第6話 視点

 小説における視点には次のようなものがあります。

 一人称視点では、読者は主人公の中に入り込み、見る立場に立つ。

 二人称視点では、読者は主人公の中に入り込み、見られる立場に立つ。

 三人称視点では、読者は世界に入り込み、全てを見る立場に立つ。

 神視点では、読者は世界に入り込み、全てを知る立場に立つ。

 この説明では分かりにくいと思いますので、もう少し詳しく説明します。なお、二人称視点は特殊なので最後に解説します。

 読者は主人公の中にこっそりと入り込み、主人公の見聞きしたことや感じたこと、思ったことなどを盗み見る。そのような小説形式を一人称視点と呼びます。

 読者は主人公と一体化する。それが一人称視点の特徴であり、その結果として、読者は主人公の立場で物語に深く没入することになります。ただしその代償として、主人公が知り得ない事柄は読者にも知りようが無くなります。

 読者は物語世界にこっそりと入り込み、世界の状況や登場人物たちの言動を盗み見る。そのような小説形式を三人称視点と呼びます。

 読者は世界を俯瞰する。それが三人称視点の特徴であり、その結果として、読者は世界のあらゆる出来事を見聞きできるようになります。ただしその代償として、登場人物たちの内心などは知りようが無くなります。

 読者は物語世界にこっそりと入り込み、あらゆる事柄を知り得る立場に立つ。そのような小説形式を神視点と呼びます。

 神視点は三人称視点を拡張したものであり、登場人物たちの内心なども知ることが出来るようになります。なお、三人称視点と神視点は厳密には別のものですが、神視点を含めて三人称視点と呼ぶ人もいます。

 まず、一人称視点の失敗例を挙げます。

 

 疲れた。そう思いながら地べたにへたり込んでいると、獣の姿が視界に入った。もうたくさんだ。僕が溜め息をつくと、僕の背後で鈴木も溜め息をついてナップサックを背負い直した。

 

 頭の後ろ側に目は無いのですから、主人公が背後の状況を確定的に知り得るはずがありません。ですからここでは、「鈴木の溜め息とナップサックを背負い直すような物音が聞こえてきた」などと記述しなければなりません。

 次に、三人称視点の失敗例を挙げます。

 

 疲れた。そう思いながら山田が地べたにへたり込んでいると、獣の姿が山田の視界に入った。もうたくさんだ。山田が溜め息をつくと、山田の背後で鈴木も溜め息をついてナップサックを背負い直した。

 

 三人称視点では、映画やテレビドラマを見るが如くに状況を眺めているのですから、山田の思考を直接的に知ることは出来ません。ですからここでは、「山田は疲労の気配を漂わせて地べたに座り込んでいた。獣が近付いてきた。それに気付いたのか、山田は顔を上げた」などと記述しなければなりません。

 二番目の例を神視点による記述と見なしたとしても、問題が一つ残ります。もうたくさんだ。そう思ったのは誰なのか。その情報が欠落しています。

 未刊作品群には、この種の失敗が非常に多い。それは紛れもない事実です。推測するに、それらの作者たちは一人称視点の気分で執筆しています。しかし、実際には神視点で記述しているために、そのような情報の欠落が生じてしまうのです。

 さらに問題のある作品になると、主人公のことをある箇所では僕と呼び、ある箇所では山田と呼ぶ。これは視点の混在であり、絶対に避けなければなりません。もし一人称視点の気分で執筆するのなら、実際に全てを一人称視点で記述すべきなのです。

 さらにさらに問題のある作品になると、ある人物のことを最初は佐藤先生と呼び、それ以降は一貫して佐藤と呼び捨てにする。作者としては、佐藤の属性を最初に提示しているつもりなのかも知れません。しかし、一人称視点と神視点が混在している場合、読者はそのようには解釈してくれません。主人公は教師である佐藤を見下している。それが読者の認識となるでしょう。このような誤解を避けるためにも、決して視点を混在させてはいけません。

 最後に二人称視点について解説します。例えば次のようなもの。

 

 あなたは分かれ道に差し掛かった。右に曲がれば繁華街、左に曲がれば河川敷、このまま進めば駅に着く。

 間違えてはいけない。迷っている暇もない。それなのに、なにゆえあなたは立ち尽くす。あなたには右の道しかないはずだ。走るのだ。追い付くのだ。そして伝えるのだ。「違うから。いっちゃんは違うから」と。

 なのに、あなたは顔を上げて胸を張り、河原へ向かって歩き始めた。

 そうなのか。それがあなたの選択か。その決断は美しい。しかし、きっと後悔する。主人公から降りたことに。主人公たり得なかったことに。

 

 この例には、「あなた」と呼ばれる主人公と、その様子を観察している語り部がいます。そして実際上、読者は読者自身と「あなた」を同一視しながら読むはずです。つまり二人称視点では、読者は語り部によって物語世界に引き込まれて主人公そのものとなり、語り部の語りに従って行動することになります。

 二人称視点は、一人称視点の主語「僕」、「私」、「俺」などを単純に「君」、「あなた」、「お前」などに置き換えたものではありません。とは言え、一人称視点では読者は物語の主人公の中に入り込む。二人称視点では読者は物語に入り込んで主人公になる。つまり大差はなく、二人称視点の小説は一人称視点でも記述できます。

 と言うよりも、一人称視点で書けるものは一人称視点で書いた方が良いでしょう。二人称視点はかなり特殊な技法と認識しなければなりません。一人称視点と三人称視点の両方に精通していなければ二人称視点では書けません。二人称視点では視点が揺らいでしまうことが多いのです。もちろんそれは失敗です。一見何らかのトリックのようでありながら、いくら論理的に考えても意味不明。そんな作品になってしまいます。また二人称視点には、本来黒子であるべきはずの語り部が前面に出すぎてしまうという難点もあります。

 なお、ワードプロセッサーや高機能エディターで「あなた」を「私」に一括変換しても何の支障も無い小説は二人称視点とは言えません。そんな作品は、何を回りくどい書き方をしているのだと読者を苛立たせるだけです。

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