかった。冒頭と結末を読むだけで十分だった。記憶に残らない薄い物語だったと。

 その種の小説には何が足りないのか。当然、内容にも問題があるのかも知れませんが、構造に欠陥がある場合も多いのです。具体的には、前方参照の欠如です。

 例えば、物語は小説内において時系列に沿って記述されている。それを多数の節に分割したとする。第二節は第一節の内容を陰に陽に引用する。第三節は第一節と第二節の内容を陰に陽に引用する。すると、第三節は第二節を通してさらに間接的に第一節を引用することにもなる。以下、第四節は、第五節はと続く。

 これが前方参照です。ここで注意すべきは、「引用する」と「前提とする」は別物であるという点です。第二節は第一節を前提とするなどと消極的に連携させるのではなく、引用して積極的に連携させる。このような積極的な多重参照が物語に厚みを生み、読者に没入感を与えるのです。

 この件をもう少し具体的に解説します。

 

 第一節。荒野で主人公が宿敵と激突する。激闘の結果は痛み分け。両者ともに逃げていく。

 第二節。主人公は原野で野宿。全身の傷がうずく。自生する薬草を見付けて体中に塗りたくる。そんな中で主人公は思い返す。あの闘いは激しかった。あいつは強い。仕留めそこなったなどと考えるのは自信過剰だと。

 第三節。主人公は宿屋に宿泊。体調は回復。少なくとも日常の活動に支障はない。そんな中で主人公は思い返す。薬草を見付けた時には、助かったと思った。あれは良く効く。荒野の激闘なんて何度も繰り返すようなものではないと。

 

 第一節では激闘が描写され、第二節では激闘の内容が要約され、第三節では「荒野の激闘」と事件に名称が与えられています。また、第二節では野宿が描写され、第三節では野宿の内容が要約されています。さらには、第三節では第二節の薬草に言及し、それによって薬草使用の原因となった第一節にも間接的に触れています。

 読者は主人公そのものではありません。そのため、主人公が本来感じているはずの緊迫感や緊張感なども読者にはありません。ですから、主人公の経験を読者の記憶に焼き付け、読者に主人公と同等の感覚を味わってもらうためには、描写を繰り返す必要があるのです。学校の授業と自宅での復習。それと同じです。そのための手法が前方参照です。

 激闘の描写に関しては、第一節では激闘そのもの、第二節ではその要約、第三節では事件名のみとなっています。つまり、描写の分量が徐々に減っています。この構造は前方参照の中でも特にマトリョーシカ構造などと呼ばれています。

 なお、第二節は第一節を、第三節は第二節と第一節をと連続して引用していくと、読者は物語の濃密さに疲れ果ててしまいます。それを回避するため、例えば第四節は第一節を、第七節は第四節と第一節をと、飛び飛びに引用するのも良いでしょう。

 どこからも参照されない節は小説内で孤立しており、本質的には不要であり削除が可能です。つまり、孤立した節は余分な存在であり、その分だけ物語を薄くしてしまうのです。

 孤立した節ばかりからなる長編小説は、壊れたアコーディオンのようなものです。蛇腹を目一杯に膨らませ、いざ曲を奏でてみようと力を加えると、スカーッと空気が抜けてゆく。前方参照の欠如した長編小説から、砂を噛むような希薄な物語との印象を受けるのはそのせいです。

 ただし、孤立した節にも一応の使い道はあります。例えば、没入し過ぎた読者を引き戻すために孤立した節を挿入する。読者に気分転換をしてもらった後に、再び没入し直してもらう。いわゆるコミックリリーフなどと呼ばれる「水着回」などがその典型です。いずれにせよ、孤立した節に出来るのは物語に色を付けることぐらいです。

 なお、前方参照は伏線とその回収などという小細工とも異なります。一般的に、伏線とその回収には多重性がありません。

 また、前方参照は長編小説の技法です。中編小説に大々的に採用すると、話はくどくなるばかりで進まなくなってしまいます。短編小説に採用の余地はありません。

 最後に重要な指摘をしておきます。あくまでも原則論に過ぎませんが、物語性の強い小説では時系列を乱してはいけません。例えば、物語内では刻々と大事件が進行している。それを小説という文書にする際、山場直前の場面を文書の冒頭で提示する。そんなことをしたら、小説全体にわたる前方参照の構造を作れなくなってしまいます。

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