第3話 物語と小説

 昔々、紙も文字も無かった時代、人々は車座になって語り部の言葉に耳を傾けました。不可思議な話、神の話、一族の歴史、過去の英雄、天変地異や重大な出来事に関する記憶。そのような話を楽しむことが当時の主要な娯楽でした。少々堅苦しい言い方をすれば、これが物を語るという行為であり、そこで語り部から聞き手へ伝えられた情報が物語です。そして、物語は口伝という手段によって次の世代へと受け継がれてゆきました。

 後の時代になって、石板に文字を刻むという手法や、パピルスや木簡などに文字を書き記すという手法が開発されました。しかし、石板に刻めるのは少量の情報のみ。パピルスや木簡などは記録媒体としての品質が悪い上に大量生産が出来ません。そのため、そのような時代になっても物語を受け渡す主要な手段は口伝でした。

 例えば、トロイア戦争とその後を描いた「イーリアス」と「オデュッセイア」。それらの叙事詩も古代ギリシャでは口伝によって受け継がれていました。ところが、それらの叙事詩が作られたとされる時代から数百年後、それらの作者は本当にホメロスなのかとの疑問を持つ者が現れました。

 叙事詩には叙事詩なりに構造や創作技法があります。そして、各叙事詩には作者ごとに異なる特徴や癖が含まれています。それらを分析することによって結局、「イーリアス」と「オデュッセイア」の作者はやはりホメロスであったと結論付けられました。ちなみに、古代ギリシャで行なわれたこの分析が世界史上初の物語の構造分析であるとされています。

 さらに後の時代になって、現代にも通じる紙が生産されるようになりました。そこに散文の文章として記録することにより、創作の物語は小説となったのです。ちなみに世界史上初の小説は紫式部の「源氏物語」であるとされています。

 さらにさらに近代になって、小説の商業出版が行なわれるようになりました。そこで問題になったのは小説に対する論評のあり方です。

 好きや嫌い、面白いや詰まらないといった感想は読者の主観にすぎず、その種の見解の表明は論評の名に値しません。ただし、好きや面白いと肯定的に表明することには何の問題もありません。問題となるのは嫌いや詰まらないとの否定的な表明です。それらは程度や状況によっては侮辱や名誉棄損となり、商業出版に対する業務妨害にもなり得るのです。

 近代ヨーロッパではその種の紛争が実際に発生し、その反省から、小説に対する論評は論理的な分析に基づくべしとの規範が生まれました。これが小説に対する構造主義的分析の始まりです。

 その後直ちに、そこから一つの発想が派生しました。面白いと言われる小説の構造を分析し、その構造を模倣すれば、面白い小説を作れるのではないだろうか。しかし結局のところ、その試みは失敗に終わりました。どこかで見聞きしたような話、しかも感動が無いと。

 現在、物語には様々な表現法が存在しています。古来の語り部による口上。その流れを汲む落語や講談や音声ドラマなど。そこに視覚的な要素を加えた紙芝居や語り部のいる人形劇など。さらには、視覚的な要素が主となった人形劇や舞台劇など。映画やテレビドラマやアニメーションなどは形態上、それらの発展形と言えます。

 それらと比較すれば、実は小説は新しい部類の表現法であり、しかも異質です。小説以外の表現法の観客は受動的、つまり単に座っているだけで良いのです。一方、小説の読者は能動的、つまり自らの意思と力で読み続けなければなりません。

 この節の内容をまとめると以下のようになります。

 物語の全ての表現法には技法が存在します。良い物語に良い技法を適用することによって良い作品が生まれます。良い作品には良い物語と良い技法の両方が必要なのです。

 各種の表現法の中でも、小説は受け手に積極性を求めるという点で極めて異質です。そのため、小説には特に良い技法が必要となります。

 技法を意識しない小説執筆などあり得ません。読者に作品を読んでもらいたいのなら、基本中の基本だけでも良いので必ず身に着けましょう。仮に何かのはずみで作品が出版されることになったとしても、基本を知らない作者に小説家としての未来はありません。

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