タナトスはこの銀河の果てにいる

枠井空き地

暗黒の箱に魂を託して 前編



「―――なぁ〜んでこのレベルのチェックを怠ったかねぇ……」

 時空の時空の壁を突き破り、実質的に光を追い越して人体を数光年先の惑星へと吹き飛ばすことが容易になった現代においても、人類というものは大した進化をしていない。


「こんなアホなポカをやらかす程度にはな!」

 船の主であり、先ほど遭難者になった男、ライネ・ヴェステルゴートはどこへともなく悪態をつく。状況は、”崖っぷち”から徒歩3分と言ったところ。とりあえず問題をまとめてみよう。

 まず起きたのは酸素供給機の爆発による酸素供給の停止、そしてその爆発による動力部及びワープドライブの故障、つまるところ、この機体はどこへも行けず、残り数時間で呼吸困難の沼へと誘う棺桶と化したということだ。

「Oxポンプ狭窄による爆発破損なんて、事故事例集のトップに乗ってるようなやつじゃないか……」

その悪態も、その悪態によって発生した二酸化炭素も大気循環システムは回収せず、照明が落ちた船内に虚しくこだまする。

 

 原因はいくらでも考えられる。整備不良、部品の劣化、操作ミス、先だっての戦闘での破損……しかし今は探偵ごっこに勤しむ暇などなく、ただ「どうやって生き延びるか」を検討する以外にやるべきことなどなくなっていた。


———本当のことを言えばする必要すらない。「寝る」こと、ただそれだけしか対処策がないことが見え透いているからだ。


 緊急退避用人工冬眠ポッド、これがこの状況においての一番――唯一の答えだ。人類が遥か外宇宙へと飛躍する第一歩を作り出したその技術、人体を瞬間冷凍し、鮮度をいつまでも保つそれはワープドライブによる航行の短期化を経てもなお救命用としての命脈を保ち続け、今ここで窮地に陥る男に最後の選択肢を残していた。

 船とは完全に独立し、堅牢な外装甲を持つポッドは先ほどの爆発も生き延び、黄色や赤に点滅し続けるディスプレイの中でも目に優しい青色で使用可能であることを伝えている。


「賭けにベットする権利は残されてた、ってとこか」

駆け、そう表現するならば、先の爆発で外壁に大穴が空いて吸い出されてそのまま死ぬ可能性があったという点ではここまでで「すでに賭けに勝った」と言える。しかし、ここからの道筋にも「賭け」が荒野の道端にたたずむヒッチハイカーのようにライネを待ち構えていた。

 何が問題なのか、それはという点だ。


 有難いことに冬眠ポッドはいつまでの人体の鮮度を完璧に保ってくれる。数か月、数年、数十年、数百年先までも……

 まぁ数百年先にタイムカプセルとして保存されているんならまだ悪い方ではない。問題はそんなに長いこと放置されていれば、「他の悪いこと」が起こり得ることだ。幸い船の外殻への損傷、および空気のリークの報告はないので、このまま寝ていれば酸素は減らず、開けた瞬間に酸欠で死亡、などというバカっぽい悲劇は起き得ない。しかし、の問題もある。微小隕石に衝突するかもしれない、恒星の重力に囚われそのまま飲み込まれたり、エトセトラエトセトラ……。

 とにかく、今の彼には「何が起きるか分からない」未来に「何も起こらない」事に命を賭けて挑む以外の道がないという事だ。

 

 節電設定になったため最小限の警告表示がか細く光るだけの薄暗い通路の先に、お目当てのそれがある。

 人体から二回りほど大きいだけ、というよりも普通の棺桶に少しごてごてした機械が付いているだけといった方が早い見た目の冬眠ポッド、その前面にある複合金属の一枚板についたディスプレイを少し操作すると、豪勢な量の蒸気とそれが噴き出す音を伴って、その一枚板――棺桶のふたが開いた。中は、寝ている間に人体を固定するためのきわめて低反発なマットレスと、人体に何かしらの作用をする何かを噴出しそうな——する、噴射口がそこいら中に取り付けられた、安眠には程遠そうなベッドであった。

「ベッドに眠ってベットしなきゃならんのか…………くだんねぇ」

 こんなしょうもない軽口の一つでも、この状況では己を奮い立たす決意の一言になり得る。あるいは諦念の一言かもしれないが。

 ライネは深くため息をつき、マットに体を横たえ内側のコンソールを操作する。たちまち蓋が締まり、内部の噴射口から不可視の気体が噴き出す音が聞こえた。抵抗する間もなく彼の視界は黒く染まり、その色彩に同調するように意識も深く閉じていった。




 次の瞬間、視野に光を感じた。いや光が当たったことに気付けるほど思考がハッキリしだしたというべきだ。

「ぁ…………くぁ…………」

氷点下数百度から解凍された直後の喉と唇から放てる音はせいぜいこの程度だ。

「接近する船舶を確認。接近警報設定により起床操作を実行しました。警告!酸素濃度低下中!現在の消費速度では約二時間後に安全濃度を下回ります。至急対処が必要です。警告!人口重力システムが停止しています。浮遊物、液体等に注意してください。警告!推進システムにエラー発生――」

寝起きの人間には到底処理できない量の情報を自動音声が垂れ流す。さすがはユーザビリティなどという概念がまるでないことで知られるビルムート社製の制御システムだ。痺れる———ケチらなきゃよかったな……

 音声を四回ほどリピートしてようやく全貌を理解したところ、船内に機械のものではない声が鳴り響く。

「こちらはケンタウリ会派聖務艦隊所属、戦艦「セント・レイバンス」、貴艦からの遭難信号を受け取り、当会派のモットーおよび全銀河航海協定に基づく救助活動に参りました。曳航許可を求め——ていうか、その損傷では動けないですよね、収容しちゃいまぁす」

 前半の厳しさと後半のゆるさが合致していない奇妙な音声放送の直後、船体に揺れが生じた。件の戦艦から放たれた曳航ビームの影響圏に入ったということだ。

 とりあえずはひと段落――少し息をついたライネはその寝ぼけ眼をこすり、窓からその戦艦とやらを拝もうとした。解凍直後の思うように動かない体をよじらせて、殆ど這うように——人口重力が消失した現状では、浮かんでいるという表現が正しいのだが——もと来た通路を漂っていった。


「ぐっ……腕ってこんなに重かった、か……?あと……何で作用反作用だの、慣性だのがあるんだろうな……」

 中々思った方向に進まない体と、思った方向に進ませてくれない重力法則に悪態をつきながら、ようやくコックピットまでたどり着く。



 視界に広がったのはその目を覚ますほどの光沢、この宇宙で最も光を反射する色、そこにはその船体に眩いばかりの純白の装甲を纏った戦艦の姿があった。


中編に続く




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る